第五十六話 風の結界

 

 雲によって星々は隠され、その輝きは見えない。辺りはまだ暗く、夜明けはまだまだ先だろう。奴と交戦するに当たって、秋月が挙げた対処法の一つである夜明けを待つ、というのは現実的な選択ではなさそうだ。持久戦のような形になるだろうが、一つ目の対処法。奴が攻撃するタイミングに合わせて、奴の手をまず切り裂く。


 チラリと後ろを見やれば、援護にやってきた秋月がいる。彼女の纏う霊力は俺と模擬戦をしたときのものより色が濃い。彼女も本気だ。


 加えて彼女によれば、甚内や踏破群が血盟の対応に動いているようだ。これで安心して戦える。


 先ほど秋月が放った四つの霊弾が彼女を軸に回転しながら宙に浮いた。一度だけ光り輝いたその四つの霊弾は、彼女を守るようにそばに侍る。


 (なんだあれは......?)


 霊力で構成されているという以外なんの変哲もないただの球体。表面はツルツルしていて、まるでぼーるみたいだ。


 しかしそれが何か気にしている暇はない。今俺は魔獣戦に身を置いている。思考を乱すべきではないだろう。


 彼女をじっと見た。彼女の戦闘スタイルは、距離を取って戦うもの。もし黒猫の攻撃が秋月の元へ行けば、危うい。彼女に俺の持つ二刀のような防御手段はないだろう。俺が、手助けせねば。


 秋月の左上後方、夜の闇から”彼奴”の手が垣間見える。秋月は気づいていない。まずい。


「秋月! 後ろだ!」


 俺の逼迫ひっぱくした叫び。それを聞いた秋月は、顔色を変えることなく、こう呟いた。


「問題ないわ」


 彼女がそう返した時、四つの球体が変形し膨張した。機械的な音を鳴らし、遅れてその球体から飛び出るのは、一本の銃身。


 球体が回転しその砲塔の先が奴の手へ向けられ、連続して霊弾が放たれた。銃火が砲塔より漏れ出て、辺りを照らす。


 弾幕を張り放たれた霊弾は奴の手へ直撃した。その攻撃を受けて奴の手が再び引っ込む。


 その霊弾の威力は、彼女が直接手から放ったものに比べて大きく劣っていた。しかしながら、魔獣の動きを制限する程度の威力は内包している。決して奴にとって軽視できるものではない。


「感応式霊砲台。近くで動いた奴を撃つわ。まぁ。効き目あんまないけど。防御には十分ね」


 感応式霊砲台。見たところ魔力なり敵の動きなりを把握してそれに応じ自動で射撃を行う技のようだが......彼女が言った通り奴の手に少し焦げ目を与えた程度。あまり効き目がない。


 それを一番感じ取っているのは秋月本人だろう。彼女が嫌そうな顔をする。


「参ったわね。この猫大体こうやって攻撃してると痛がって出てくるんだけど......痛覚がないって本当に厄介。ん、玄一。悔しいけどこいつをここで殺すのは諦めるわ。こいつをどうにか追い払ってタマガキの安全を確保しましょう」


 彼女の提案を頭の中で噛み砕く。他にも手はあるかもしれないが、ここは彼女を信じる。


「わかった。それでいこう秋月。どう追い払う?」


 そう聞いた俺に対し、彼女がニシシと小さな声を出して笑った。


「一発あいつに痛い目見せてやりましょ。そうすりゃ退くわ」


 彼女が掲げた人差し指と中指の間に、紅い霊力が走る。それに呼応するように笑い返して、翠色の霊力を周りに展開した。風よ。吹き荒れろ。


 風を手足のように動かす。俺は今からこの空間を無力を通して支配する。俺の体から放たれるその霊力の奔流に、秋月が目を見開かせていた。


「ん、玄一。あんた何する気?」


「秋月。ここは俺に任せてくれ」


 辺りに展開した風を手に取るように把握する。秋月以外、人のいないこの空間で、この風の流れを乱す動きがあればそれは奴の手しかない。それを感知して、次こそ叩っ斬る。


 まるで俺を中心にゆっくりと竜巻が出来上がっていくようだった。相手の動きを把握する風の結界。二刀を一度納め、抜刀の構えをとる。


 目を瞑って感覚を研ぎ澄ます。俺の意図を感じ取った秋月が一度その場を離れた。


 風の動きから見なくてもわかる。彼女は後ろに下がり、建物を跳躍し登って、屋根の上に陣取った。片膝を屋根につけ、射撃の構えを取っている。その周りには今なお感応式霊砲台が展開され、奇襲を受けようとも問題ないだろう。まあ、血盟の指示からして、奴の狙いは俺だ。十中八九俺を攻撃してくるだろう。彼女を狙うようなことはない。


 納刀した打刀を『地輪』で強化する。刀身とその能力でできた鍔の間に黄土色の霊力が漏れ出た。


 まだ動きはない。しかしながら、油断することなかれ。もし来ないと思い込んで力を抜いた時に奴の攻撃がくれば、対応ができない。もし対応できなかったら、いくら秋月が控えていようとも彼女が撃ってからでは遅いかもしれない。戦うのは、俺だ。


 風の結界が広がっていく。動きは未だない。集中し続けろ。



 遠くの方で反応があった。その質を感じ取って確信し、ゆっくりと目を開く。



 その先にいたのは、便所を出た時にいたような小さな黒猫の姿。じっとこちらを見つめたあと、踵を返す。その足が向かう先は、タマガキの外。


 走り去っていく黒猫の姿を見送り、秋月が奴に向けていた指先を下げた。


「......退いたわね。あいつがビビったか、血盟に何かがあったか。どっちかわからないけど、一度私たちも帰りましょ。できることなら、踏破群と情報共有がしたいわ」


「そうだな。だがその前に、怪我をして気絶していた女性がいたはずだ。その人を保護したい。いいか」


 あの魔獣を誘導した際に、ほっぽり投げてしまった民間人の女性の姿を思い出す。そこまでここから遠くない。それを彼女に説明すると、彼女が頷いてそれを承諾した。







「防人の方ですか......? ありがとうございます。起きたら路地に寝っ転がっていて、もう何が何だか」


 その女性がいたであろう場所へ向かうと、黒髪の女性がちょうど目覚めていた。幸いにも大きな怪我はなく、彼女に詳しく話を聞いていくと、彼女は本当に自分の身に何があったかを覚えていないようだった。気がつけばここにいたとだけを繰り返し、その前の出来事で覚えていることを聞く。


「あなたの身に何があったか、教えていただきたい」


 女性が腕を組み、考える素振りを見せる。それを見た秋月が口を開いた。


「どんな些細なことでもいいわ。教えて欲しいの」


 女性は困ったような顔をしている。そうして、ゆっくりと述べた。


「女の人に会いました。動物を二匹連れた。多分片方は黒いネコちゃんで、後は......多分わんちゃん。そこから、覚えていません」


「......そうですか。ありがとうございます」


 彼女が述べたその人間の特徴。それは間違いなく、第玖血盟だろう。黒猫を連れた女など、早々いない。その人物に関して、他に覚えていることはないか聞いたが、心当たりはないようだ。


 そうして話を聞いていると、遠くから槍を持ち武装した集団がこちらに駆け寄ってくる。刀を腰に備え、その制服は見慣れたもの。


「秋月様。新免さん。防戦隊二番隊です。援護に参りました。状況はどうなっていますか」


 その集団の中で一定の地位を有しているであろう兵士がこちらに聞いてくる。そこで魔獣はすでに去ったということを伝え、彼らにこの女性が安全に帰宅できるよう護衛するように秋月が命令した。


 その後、秋月が腕を伸ばし、体に纏わせていた霊力を霧散させる。彼女と同じように俺も臨戦態勢を解除した。一息入れた後、秋月が言う。


「本部に山名がいるはずよ。私たちは一度帰還して、指示を仰ぎましょう」


 彼女が山の上の方にある本部の方を見据えた。普段は真っ暗のはずだが、明かりが灯され、深夜でありながらも本部が稼動状態であることを示している。山名や他の防人の見解が聞きたい。秋月の提案にしたがって、本部を目指した。





 

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