第五十三話 見廻り前。夕方。

 

 兄さんたち踏破群がやってきてから、すでに一週間がたった。参謀の護衛である愛海と昼食を共にしたあの日からずっと見回りを秋月と共に行っているが、結局深夜に犯行は行われず、襲撃もない。踏破群と甚内はタマガキの郷の捜査を他の兵員に任せて、それぞれその捜査範囲をタマガキの外まで伸ばしたようだが、芳しくないようだった。


 そんな風に調査を続けながら、兄さんは俺が見回りを行う前に時間をとってくれて、それから毎日彼と修行に励んだ。


 彼と主に学ぶのは無力の掌握術。その方法は普段使う霊力の扱い方とはかなり勝手が違って、慣れるまで時間がかかる。


 無力の掌握というのは兄さんが言っていたように、無力を自分の霊力に塗り替える、というのが感覚的に主な掌握の方法であったが、それが非常に難しい。


 ただ自分の支配下に置くということならばできるのだが、戦闘における無力の奪い合いを想定して兄さんと訓練を行っているため、自分が一度掌握した無力を簡単に兄さんに奪われてしまう。無力から生まれた霊力もまた、無力と同じようにうつろいやすいものなのだ。


 何度も彼と奪い合いを想定した模擬戦を行う。いざ挑戦してみると自分の体の周りは簡単に塗り替えることができたのだが、自分から遠く、ましてや地中ともなれば上手く保持ができず、奪い取られてしまう。


 それに加えて、俺の模擬戦の動きを見た兄さんがさらにアドバイスをくれる。兄さんは俺がそれを受け入れ変えるかどうかを一任してくれており、強制してきているわけではないので非常にありがたかった。世の中には自分の考える戦闘理論を他人に強要しようとする人間もいるそうだからな。それがその人にあっているかも分からないのに。


 そんな彼が一つだけ強く変えるように勧めたことがある。それは、俺の翼について。


「玄一。確かにその翼は安定を生み、使う霊力の量を少なくしてくれるのかもしれないが、鍛錬のためにもできる限り使うべきではない。今のお前の状態を例えるとだな、必要ないのに杖をついて歩いているようなものだ。その杖はいざ、全力疾走しようとした時に必ず妨げになる。翼を取り外し、今一度空を飛ぶためにお前がやっていることを技として体系化すべきだ。そちらの方が絶対に良い」


 まぁ確かに今はもう『風輪』の扱いにも慣れ、長距離移動を除いて翼の使用は必要ないような気がした。前々から戦っていた時に感じていたのだが、空を飛んでいるときに翼を貫かれたりしたらバランスを崩しそうで怖い。そのアドバイスがあってから出来るだけ翼を使わないように、『風輪』だけで飛ぶようにしている。翼を作ってくれたテイラーには悪いが。


 そうした訓練を通して、確実に実力を高めることが出来ている。また一歩。最強へ近づくんだ。誓いと、彼との約束を守るために。


 こうして訓練をする時間が多いのは喜ばしいことだが、血脈同盟の動きが不気味なほどない。兄さんが言っていたことを思い出す。もし第玖血盟の襲撃がなければ、それは他の血盟がいるのと同義であると。


 今日もまた秋月と共に夜の見廻りだ。家から外に出ればすでに夕焼け。今日は彼女と任務前の夕食を共にすることになっている。その待ち合わせ場所である、下町の方へ向かった。







 待ち合わせ場所にしていた所の前に着く。彼女は俺より先に着いていたようだったが、彼女の背が低いせいで、人混みに紛れ彼女を見つけるのに時間がかかった。まぁ、彼女の特徴的な紅葉の濃淡を併せ持つ髪色のおかげで見つけることができたが。


 特徴的と言っても、霊力の影響によって髪色が変わったりするのは珍しい話ではない。現に俺の黒かった髪の毛も少し青みがかっているし。けれども、彼女ほど鮮やかな髪の毛を持つ人も少ないんじゃないんだろうか。


 秋月の前へ。俺を下から眺める彼女が口を開いた。


「ん、遅いわね。このバカ。まぁいいわ。行きましょ」


 彼女がスタスタと歩いてく。足取りは軽やかだったが、明らかに向かっている方向が予定している店の方と違う。少し不安だ。


「ちょっと待ってくれ秋月。そっちじゃない。はぐれて迷子になるぞ」


 それを聞いた彼女が一度歩みを止めた。迷子だとか子供扱いしないでちょうだい! といっていなくなってしまうんじゃないかと一瞬危惧したが、自分の進んでいる方向が間違っているということに心当たりがあったのだろうか、歩くスピードを落として俺の横に並ぶ。今日は素直だった。


 俺は普段屋台見世や本部の食堂で夕飯や昼食を済ませているのだが、前回の見廻りの折、秋月が任務前の夕食を共にしようと提案してきたのを快諾したのが事の始まりだ。握り鮨食いにいくわよ寿司、などといって俺を誘ってきてくれていたので、食べに行くことになった。


 上町に近い目的の店の前に着く。すでに秋月が予約を済ませており、個室へ案内された。もしかして、ここ結構高いところなんじゃないんだろうか。料亭というやつでは? いや割烹というのだろうか。わからん。


 案内された個室に入り上着を脱いで楽な格好にして、座椅子に座った。なんか緊張する。


 そうしていると、ふすまを開けて仲居さんがやってきた。あ、どう考えてもこの店高い店だ。屋台でバカ食いし、甘味を食い倒れることを喜びとしている俺やアイリーンとは合わないかもしれない。あかん。


 そんな俺の様子を見た秋月が心配そうに聞いた。


「もしかして......合わなかったかしら? だとしたらごめんなさい。だけど、今日は私の奢りだし、次からは別の店にするから心配しなくていいわよ」


 秋月が優しい。しかしながら、いくら先輩の防人といえど女性に、ましてや彼女のような見た目の人に奢られるのは非常に罪悪感があった。今俺の財布には、“血浣熊”を倒した時のように前回“槌転”を討伐した際の特別手当が入ってきている。御月と折半だが。魔獣を討伐したんだし、高い飯を食っても問題ないだろう。少し懐は寂しくなるが問題ないはずだ。俺は財布よりも心を優先する。


「いや、勘定はきちんと分けよう。問題ない」


「ん、わかったわ。......かわいい新人に先輩で年上の私が奢ってあげようと思ったのに」


 彼女が少し頬を膨らませて拗ねている。まさかの失敗。ここは素直に奢られていた方が彼女としてはよかったのか。正直よくわからん。


 仲居のお姉さんが注文を聞く。もう何を頼んだらいいのかわからないのでお任せ料理を頼んだ。秋月は慣れているのか、何かを呪文のように唱えている。最後にわさび無し、サビ抜きで! とドヤ顔で言っていた。


 ......なんとなく前々から思っていたのだが、この人は子どもらしいところがあるというか、なんというか。迷子にもなりかけるし。


「これからタマガキの防人として多くの戦場を共にすることになるだろうから、早めに親睦を深めようと思ってね。今日はいろいろなことを話せると嬉しいわ」


 注文を済ませた彼女が、とびきりの笑顔でこちらに笑いかける。頼んだ料理が来るまでのしばらくの間、彼女と他愛のない話をした。何をするのが好きだとか、最近あった嬉しかった話など。それに加えて、彼女は昔のタマガキの話をしてくれた。


「いやぁ当時の郷長っていったら本当に強かったのよ。内地や東の連中なんて目じゃないわ」


 彼女が嬉しそうに皆の話をする。山名、御月、アイリーン、甚内。彼女の昔話を通して、俺がさらに遠く西にいた時から、彼らはここにいたんだなと実感する。不思議な感覚だ。自分の知らなかった場所があって、そこに知らない人たちが生きていて、そこに知らないことが起きていた。それを今、秋月の話を通して聞いている。


 そんな風に待っていると、仲居のお姉さんが料理を持ってやってきた。配膳を済ませた後、彼女がそれぞれ料理の説明を始めた。名前がなんか洒落ている。どう考えても俺が普段食べている寿司じゃない。これ、お造りというやつでは。


 結局その説明は俺の右耳から左耳へ。何1つ理解できなかった。


「美味しそうね。いただきましょ」


 秋月が早速箸を手に取り、前菜へ手をつける。こういう料理を食べるときのマナーが分からん。


 固まった俺を見て、秋月が声をかける。


「ここにいるのは私だけだからテーブルマナーとか気にしなくていいわよ。美味しく頂くのが一番だわ」


「お、おう......分かった。とりあえず食う」


 最初に手をつけたのは刺身。明かりに照らされているからだろうか。テラテラと光っていて美味しそうに見えた。


 醤油をつけて一口。


 美味い。舌の上で溶けていくようでいて、コリコリと弾力がある。わさびと醤油がそれによく合った。本来であればゆっくりとその味を楽しむべきなのだろうが、食べ慣れないからだろう。気がつけば皿の上にあったそのほとんどを喰らい尽くしていた。


「お口にあったようで嬉しいわ。私、ここ結構くるのよ」


 こちらに笑いかける彼女は俺のようにバクバク食べたりするようなことなく、ゆっくりと料理を楽しんでいた。子供らしいかと思えば通ぶりを発揮する。俺には出せない大人の魅力を彼女は持っていた。格好いい。


 そのまま食事を続けていく。汁物やなんかやたらちっさい肉、寿司に舌鼓を打った。そうやって食事を続けていると、秋月が俺の食膳の方をじっと見つめている。なんだろうか。


「そのー......玄一。その赤身のお魚のお寿司。私の大好物なんだけど......何かと交換しない?」


 彼女が俺の皿の上に乗っている寿司を指差し、恥ずかしそうに伝えてくる。そんなに好きなのだろうか。これ。


「いいぞ。何かと交換じゃなくても、そんなに好物なら」


 彼女が空のお星様のように顔を輝かせる。ありがとう! と嬉しそうに言った彼女に、その寿司を皿ごと渡した。それを受け取った彼女が、あーんとすぐに一口でパクリ。


 最初は嬉しそうなオーラを出しながら頬張っていた彼女の顔が、みるみる赤くなっていく。


「ゥッッッ〜〜〜〜!!!!!」


 彼女が鼻を押さえ、後ろに倒れ込みバタバタと足を動かした。あ、俺のわさび入りだった。彼女がサビ抜きにしていたのを思い出す。鼻を抑えながらこちらに手を伸ばしてきたので、急いで湯呑みを渡した。


 渡したお茶をごきゅごきゅと飲んだ彼女が、大きく息を吐く。


「サビ入りじゃないの、これ」


 彼女がうーと唸りながらこちらを非難するように見つめる。あらかじめ伝えるべきだった。


「そういえば秋月はサビ抜きにしていたな。ごめん。苦手なのか?」


 そう聞いた俺に対し、そっぽ向きながら彼女が口を開く。


「私がわさび苦手っていうこと、みんなに秘密にしといてね。......恥ずかしいわ」


 そういった彼女は少し涙ぐんでいる。サビ入りを食べさせてしまったことに対する罪悪感が湧いたが、なんだか、可愛らしかった。




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