第五十四話 邂逅

 

 食事を終え勘定を済ませる。その金額は、俺が普段食べている屋台飯の何倍もの値段だった。その上部屋代だったりサービス代だったりで色々取られた。確かに美味しかったが、やはり夕飯は屋台飯に限る。安くてうまいし。


 しかしこれもいい経験だったと思うし、想像していたよりも安く、かといって高くないわけではないという金額だったので財布的にもまあ問題はなかった。それよりも勘定の時、秋月の財布から見えた紙幣の量の方が気になる。厚みがえぐかった様に見えた。見間違いだろうか。


 戸を開け外へ出る。すでに日は落ち、辺りは暗くなっていた。


「さて、腹ごしらえも済ましたし! 今夜も頑張りましょ。玄一」


 上に腕を伸ばした秋月がこちらを見て言った。彼女の紅眼に店から漏れる光が映る。


 今日もまた、見廻りだ。一週間もの間敵に動きはなく、果たして行う意味はあるのかとも思ってしまうが、何かあってからでは遅い。今を一生懸命に、頑張らねば。


 背筋を伸ばし、それに合わせて腰に差している刀が少し揺れた。


「ああ。頑張ろう。秋月」




 今夜は月が見えず、あたりは真っ暗だ。足元がよく見えなくて危ないが、防人ならば問題ないだろう。視力を強化し、目を暗がりに順応させる。しばらくすれば、遠い家の先々までくっきりと見えた。


 秋月とともに下町を見廻りながら、住宅街へ向かう。歩き、土を擦る音。自分たち以外の音が世界に存在していない様だった。


 歩き続ける。街に踏み入れ、まず霊力による探知を発動した。動いている人間はおらず、ここらの住人は皆寝静まっているようだった。夜行性の生き物だろうか。ちょくちょく動いているやつもいたが、怪しい動きをするものはなく、今日もまたいつも通り何事もないかのように思えた。


 体に満たしていた霊力を一時解除し、息を吐く。一度力を抜いて、感じたのは、尿意。あのお店でお茶飲みすぎたかもしれない。


 店で済ませておくべきだった......しかし幸いにも、ここは住宅街。共同便所があるはず。


「秋月。すまないが厠に行ってくる。待っていてくれ」


「ん、わかったわ。早く戻って来なさいよ」


 秋月が呆れ顔で言った。






 用を足す。真っ暗闇の便所というのはなんか不気味だし、一歩踏み外せば足を便器に突っ込んでしまいそうで怖かった。しかし、もうスッキリした。なんの問題もない。


 戸を開け、便所を出る。右側から感じる何者かの気配。横をちらりと見やれば、そこにいたのは金色の眼が目立つ、一匹の黒猫。その猫が俺を見て鳴いた。その声から邪気は感じない。飯でもねだって来ているのだろうか。


 その猫が尻尾を揺らし、俺から離れるように遠くへ。


 歩き出した猫が一度歩みを止め、振り返りこちらをじっと見ている。まるで、誘い込んでいる様だ。



 たかが猫? まさか。


 動きに人間味が出すぎている。猫は何度もこちらの方を振り向き、手をあげたりしてこちらの気を引こうとしていた。



 これは間違いなく━━━━罠。



 ”血浣熊”や”猿猴”のように、魔物でない生き物と姿が似通っている魔獣などいくらでもいるのだ。そして第玖血盟はそれを眷属化できる。警戒しすぎということはない。どうするべきか、考えた。


 先ほど別れた秋月の位置はわからない。再び霊力を使用し、周りを探知した。無力の掌握術を鍛えるようになってから早一週間。無力から遠く無力へ霊力を塗っていく時は、霊力を波紋のように飛ばしていけば掌握しやすいことがわかった。これを応用し、探知範囲を広げる。


 猫が誘い込む先にいたのは、倒れこむ人のような形をした何か。しかし呼吸をしているようで、生きている。


 こうなれば、行かざるを得ない。何故ならば、俺は防人。人を救うのは我らが役目。刀を引き抜き、黒猫についていった。


 猫が走っていく。しかしながら、その動きが何故か不規則だ。よく見れば、左足を怪我しているようだった。


 猫を追っていく。体を霊力で満たし、念の為周りの無力を全て掌握しにいった。俺の四色の霊力が、大気へ広がっていく。それに加えて、いつ『五輪』を発動しても問題ない様にする。ここから、何が起きるかわからない。



 猫に釣られ、曲がり角を右に曲がる。そこは、少し大きめの広場。



 その中央に、倒れこむ女性の姿がある。地に伏せていて顔は見えない。頭から血を流しているが、まだ生きている。傷も深くはなく、手当をすれば問題ないだろう。死んでいない様でよかった。


 先ほどまで走っていた黒猫が、ゆっくりと歩いて行き、まるで人質を取るかの様にその女性の横で座り、止まった。


 静寂。お互い微動だにせず、動きはない。あの黒猫を排除しようと刀を振るえば、あの女性を巻き込むことになる。待つんだ。機を、待つしかない。


 焦らず、じっと待ち続ける。黒猫は微動だにせず、こちらを眺め続けていた。お互いの目が合う。その金色の瞳が、暗闇の中で煌めいていた。




「怪我人を見つければ防人は助けにくるってみんなが言ってたけど、本当なのね。あは」




 高い、年若い女性の声。目の前で倒れ込んでいた女性の後ろ、奥の真っ暗闇の中から、一人の少女が黒猫の元へ歩いていく。上唇を舌で舐め、笑った。


 肩にかからないくらい短い髪の毛。紫色の瞳。少女らしく、丸みのある女性らしい体つきはしていない。背は秋月より少し高い程度。一般的な和装を着ており、腰に両手をつけ、武器は持っていないようだ。


 彼女が出したままだった舌を口へ仕舞い、霊力が吹き出る。


 前方より漏れ出る霊力は、鳩羽色。この容姿。そしてこの霊力による威圧感。間違いない。





 第玖血盟。屍姫━━━━━━━━。


「夜中動き回ってる邪魔者がいるっていうから、来ちゃった。よろしく、お兄さん」





 まずい。まずい。まずい。血脈同盟の関係者ないしは第玖血盟の眷属が現れると思っていたが、まさか血盟本人がタマガキに、それも住宅街に堂々とやってくるとは。一桁の強さは、兄さんや御月と同じ領域。もしそれが本当なら、まずい。俺では戦いにならぬかもしれない。


 氾濫する思考を抑え込むように、一度大きく深呼吸。よし。落ち着いた。今、俺がするべきことは、あの女性の救出。それで間違いないだろう。


 心の中で『地輪』と唱え、打刀に黄土色の輝きが刀の鍔となって纏われた。



「お兄さん。なんか言わないの? なんかパッと見あんた弱そうだし、サクッと! 殺しちゃおうかな〜」



 無視。今相手と言葉を交わす必要などない。打刀の切っ先を、血盟の方へ。奴は外向型ではないのか、簡単に無力を掌握し大地の無力は全て俺のものとなった。あの女性を助け出すために、仕掛ける。


土塊ノ荒波つちくれのあらなみ!」


 突如。屍姫と黒猫、民間人の女性を巻き込んで広場の大地が海と化す。その後、その場に荒波が舞った。


「え、ちょ、助けて黒ちゃん!」


 荒波に抵抗むなしく落ちていく血盟。その姿はまるで海で溺れている人のようだった。


 これはこれで想定外。まさか直撃するとは。だが、優先すべきことは変わらない。波を使い、女性をこちらへ手繰り寄せる。


「大波」


 さらにその場に大波を作り出し、気絶している女性がその大波に乗って吹っ飛ぶ。そうして俺の元へ。飛んできた彼女を掴み、抱えこむ。


「『風輪』!」


 血盟と俺一人で戦ってなどいられるか。自分の実力など把握している。ここで戦う蛮勇など、持ち合わせなくていい。


風纏ふうてん


 風を纏う。これは、兄さんに翼を使わない様アドバイスされてから、太刀風や土塊の様に体系化させた技だ。風纏を使用し、彼女を抱えたまま、空を飛翔しここを離脱する。跳躍。そして加速。距離をとった後、後ろを振り返り、血盟の方を見た。


 奴らはちょうど荒波から抜け出した様だ。屍姫が土を払い、何故か泣いている。血盟に侍るかのように黒猫が立ち上がって、その体毛が逆立っている。明らかにこちらを威嚇していた。


「こんなの聞いてないよ......え゛っく。汚れちゃったじゃん。......もう帰る。黒ちゃん。アイツ、殺してきて」


 瞬間。血盟を守る様に立っていた黒猫がし、そこに現れたのは全長10mほどになった黒い化け猫。奴が跳躍し、空を飛ぶ虫をはたき落とそうとするかのように、こちらへ飛んできた。


 間違いなく魔獣。魔獣をも従える、これが第玖血盟の霊技能か。


 黒猫の動きは速い。女性を抱えたままじゃ、きっと避けきれない。とっさに彼女を遠くへ投げて、風に乗せる。投げた勢いを利用して左下へ急降下。黒猫の素早いパンチが、先ほどまで俺たちがいた場所を通り、空を切る。


 投げた女性を着地させるために、風を操作する。遠隔での操作。これも兄さんとの訓練の賜物だ。彼女は、まるで滞空しているかのように、ゆっくりと地へ。


 このまま置いてしまっても今は問題ないだろう。奴らの狙いは俺に移った。


「シャァァアアア!!!!」


 猫がこちらを威嚇する。それがそこらへんの野良猫なら可愛いものだが、この猫の大きさは俺を一口で食らえるというほど。全然可愛くないし笑えない。間違いなく上位の魔獣。この気迫からして、幻想級だろう。


 奴から距離を取ろうと空を飛ぶ。それを追いかけて、黒猫が迫って来ていた。


 第玖血盟の姿はすでに見えない。もしこれ以上血盟の介入がないのなら、ここで奴の戦力を削ぎたい。幻想級ならば。空想級でないのならば、俺にも勝機があるだろう。


 空を飛び背を向けていた体を、奴の方へ。二刀を構え、鉄の音が鳴る。




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