第四十二話 伝令

 


 橙色に染まった空を飛ぶ。


 ”千手雪女”の姿はとっくに見えなくなり、滞空するように、俺たちはゆっくりと拠点へ向けて移動していた。


 俺の隣にいる御月は空を飛んでいるというよりかは、空を蹴り、跳躍しているとも言えるような動きをとっていた。彼女の髪の毛や月華は、戦闘状態を解除したのと同時にその威勢を弱め、元の大きさへ戻っている。彼女の瞳に輝いていた金色の光は、気づけば消えていて黒目に戻っていた。


 彼女が淡々とした声で確認をとる。


「ちょうど設営を進めている時に、霊弾が空に上がるのを見た。それから全速力で移動を開始し、特務隊の多数と合流したのだが......奉考の姿が見えなかった。行方を知っているか」


「死んだよ。食われるのを見た」


 見てられなかった。目を逸らそうとした。それでもなお、目に焼きついた彼だったものの姿。思い、出したくない。


「そうか......今作戦の発案者が戦死したともなれば、混乱は避けられないな。玄一?」


 気がつけば、砕け散りそうなくらい歯を強く食いしばっている。握った拳からは、血が漏れ出た。


 彼女が俺を見て、辛く、苦しそうな顔をしている。彼女が絞り出すように声を出した。


「玄一。相手は空想級。君が生きて帰ってくれただけでも良かった。残念だが、人が死ぬのは戦場の常だ。そして、それは我々防人も例外ではない。それを......忘れないでくれ」


 空白。


「御月! それは違う! 彼の、彼らの死は! 当たり前のものとして片付けられるべきじゃない! 全て、俺が、俺が不甲斐ないせいで!」


 気づけば、荒げた声を出していた。何故俺は彼女に八つ当たりするような真似をしているんだ。この威勢を、奴と相対した時に出せれば良かったのに。自分の身が安全とわかれば騒ぐのか。愚図が。


「玄一」


 伏していた顔を上げ、彼女を見る。

 御月が普段の彼女には見られない、死んだような目をしていた。見ているのは俺か、別の何かか。


「確かにその通りだ。だが、それと同時に君があの状況で出来たことはない。断言する。あの場で奴は確かに実力の片鱗を見せたが、死力を注いだわけではない。そして、それはまた私も同じだ。空想級との戦いで、君が出来ることはなかった。だから、不必要に、自らを責めるのは、やめてくれ。ありえたかもしれない可能性を空想するなど、無意味だ」


 彼女が顔を背ける。


「御月......」


 こちらを慮る彼女の優しさがその声色と仕草から見えた。けれど。


「御月。それでも俺は、自分を責めないなんてことは出来ないよ......」


「ああ。それは」


「私も同じだ」


 御月が悲しそうな顔で、俯いていた。









 それから俺と御月の間に会話は無く、ただ帰路についた。


 逃げ回っている内に結構な距離を移動していたようだ。拠点化が済んでいるであろう要塞に戻るのに、思ったよりも時間がかかる。


 遠くに見える篝火の光。先ほどまで魔物に占拠されていた城塞は、無事制圧に成功し、既に兵士たちは設営を終えているようだった。


 砦の手前で御月と共に着陸する。その勢いで土煙が舞った。

 門の前で警備を行う見張りの兵士が敬礼をこちらに向けていた。篝火の中からパチパチと燃える音がする。


 彼らに敬礼を返しながら門まで歩みを進めた。

 城塞の中に入ると、すでに兵士たちが使うであろうテントが張られており、その奥には一際大きな陣幕があった。兵士には待機命令が出ているようで、一部の兵士たちは焚き火を囲い、糧食が配られるのを待っているようだった。


 彼らが無言で、こちらを眺めているような気がした。


「玄一、こちらへ来てくれ」


 前方を歩いていた御月が、垂れ幕を除けて、中へ入る。彼女に続いた。


 陣幕の中に入ると、中央には大きめの机がある。その上には霊信室にあったような地図があり、加えて駒がその上に乗せられていた。この陣幕の中に二人、人がいる。特務隊のものと思わしき兵士が一名。そして。


「......甚内?」


「久しいな。玄一くん」


 陣幕の中にいた人物、甚内は、相も変わらず黒装束を纏っている。しかしながら彼の姿は今までと違った。彼は今完全武装とも言うべき装備を身に纏っている。短刀を腰に差し、苦無、手裏剣、爆薬を身体のあちこちに付けていて、それに加え彼の動きを阻害しない程度であろう防具を付けていた。


「私がここにいるのには理由がある。だがその前に、状況を整理したい」


 いいか? と許可を求める彼に頷きを返した。彼が人型の駒を手にして、黒染めの駒、そして意匠の細かい2つの駒を地図上に配置した。


「順序を追っていこう。まず、本隊の道を作ることを目的とした先鋒は、奉考率いる特務隊及びタマガキの防人である御月と玄一の元、予測より速い速度で進撃を開始した」


 彼のその発言に合わせて、地図上に置かれた駒が西へと移動していく。


「その後、魔物の領域に置かれ、ダンジョンと化していた旧カゼフキ城塞へ肉薄。迎撃に現れた幻想級魔獣”槌転”を撃破した後、戦力を御月率いる攻略隊、及び奉考率いる哨戒隊に二分し、行動した」


「ここまでは合っているな?」


 その問いに、御月と俺は首肯する。


「ここからが問題だ。空想級が現れた、という断片的な情報しか我々は共有出来ていない。詳しい話を聞きたいのだが」


 御月の方をちらりと見た。彼女と目が合う。そして、彼女が頷いた。


「その場にいた俺が説明する。翌日進撃する経路を確認しようと、踏み入った地点で異変が起きた。雪が降ったんだ」


 駒を奴との遭遇地点へ動かす。


「そして、前方に人型の魔獣が立っていた。名を、”千手雪女”。未確認の空想級魔獣だ」


「空想級の出現は事実だったか......」


 目を閉じ、こめかみに指を当てた甚内がどこか遠くの方を見ている。そのまま続けてくれと彼が言った。


「その後、奉考の命令で特務隊は撤退を開始。彼らの撤退に助力するためにも、俺が単騎で奴を引きつけて御月の到着を待つことになった」


「この時、俺は......正気を失ってしまった。それ助けようと奉考は俺を激励し、特務隊が撤退する中、最後まで残っていた」


「それが原因で......彼と他二名の兵士が逃げ遅れ戦死した。彼らの死を、ここに報告しておく」


 御月は俯き、甚内は指をこめかみに当てたままだ。特務隊の兵は、資料を取り出し何かを書き込んでいる。


「聞きたいことがあるのだが、いいか」


 甚内がこちらを見て言う。


「ああ」


「その空想級は直ぐには襲ってこなかったんだな? そうでなければ玄一くん。君が生きているのと特務隊のほとんどが生存していることに説明が付かない」


「その通りだ......そういえば、奉考が言っていた。理由は分からないが、奴が俺に執着していたと」


「執着......? まあ今はいい。その事は後で聞こう。続きを頼む」


 頷きを返し、口を開く。


「ああ。その後単騎で奴から逃走を始めた俺は、空を飛んで南の方へ向かった。道中、奴からの攻撃を受けたが、奴からすれば遊んでいるような、そんな感じだったと思う。怪我を負うこともなく、とにかく必死で時間を稼いだよ」


「そして、その途中で......奴の体から奉考と兵士の生首が出てきて、それを奴が食った。それで頭に血が上った俺は反撃をしたが、意味はなかった」


「そうして逃げているうちに、段々と追い詰められていって、墜落した。あと少しで殺されるという所で、御月が到着し、暫く交戦した後、撤退し今に至る。それが大まかな事の顛末だ」


 額から指を外した甚内が言う。


「そうか。よく分かった。私を通して全体に通達しておく」


「......? どういうことだ?」


「ん? ああ。私は分身した私を通して得た情報や感覚を共有することが出来るのだ。南の隊、主力、タマガキに今伝えたぞ。霊信号が使えないこのような場ではなかなか役に立つ」


「なかなかどころか凄まじく有用だな......それは」


 甚内が手を机に付ける。後頭部を搔いた後、御月の方を向いた。


「大太刀姫。奴の異能について聞きたい。空想級魔獣”千手雪女”の異能は明らかになっているか?」


 そう聞いた甚内を見て、御月が顎を右手で触りながら答える。


「これは推測に過ぎないが......奴の異能は魔力で満たした地点の停滞化。そして完全停止だ。文字通りその場にある奴を除いた全てのものが停滞し、停止する。時そのものが遅れて......止まっているようだった」


「なんと強力な。それではこちらから攻め入るのはほぼ不可能に近いな」


「ああ。奴と戦った時かなり動きづらかった。意識と体のズレが凄まじい。何か策を考えておかないと勝てない」


 深刻そうな表情を見せた御月が、続ける。


「細かい奴の動きに関しては報告書にまとめる。玄一。手伝ってくれ」


「ああ。分かった」


 これから俺たちだけではなく、友軍が奴と交戦することがあるかもしれない。知る限りの情報を、全て書き込まねば。


 それはそうとして、何故本隊にいるはずの甚内がここまでやってきたのだろうか。前線の情報を聞くというのが順当なものだろうが、彼がここに来ているのには理由があると言っていた。他にもあるのかもしれない。


「甚内、それで君はなんのために来たんだ? 本題があるのだろう?」


 その疑問を、俺が聞く前に御月が口にする。それを聞いた甚内が、喉を鳴らした後、言った。


「私は君たちの情報を全体に通達すると共に、郷長からの指令を伝えるために来た」




「玄一。帰還命令だ」




「は?」


 驚きで声が自然と飛び出た。

 

 

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