第四十七話 昏き夜

 

 秋月と待ち合わせたタマガキ本部から下町へ向かう。到着したのはいつの日か御月とアイリーンと共に訪れた商い通りから少し外れた住宅街だ。夜空には雲ひとつなく星々が輝いていたが、月明かりにかき消されはっきりと見えないものが多い。本来であればこの暗闇の中、霊力を使うなどして足元を照らすべきだったかもしれないが、月明かりと防人の視力のおかげで不要だった。


 あたりは静まり返っていて、まるで町全体が眠っているようだった。今夜、俺と秋月は殺害事件が起きていた場所を順番に回り、怪しい者がいないか見廻っている。


 一連の殺害事件は血盟の犯行の可能性が高い。それ故にただの見廻りとは違い、俺たちは防人として完全武装していた。


 俺の赤を基調にした制服の腰元には二本の刀が差し込まれている。背中にはテイラーが作ってくれた”血浣熊”の素材を使った翼を装着していた。


 後ろを歩く秋月は昼間の格好とほとんど変わっていないが、今彼女の両手には関節を保護し霊力の流れを促進させる補助器具のようなものがはめられている。それは多くの防人が着けるもので有ってもなんら不思議ではないが、それと比べて彼女のものは少し違った。その補助器具には彼女の手首から手のひらを覆う布に加えて、彼女の人差し指と中指を固定する金属のようなものを付けている。これも他の補助器具と同じような目的で使っているのだろうが、あまり見たことがない。おそらく特注品だ。具体的な効果はわからないが。


 昼間戦った時の彼女の戦闘スタイルを思い返す。彼女が最も得意とするであろう射撃という攻撃手段は非常に強力かつ安定している。相手と距離をとって戦うことができるし、魔物が現れる前は銃火器が最も強力な武器だったとされていたぐらいだ。


 俺の射撃に近い遠距離攻撃は『風輪』による太刀風のみだし、できることならもっと手札を増やしたい。彼女から何か閃きを得られないだろうか。聞いてみる。


「なぁ秋月。君の霊技能スキルはどんなものなんだ?」


「ん? 私の霊技能スキルは『示指じし霊砲れいほう』って技よ。......私は背丈がなかったから、他の人が使うような武器は扱えなかったのよ。それで霊弾ばっかり使ってたらいつの間にか特霊技能ユニークスキルに認定されてたわ。あんまり大したものでもないわよ」


 『示指ノ霊砲』か。確かに彼女の攻撃の威力は、砲と形容されるに相応しいだろう。


「一般的な技能が防人に認定されるほどの強さになったのだからすごいと思うが......どうやってそんな威力の霊弾を撃っているんだ? 俺の霊技能にも応用できるかもしれないし、聞きたいんだが」


 彼女が顎に手を当てて、唸った。


「ん。別にいいけど。多分あなたの霊技能には応用できないわ。だって私のは内側から放つものだけど、あなたのは外から集めるものじゃない。根本が違うわ」


「......どういうことだ?」


 会話を続けつつ見廻りも続けた。喋っている間も誰か怪しいものはないか、目を光らせている。


 秋月の答えを待ちながら歩き続けていると、突如として秋月が後ろから駆け寄り俺の前に出てきて、手を伸ばし俺を一度止めた。


「前方......1km先に誰かいる。多分男。こんな夜遅くに誰一人いないってのに、怪しいわ。行きましょう」


 確かに彼女の言う通り、住人たちは殺害事件以降外出を控えているようで、深夜。誰も外にはいなかった。それだというのに、こんな時間に外に一人でいるなんて怪しすぎる。敵である可能性も否定できない。念の為脇差を引き抜き、左手に構えて、足音を出来るだけ立てぬよう、走った。


 霊力が体内を駆け巡る。それに合わせて身体能力が大きく向上したのを感じた。後ろから秋月も駆けてきており、あの男との距離がどんどん縮んでいく。男が曲がり角で右へ曲がった。見失うわけにはいかない。追いかける。


 『風輪』も使い速度を上げ、ふわっと宙を浮き曲がり角で着地する。奴が曲がっていった方向には......誰もいない。隠れられるような遮蔽物もないのに、何故。いったいどこにいったんだ。


 後ろを振り返ると秋月が、こちらへ戻るように手振りで知らせてきていた。人差し指と中指を立て、口元に置き静かにするように示した後、ある家を指差している。そこに何かがいるようだ。足音を押し殺して、近づいていく。


 歩いていくうちにすぐ気づいた。その家から、嗅ぎ慣れた匂いがする。


 それは━━泥臭くドス黒い、血の匂い。


 それに加えて鼻を今すぐ摘みたくなるような━━腐臭を感じる。


 悪寒がした。










 秋月と共にその家の戸へにじり寄っていく。声は出さない。秋月が扉の前で立ち止まって、右手を鉄砲の形にして左手でそれを補助し構えた。目配せをし、彼女の意図を理解して頷きあう。


 右足を上げ扉を蹴破った。刀を構えて突入する。後ろから秋月の指先に霊弾が生み出される音がしていた。


 しかしそれが放たれることはなかった。何故なら、そこにはすでに誰もおらず、外から差し込まれる月明かりが赤黒い何かを照らしていたから。


 形をとどめているのは頭だけだった。左目がこぼれ落ちており、右目は既に亡い。女性だったのだろう。その長い髪の毛は真っ赤な湖に浸され、腸と指がバラバラになって浮いている。胴体や腕はどこにも見当たらなかったが、食われた跡のある足が一本だけ、投げ捨てるように置いてあった。


「間に合わなかったか......」


 十中八九先ほどの男だろう。翼を広げ、全力で最初から斬りかかるぐらいの気持ちで行かなければいけなかった。俺はタマガキの防人だ。彼らを、守らなければいけないというのに。


 刀が打ち震える怒りで揺れた。いや、本当は怒りなんて感じてなくて、秋月の前でそう感じているようにするために、刀に力を込めているだけじゃないのか。


 秋月が、じっとこちらを見つめている。それは驚きを隠そうとしているけれど隠せないような、そんなもの。彼女の瞳に、俺はどう映っているんだろう。


「あなた......本当に新人? こんな凄惨な遺体を見たら、普通萎縮するわ。こんなの......防人でも普通見ないわよ」


 沈黙。匂いの発生源を目の前にして、嗅覚が麻痺していた。その匂いが呼び起こすのは不愉快なものではなく、ただただ、懐かしい日常だった。


「............秋月。今までの現場は血痕があっただけか、何者かに弄ばれ、後処理が施されていて情報が得られなかった場所だけだったはずだ。奴は近寄ってくる俺たちに気づいて、急いで逃げたらしい。何か手がかりがあるかもしれない」


 秋月が、こちらを悲しそうな目をして見ていた。その目が見ているのは何か。そのような、目で、見るな。俺は、変じゃない。







 翌日、他の兵員により詳しい調査が行われ、残っていた被害者の遺体から人間以上熊以下の大きさの何かが彼女の体を貪っていたと発覚した。腐臭の正体は、被害者の内臓から出てきたものと辺りに散乱していた大量の涎だった。



 今日、踏破群がやってくる。






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