第四十三話 帰還命令

 


 タマガキに帰還せよという郷長からの指令を聞いて驚いたのは俺だけでなく、その場にいた御月と特務隊の副長も驚いているようだった。


「待ってくれ甚内。帰還命令? どういうことだ」


  その驚きからか、彼から言われたその指令を理解するのに十秒ほどの時間を要した。唐突すぎて何故なのかがわからない。


「甚内。私からも聞きたい。玄一を下げる理由はなんだ」


 体を前のめりにして手を机に着けた御月が、横からずいっと出てくる。

 考えられる理由としてはやはり......奉考の死だろうか。


 その問いに対し、甚内が黒装束の中から何かを取り出した。彼が持っているのは、一枚の紙。


 彼が机の上に投げて寄こしたその紙は、帝都から発行されている手配書だった。


 そこには女性と思われる人物の人相絵が書かれている。その人物の髪の毛は御月よりも短いくらいで、肩にかかるほどの長さはない。そんな人相絵に加えて、そこにはその人物の身体的特徴が箇条書きにまとめられていた。


 その手配書を見たときに何よりも驚いたのは、そこに書かれている懸賞金が魔獣討伐手当の数十倍の額だったということだ。生死は問わないと書かれており、一刻も早くこの女性を確保したい政府の意向が見て取れる。


 そこには、第玖血盟 屍姫という名が書き込まれている。とても人の名前とは思えないし、どういう意味だろうか。


 その手配書を見て御月が息を呑む。それを見て甚内が口を開いた。


「帝都で踏破群に追い詰められた血盟の一人が西に逃げた。タマガキ近辺に潜伏していると可能性が高い」


 ドンッと机に拳を叩きつける音が陣幕の中に響いた。御月が前髪をかきあげ言う。


「再び西に災禍をもたらすか......血脈同盟」


 彼女の表情が一変する。漏れ出る殺気は魔獣に向けられたものに近く、その表情は今日”千手雪女”と対峙した時のものと何ら変わらなかった。


「ひよった内地の豚どもではあるが......こいつを逃す気は無いようだ。こいつを追ってタマガキに踏破群が来る」


「どの踏破群だ?」


「第四踏破群。関永のとこだ」


「彼が来るのか......それは不幸中の幸いだな。彼なら、信頼出来る」


 御月と甚内の間で会話が続いていく。知らない用語が多く、まったく話に着いていけない。彼らの会話から推察するに、血盟と呼ばれる指名手配犯を追って最精鋭である踏破群がタマガキの郷にやってくるということだけは確かなようだ。だがしかし、血盟と呼ばれる犯罪者の危険性がわからない。


「あのー......すまない。血脈同盟だとか、血盟って何だ?」



 奥で聞き手に徹し茶を入れていた特務隊の副長と、会話を続けていた二人がずっこけた。







 姿勢を正した御月が、甚内の方からこちらに向き直る。


「君がそういった話に疎いのを忘れていた......すまない。私の配慮不足だ」


 御月に謝られ凄く申し訳なくなる。どう考えても俺が悪いというのに、やめてほしい。


 その様子を見て横に立つ甚内が笑っている。その笑みは俺の無知を嘲笑うようなものではなく、微笑ましいものを見ているようなものだった。その対象は俺ではなく御月なようだ。

 

 右手の人差し指を立てて、彼が言った。


「玄一くん。わかりやすく説明すると、血脈同盟とは魔獣以上に危険な反政府勢力だ。五百名ほどの人員で構成されている秘密結社で、幹部である血盟と呼ばれる人物の実力はトップクラスの防人と同等であると目されている。そして」


「三年前の戦いの折、郷長の右腕を奪った連中でもある」


 その一言を聞いて、意識が切り替わった。


 郷長......古くから大功を立てその名を轟かせてきた、サキモリ五英傑の一人である山名を負傷させた相手。それだけで、血脈同盟と呼ばれる組織の戦闘能力の高さを垣間見た。もしそんな危険人物がタマガキに訪れるというのなら、捨て置けない。


「今、我々の状況は苦しい。前門には空想級魔獣。後門には血盟。戦力の大半を西に移し、防備が手薄になっているタマガキを守らねばならない」


「そこで郷長は私と君、そして南にいる防人を一人下げてタマガキに回すという判断を下した。果たしてこれが正しいのかはわからないが......私は彼を信じる」

 

 副長が湯呑みを三つ、お盆から机に置いた。御月がそれに感謝の言葉をかけて、一息ついた後口を開く。


「では、甚内。仇桜作戦は......」


「ああ。一時凍結だ。現時点の戦線を維持し、再開を待つ。本来の作戦の趣旨とは大きく外れるがね」


 その言葉を噛み砕いているのだろうか、返事をせずに、御月が沈黙を保った。


 甚内が、御月の切羽詰まったような表情を見て言う。


「御月。君がタマガキに行きたい気持ちは痛いほど分かるが、空想級がいる以上君には残ってもらう」


「......分かっている」



 同意したものの、彼女はかなり不満げだ。それを見て見ぬふりをする、御月をなだめた甚内が一息つこうと、口に覆った布を外さずに茶を啜る。一体何してるんだ。


 一瞬、彼が目を泳がせる。どう見ても素で口を覆った布の存在を忘れていたようにしか見えない。しかし今から取り繕うのも嫌なのだろうか、口元からボタボタ茶を垂らしながらも、あたかも何事もなかったかのようにして真顔のままだ。


「甚内」

「玄一くん。忍者たるもの常に顔は隠していないといけなくてだね、うんこれは決して間違えたとかそういうのでは」

「その話じゃない」


 喉を鳴らして、問いを投げかける。


「俺が下げられる理由は何だ? 正直に言って、郷長に傷を負わせる程の実力を持つ相手に、戦えるとは思えない」


 その素朴な疑問に対し、甚内が再び人差し指を立てて、答えを返した。


「敵の具体的な数が分からず、一人でも多くの防人が欲しいからだ。それに......空想級が君に謎の執着を示した以上、出来れば前線に置いておきたくないというのが、郷長の判断らしい」


 その言葉を聞いて、御月が頷きながら口を開いた。


「確かに、私と交戦している時に空想級が意識のいくらかを玄一の方に向けていた。執着心があるというのもあながち間違いではないと思う。私はその判断に賛成だ」


 御月が暗い目をして、言った。


「それに......できれば玄一に我々の敵を把握していて欲しい」







「では玄一君、明日の朝出立する。準備していてくれ」


 そういった甚内がその場から煙を残し消える。布の上から茶を啜る割には忍者らしい動きだった。


 彼が去ったのを見届けた後、急に疲れがドッと体に重くのしかかる。体が眠りを欲していた。


 今日はあまりにも多くの出来事が起きすぎた。出撃。幻想級と交戦。空想級との遭遇。奉考の死。御月の真の力。降って湧いて出た敵、血脈同盟。もう、何も考えれない。


「報告書の話だが......何か特別書いておきたいことはあるか?」


「御月。悪いが俺はもう寝る。空想級に関しては俺が郷長に直接伝えることにするよ」


「ああ。分かった」


 陣幕から出ようと垂れ幕を除ける。自分の寝床へ向かおうと足を一歩踏み出したその時、御月が後ろから声を掛けた。


「今日はお疲れ様。君はよく頑張った。ゆっくり、休んでくれ」


 彼女の優しさが身に沁みる。振り返ってじっと見てみれば、その年齢の割に大人びた端麗な顔立ち。美しく可憐な女の子ではあるが、今日わかった。その実力は紛れもなく西部最強。あの場所で見た神秘を忘れることはないだろう。


 長く見つめていたものだから、彼女が何事かと首を傾げた。何でもないと返事をして、踵を返す。


 外に出れば、雲を掻き分け月が出ていた。その輝きは、今日見た彼女と何ら変わらなかった。


 


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