第五十二話 タダ飯

 


 今日は全力で戦ったので、このまま訓練を続行するのはのちの任務に支障をきたすと判断した兄さんが、ここで解散しようと伝えてくる。予定を確認し、次に鍛錬できる時が決まれば伝えると彼が言った。それに了解して、体に付着した土を払う。少し体を伸ばしたあと、兄さんに礼を言ってその場を去ろうとする。それを呼び止めるように兄さんが声をあげた。


「玄一。今日の夜の見廻り、よく注意してくれ。これまでの戦闘から分かっているのだが、屍姫は非常に短絡的な性格をしている。道中襲撃したというのに、無傷で踏破群がタマガキ入りしたのを腹立たしく思っているはずだ。必ず来るだろう」


 ここのところずっと血盟と戦い続けていた兄さんの言葉だ。信用していい。ともすれば、屍姫の眷属による襲撃が今夜予測される。気を引き締めてかからねば。今日得た経験を吸収し、即座に反映する。


 気合いを入れた俺に対し、付け加えるように兄さんが人差し指を立てた。


「しかし、もし今夜襲撃がなければ......それは誰かしら屍姫を止めることの出来る人材がいるということになる。他の血盟がこのタマガキの近くにいると思え」


 他の血盟の介入の可能性か。血盟は全部で十三人。殉職しているものだったり行方不明のものもいるようだから具体的な数は分からないが、もし介入してくるともなれば厳しい戦になるだろう。


「今お前と戦ったことで実力を把握し、我々の現有戦力がわかった。俺の第四踏破群に、残っているタマガキの兵員たち。俺、甚内、秋月、玄一。この面子で対応できる血盟の数はおそらく......三人までだ。屍姫以外の二人が一桁の血盟でもおそらく詰む。それを頭に入れておいてくれ。攻めに転ずるならまだしも、タマガキを守る必要のある我々は後手に回るからな」


 対応出来る血盟の数は三人まで、か。昨日読んだ本の情報を頭の中で思い浮かべる。確か血盟の順番はあくまで加入順で有り、戦闘能力に優劣があるわけではないと記憶していたが。


「番号は加入順だと聞いているが......一桁の方がやはり強いのか?」


「ああ。能力自体の強さは変わらんだろうが、戦闘経験が違う。今一桁の血盟は七名確認されているが、その中でも大局に影響を与える第玖血盟の能力は厄介だ。ここは絶好の機会。できることならここで撃破しておきたい」


 彼が続ける。


「しかし......今動ける一桁は第玖血盟を除き四名ほどだろう。だが、一桁が総じてタマガキにやってくるのは想像したくはないな。後踏破群を三つほど呼ばなければいけなくなる。まあそれぞれが各地で活動する以上十中八九それはないだろうが」


 彼がやれやれとため息をついた。


「玄一。一桁の強さは俺と同等かそれ以上だと思っていてくれて構わない。勝つことこそ難しいだろうが、できることはある。頼んだぞ」


 兄さんの言葉に、敬礼で答えた。








 兄さんに別れを告げた俺は、門をくぐり、郊外からタマガキの郷へ戻る。田んぼを抜け、そこにあるのは下町。あいも変わらず賑やかで、道を埋め尽くさんがばかりの人々は皆笑顔だった。この笑顔を、俺は守らねばならない。


 人だかりにぽっかりとした穴が空いている。そこは俺のお気に入りの甘味処の一つだ。誰かいるのだろうか。


 人混みをくぐり抜け、甘味処の方を見る。そこの赤い布で覆われた床几の上には、一人の青髪の女性が座っていた。


 彼女の背には槍が吊されており、下町の住人は唐突に現れた防人を物珍しそうに遠くから見ている。そりゃあ完全武装した防人がいれば誰だって気になるだろう。それに、ここの下町の人が知っている防人はアイリーンぐらいだろうしな。


  .........それって結構まずくないか。場合によっては、女性防人に対してとんでもないイメージを持っているかもしれない。


 悪い予感が的中した。早速前の屋台のおっさんが大量の串焼きを手にし、彼女の前に立つ。団子を頬張っていた女防人が、おっさんの方を見た。


 おっさんが手にした串焼きを見せつけて、じっと彼女の方を見ていた。団子をもぐもぐと食べる彼女は、その視線に気づいていない。俺の場所からもめっちゃいい匂いがする。訓練後の空腹を満たしたい。食うか。


 串焼きのおっさんがニッコニコの笑顔で口を開く。上客扱いされてるな。ありゃ。


「よっ姐さん! 安くしとくよ! とりあえず50本くらいどうだい」


「......はっ?」


 彼女が完全にフリーズした。まず団子を食べている女性に串焼きを売りつけようとするおっさんに対する驚き、そしてその売りつける量に対する驚きを感じる。とりあえず50本て。アイリーンは一体何本食べていったんだ......


 そもそも話しかけられるとすら思っていなかっただろう。理解した彼女が慌てている。そこに追撃するかのようにおっさんがまくし立てた。


「ダァッと! 姐さんは防人なんだからいっぱい食べてもらわなきゃ困るんや! 俺たちを守ってもらうためにも頼むよ! 姐さん!」


 おっさんの追撃。女性がボソボソと何か言っていたが、結局押し切られて購入した。80本くらい。


 ......なんで増えてるんだよ。


 それを見た他の屋台の人たちも稼ぎどきだと判断したのか、彼女の元へ続々と押し寄せる。あの手この手で買わせようと詰められ、結局彼女はその全てを購入した。


 彼女の横に大量の飯。肉やら魚やら米やらで積み上がっている。それを見た彼女がズーンと落ち込んだ。全てを売り切って満足した屋台の人たちは毎度ありと言いながら去っていった。ひでぇ。


 その騒ぎを眺めていた町人も皆雑踏へ戻って行く。最後に、甘味処でとんでもない量の飯を食うことが確定した彼女だけが残っていた。なんて哀れ。可哀想で、つい声をかけてしまった。


「あの......手伝いましょうか」


 俺の提案を聞いた彼女が一瞬顔を輝かせる。しかし俺の顔を見た瞬間仏頂面に切り替わった。


「いえ、不要です。タマガキの防人に借りを作りたくありませんので」


 彼女が手を横に振り、断りを入れようとする。しかし、その目は少し涙ぐんでおり、後頭部の上の方で纏められた彼女の青髪が揺れていた。


 こうして面と向かってみてみれば、彼女の顔立ちから彼女が西洋の血を引いていることがわかる。鼻は小ぶりで、彼女が持つ鮮やかな青の髪とは違い、青灰色の目を持っていた。身長は高く、俺と同じくらい。最近行動を共にしている女性防人は秋月だけなので、違和感が物凄くある。でかくないか?


 ......秋月が小さいだけか。


  そんな彼女はそのまま俺の提案を断ろうとしているが、実際にはどう見ても食べてほしそうな顔をしている。その拒否は不本意なものなのだろうか顔を顰め、こちらをチラッと見ていた。仕方ない。


「実は俺、今腹が減って仕方なくてですね......できることなら同じ防人のよしみでそれを分け与えて欲しいのですが」


 彼女が目を見開き、花が開花するかの様に口角を上げ、顔が再び輝いた。なんてわかりやすい。


「ええ。それならば仕方ありませんね。私は同胞たる防人には寛大なる慈愛の心で対応しようと決めていますので。どうぞ!」


 結果的にではあるが、タダ飯。獲得。人助けもして気分がいい。やったぜ。






 彼女の座る床几に相席し、俺と彼女の間に飯が積み上がっている皿を置くことになった。全部うまそうだ。早速いただこう。まずはあの串焼きを手にする。それを纏めて五本一気に食べた。肉汁が溢れ出て、味付けが俺好み。美味。


 横に座る彼女もゆっくりではあるが食べていく。いい機会だ。この飯が食べ終わるまでは離れることはないだろうし、色々聞いてしまおう。


「俺はタマガキの防人の玄一というのですが、貴方は......あの参謀の護衛の防人でしたね。お名前は?」


 肉を頬張る彼女が一度飲み込んで、口を隠しながら言った。


「私は愛海あいみと申します。悪いですが、今回私は血盟と戦いに来たわけではありません。成瀬殿の護衛です。成瀬殿が血盟に襲われるともなれば戦いますが、それ以外で動くことはないので力を借りれるなどとは思わないよう」


 言っていることは強気だが、先ほどの下りを見せられたあとだと威圧感に欠けていた。


「そうか。それは残念だな。貴方みたいな強そうな味方が増えれば心強いというのに」


「褒めたって何も出ませんよ。私は私の仕事をするだけです。自分の領分を守ります。......まあ今は成瀬殿に席を外せと言われたのでこうして暇つぶしに茶屋に寄ったのですが......災難でした。まさかタマガキの住人がここまで防人と距離が近いなんて。帝都じゃ普通ありえません」


 言い訳をするように今護衛の任についてない理由を説明する愛海。随分と真面目そうな人だ。民衆を無下にしてはいかんと、そうでもなきゃあんな押し売りもされないか。普通。


 愛海の方を見る。彼女は、目を細めて道行く人々を眺めていた。


「ここはとても美しいですね。皆がその出自に囚われず、笑いあって、対等だ」


 彼女の言葉の意味を噛み砕く。彼女が比べているのは、このタマガキと帝都の有り様だろうか。


「......私もこう有りたかった」


 彼女は何かを後悔するような、悲しそうな顔をしている。とてもそれを茶化すような気分にはなれなかった。


「今からだってなれますよ。きっと」


 楽観的な俺の発言に彼女が冷笑する。その笑みは、自嘲の笑みか。


「私にはしがらみが多すぎます。きっと無理でしょう。では、そろそろ時間なので失礼します」


 彼女が立ち上がる。その姿を見て、外から来る兄さん以外の人間を信用するなと言っていた山名のことを思い出した。しかしながら、少なくとも彼女自身の意志で何かタマガキを脅かすようなことは無さそうに見て取れた。彼女は自らを卑下しているようだったが、一目見てわかる。彼女は清廉な人だ。


 昼食どきはとっくに終わり、日が沈んでいく時間。今日の夜もまた、見廻りの任務がある。できれば万全な状態で挑みたい。家に帰って仮眠を取ろう。ちょうど、満腹になったしな。


 右下を見やれば平らげられた大皿。それを屋台のおっさんに返し、帰路につく。彼女との関わりはこの場で一度なくなるだろうと予期したが、きっとまた、繋がれるような気がした。


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