第四十一話 雪月花

 

 御月が雪の結晶を真っ二つに断ち切った瞬間、明確に自らを殺しうるであろう敵を確認した”千手雪女せんじゅゆきおんな”は、先程までとは比べ物にならない量の雪の結晶を展開し、彼女に向けてありとあらゆる角度から放った。それぞれが違った軌道を描き、彼女に向かって進んでいく。それに加えて、奴の氷柱の火砲が彼女に向けられていた。


 宙を浮かび、刀身を軸に回転した月華が、彼女の手元へ。


 弾幕と形容するに相応しい数。逃げる隙間もなく、空間を埋め尽くす決死の攻撃に対し。


 彼女はただ、その大太刀を右に薙ぎ払った。


 彼女の月華から月光の斬撃が放たれ、軌跡を描く。


 その弾幕が覆い隠されるように、月の光で埋め尽くされた。奴の結晶と氷柱は蒸発し、もう場を支配しているのは奴の雪の魔力ではない。月の霊力だ。月色の煌めきが宙に漂う。


 人智を超越した防人と魔獣の戦いはまさしく神話の戦いであると言われているが、その理由を、今初めて理解した。


 俺が想像できる範囲からはるか彼方そらへ。どこまでも広がっていて、強く、美しい。


 (綺麗だ......)


 その美しさのあまり、自分がやっとの思いで見つけ出した奴の異能を彼女に伝えることすら忘れている。どこかのタイミングで伝えなければ。いや、その必要性すら本当は無いのかもしれない。


「ギギギギギキキキ!!!」


 御月の応戦に対し”千手雪女”は負けじと結晶を追加で生成し、再び彼女に向けて放つ。


 奴の雪の結晶は今までとは位相を変え、その放物線を描くような軌道から直角にあちこちを動き、先ほどのように一太刀で対応ができないよう全方位から向かってきている。彼女も全方位に向かって先ほどの光の斬撃ができれば対応は容易であろうが、それでは俺を巻き込んでしまう。彼女は絶対にそんなことをしないだろう。自らが足を引っ張っているという事実にいらいらした。頭がクラクラする。


 どうするんだ。彼女は。


 奴の動きを察知したであろう彼女は、月華を再び手放した。大太刀は彼女を守るように周囲を一回転した後、右前方から飛んでくる結晶に向けて飛翔する━━!


 月華が結晶のど真ん中を貫き粉砕した。その後、一回転。切っ先を別の結晶の方へ向け、奴の結晶と同じように直角的な動きをとる。迫り来る結晶を破壊し、別の結晶へ。


 そうして彼女の月華は迫り来る雪の結晶を全て粉砕した。


 都合、三秒。


 俺が対応することのできなかった奴の攻撃を、彼女はその場から動くこともなく対処した。


 月華が彼女の元に再び戻る。宙を浮き、彼女の右側面を守るように侍った。その動きはさながら生きているよう。彼女のために迫り来る敵を討ち、守る猟犬だ。


 彼女の表情に笑みは無い。ただただその金眼が奴を見つめている。


 奴と相対しつつも、彼女がこちらを気にかけていることに気づく。彼女とてここから空想級魔獣に対し真っ向勝負を仕掛けるつもりも無いのだろう。何故ならば、彼女は俺を助けようとしているから。俺は俺の役目を果たす。


「御月、奴の能力はおそらく凍土で覆った場にいる森羅万象全てに停滞化を施す能力だ。俺は離脱できるよう今すぐ体勢を立て直す」

「ああ」


 その短いやり取りを終えた後、再び起き上がろうと霊力を体にフル回転させる。それを見た”千手雪女”が腕を蠢かせた。明らかにこちらを狙っている。しかし。


「私の前でそのような隙を晒すとは。舐めた真似をしてくれる」


 この世界よりも凍てつくような声。


 彼女が右腕を鋭く前方へ突き出した。それに合わせて月華が幾何学的な模様を月の霊力で描き纏い、そして、射出される。


 今まで見たどんな攻撃よりも早い。何十本か奴の腕が引きちぎれて、千手で蠢く塊に風穴をブチ開けた。それに合わせて、青黒い血が吹き出る。奴はキョトンとした表情をして、彼女から攻撃を受けたことすら気づいていない。あれ、御月はどこだ。もしやもう既に━━


 御月は気づけば奴の背後をとっている。その手に武器は無いが、彼女の伸びた黒髪が風に靡き、その手にはとてつもない量の霊力が収縮していた。


ッ━━!」


 二撃、三撃。彼女が奴を殴打する。そして最後に右手を大きく広げ━━━━


 その右手目掛けて飛来し彼女の手に納まるのは月華。大太刀の使い手がそれを鋭く振るう。


 対し遅れて御月の追撃に対応する”千手雪女”が、千手を絡ませ、ねじり大きな腕を作り出した。その先に氷の剣を生成し、御月の斬撃を受け止める。


 剣戟の応酬。彼女の月華と奴の氷剣がぶつかり合い、その場で爆発が起きてしまいそうなぐらいの火花が散る。


 しかし剣の実力であれば御月の方が何枚も上手。奴が対応出来ない速度で連撃を加え、次第に押していく。惚れ惚れするような太刀筋。その姿はかすかに見覚えのあるものだった。


 剣戟の嵐の中、彼女が隙を見て奴の剣を巻き上げる。彼女がうまく巻き取ることに成功し、奴の氷剣が明後日の方向へ飛んで行った。彼女が返す刀で月華を振り抜く。


 がら空きになっていた奴の千手を、まとめてを輪切りにした。


「ギガがギギギギギギギギギギャギャギャッギャギャギャギャギャぎゃッぎゃァァアァァァァアああああああああああァァァアあああああああああああああああああああ!!!!!」


 奴が大きく後ろへたじろぐ。その首が、がら空き。

 彼女が月華を即座に持ち直し、横へ薙ぎ払う。


 思わず声に出した。


「獲ったッ━━!」


 首を獲ったと思ったその時、彼女が奴の首元で月華をピタッと止め、背後へ跳躍し雪が舞い散る。奴の方へ振り返ることなく、真っ直ぐに俺の元へ。


 何故彼女は奴を仕留めなかったんだ? そして何故俺の方へ?


 そう思ったのも束の間、前触れもなしに彼女の霊力で打ち消され感じていなかった奴の魔力が、場を再び包み込んだ。


 何事かと奴の方を見てみれば、奴のぶった切られた腕が宙に浮いている。一度バラバラになって再び重なり合ったと思えば、切られた腕同士が手を繋ぎ始めた。その後手で出来た円環が凍って、巨大でいびつな形の雪の結晶が出来上がる。


 ヤバイ。


 何が起こるか全く想像もつかないが、彼女はこの動きを察知したから後退したのだ。あのまま強行することもできたかもしれないが、万が一仕留め損ない俺が死ぬシナリオを想像したはず。それで退かざるを得なかった。ちくしょう。


 しかしできることはあるはずだ。霊力を右手の手のひらへ。雪をかき分けて、地に直接触れた。


「残ッ! 月ッ!」


 こちらへ下がる御月。月華を振るうこと五回。月光の斬撃が奴を牽制するように前へ。その斬撃の威力と大きさは、”槌転”と戦った時のものを優に超える。


 俺の元へ駆け寄った彼女が膝を付き、手にした月華を構えた。こちらに気をかける余裕もなく、焦燥の表情を見せている。このような彼女は初めて見た。彼女が何に恐れているのかさえ、分からない。


「明月ッ!」


 御月がそう叫んだ。球体のようにして彼女と俺を包む月明かり。それが何枚にも折り重なり、月の霊力が迸った。


 対し奴はさらに魔力を高め、その背には腕でできた雪の結晶がある。雪の結晶と形容するには、その色が違った。奴の血液を含んだ結晶は、青黒く、赤黒く、禍々しい様相を醸し出している。


 その雪と血の結晶が俺の輪のように回転し、綺麗に分裂して、


 いったい何が......周りを見て状況を確認しようとするが、


 首を動かせない。まぶたが動かない。自分の体が、思考と視界をのぞいて完全に停止していることに気づいた。


 奴が歩みを進める。道中には、御月が放った残月。それに奴の人差し指が触れ、砕け散った。


 後、四つ。

 歩く。触れる。砕ける。

 歩く。触れる。砕ける。

 歩く。触れる。砕ける。近寄ってきた。

 歩く。触れる。砕ける。奴が肉薄してきている。


 どれくらいの時間が経ったのか分からない。その間抵抗することは出来ず、少し前にいる御月も動かない。声をかけようにも声は出ず、文字通り、何も、出来ない。


 奴を阻む障害はなくなった。先ほど奴がやったように、もし俺たちに触れたら、砕け散ってしまうのだろうか。


 奴がにじり寄ってくる。ここで奴の顔を初めて近くで見た。こいつが奉考を食べたのだと思うと、怒りと悲しみが胸に突き刺さる。そして最後に浮かんだのは、彼が打ち消してくれた恐怖だった。動けず体は震えていないのに、心が震えている。


 奴が歩み寄り、彼女が明月と叫んだ月色の球体に、触れた。


 明月は、残月のように砕け散ることなく、この空間の中震えて耐えている。それを見た奴が、手のひらをベタッと押し付けてきた。それでもなお、割れない。


 一本じゃ無理だと思ったのだろうか、その数を減らした千手が、明月を覆うように蠢く。その千手が夕日の光を遮り、手元にあるのは月明かりのみ。それでもなお、割れない。


 苛立ったのだろうか。奴がその顔を明月に押し付ける。そのぶつかった音で、ゴン、という音がなった。


「キキキキ」


 目が血走っている。御月と俺を舐めるように見据えた。


 果てには舌を出して。


「ビシュオレロロレロレロレロレロレロキレロキキキ」


 月の防壁を、直接舐め始めた。


 底気味が悪い。不気味だ。いつまで御月の盾は耐えれるのだろうか。奴から視線を逸らそうとも動かない。精神を蝕む。


 奴が明月にのし掛かり、さらに圧力をかけ始める。まずい。亀裂が走ったのが見えた。きっとそろそろ。



 明月が砕け散った。それと同時に自らの死を覚悟する。



 いや、違う。明月がした。月の霊力が四方八方へ。場を完全に支配していた奴の魔力を濁らせた。


 奴に月の霊力による爆発が直撃し、奴が吹き飛ぶ。だが足りない。奴がもう一度場を魔力で満たそうと、一度分裂し静止した雪と血の結晶を再び生成しようとしている。


 それを止めるべく彼女の月華が動き出した。流星の如き軌跡が雪と血の結晶を粉砕し、新たな結晶を生成しようとする奴を追撃した後、踵を返し回転して、空を舞った。


 月華が彼女の元へ戻ることなく、大地に突き刺ささる。その突き刺さった場所が月華の影響で、円形にへこんでいるようだった。


 そこを中心に、月の霊力が展開されていく。


 雪が消え去り、円形にへこんだ大地を中心として、ゆっくりと荒廃した土地が広がり始める。雪の純白を打ち消して、代わりに灰色の砂塵が舞った。


 それを見た奴は焦るように月華から距離を取り、氷柱を生成し始める。そしてそれをすぐさま放った。対し御月は先ほどの明月のせいで消耗しているのだろうか、動きはない。


 ここが、引き際。もう俺の体も動く。せめて少しでも役に立たなければ。そう思って、右の手のひらから流し込んでいた霊力を、発現させる。


「『土塊ノ大壁つちくれのおおかべ』!」


 前方の地がせり上がり、奴の氷柱を防ぐ防壁が出来上がった。飛来する奴の氷柱を受け止め、耐えている。


 こちらの意図を理解した御月が立ち上がって、足に月の輝きをまとい始めた。それに合わせて、俺も翼を広げる。撤退だ。


「......『風輪』」

「月歩」


 空を飛び、空を蹴り、後退した。彼女と俺の間に言葉はなく、ただ向かい風が通り過ぎていく。


 空から奴の姿を見据える。こうして全体像を見れば、御月の一撃は奴の千手を半数近くを叩き切っていたようだ。


 お互いの引き際。それも痛み分けだろう。奴も、こちらを追うようなそぶりは見せない。


 ただお互い、ぶち殺してやるという意思を込めて睨み合っていた。





 この雪辱。必ずや果たしてくれる。





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