第三十九話 春の雪(1)

 


 奉考率いる特務隊とともに御月と別れ、ダンジョン周辺を哨戒することはや数十分。地図と照らし合わし、明日また進撃を再開するということで、辺りの地形が記録と変わっていないかどうかを確認していた。特務隊の中心で地図を広げる奉考は、顎に手をやりながら地図と睨めっこし、唸っている。


 彼の元へ歩み寄り、声をかけた。


「奉考。何かあったのか?」


 地図から視線を外しこちらを向いた彼が返答した。


「ああ。大した変化ではないと思うのだが......微妙に地形が違う。巨大な魔獣や魔物の存在を考慮すれば誤差の範囲内だが」


 彼のその答えを聞き、今まで多くの防人たちが戦ってきたという魔獣の姿を頭に浮かべる。


 俺は相対したことはないが、ただ歩いただけで周辺の地形を変えてしまうような魔獣も存在すると聞いたことがある。先の戦の折、アイリーンが相対した”猿猴”もその類に入るだろう。後の調査で、猿猴が移動経路に使用した川の水深が変わったと聞く。環境を変えてしまうような魔獣は、やはり恐ろしい。


「移動しただけで地形が変わるような魔獣か......俺に倒せるだろうか」


 巨大な魔獣が相手であれば、俺の攻撃も通用しないかもしれないし。


 まだ見ぬ魔獣のことを想像して不安を覚える俺に反して、奉考が笑みを浮かべていた。


「確かに巨大であるというのは時に脅威だが、ほとんどが見掛け倒しだ。魔獣の強みである強大な魔力が分散し、一部分に集中しないからな。先ほど交戦した幻想級魔獣も、あの体躯に強大な魔力が凝縮されてるから強い。故に、やたらでかいからといって臆することはないかと」


「そうか、勉強になる。ありがとう。奉考」


「問題ない。前途有望なタマガキの防人のためならばどんな疑問でも答えよう。これからもよろしく頼むぞ」


 彼が屈託のない笑顔を見せる。


 最初に出会った時はただの参謀の内の一人だと認識していたが、今までの指揮を見ていても指揮官として必要な胆力も備わっており、立派な男だ。彼は、皆から期待されるタマガキの若きホープなのだろう。


 しかしよくよく考えてみれば、彼の俺に対する第一印象は最悪だろう。霊信室であの日、戦いの熱気に当てられて失礼なことを言ったような記憶もある。この戦いが終わったら、何か詫びの品でも送らなければいけないかもしれない。


 それはともかく、今は戦いに集中せねば。


 体内にある霊力を確認する。幻想級と交戦したとはいえ、御月が主に相対したというのもあり、まだ余裕があった。おそらく問題ないだろう。


 霊力を使い、周辺に魔物がいないか探った。




 魔物の有無を確認した後、奉考に声をかける。


「まだ周辺を探るか? 俺の感知範囲は御月ほど広くはないが......今見た。わかる範囲内であれば魔物はいないぞ」


「ふむ。先ほどだが、ダンジョンの方から霊弾が上がった。魔核の破壊に成功したらしい、おそらく周辺に魔物がいないのもその影響だろう」


 おおおっという声が若い特務隊の兵から上がった。奉考は俺の質問に対し、こちらに返答するようにして全体に声をかけたようだ。喜びの声をあげた兵士が年上の兵士に軽くしばかれている。規律を守るためとはいえ、厳しいな。喜ばしいことであるのは事実であるというのに。


「御月殿達はこのままダンジョンの拠点化に移るようだ。我々は最後にまだ探索していない地点へ向かい、これを確認した後要塞まで下がる。気を引き締めて掛かれ」


「了解した。行こう。奉考」


 鞘を掴んで彼に答えた。





 歩みを進める。まだ日は暮れていないが、なんだかだんだん肌寒くなってきた。意外と夜が近いのだろうか。


 変則的ではあるが特務隊は俺を先頭に隊列を組み、殿しんがりには奉考がいる。今この中で最高戦力である俺が前方を警戒しながら進み、指揮官である奉考は後方で守られる形になっているのだ。


 歩き続けている内に、なぜか、。何か違和感を覚える。俺にはわからない、何かおかしい━━━━


 特務隊の一人が、おもむろに声を上げた。それを止めようとした別の隊員を制し、先ほどとは打って変わって真剣そうな表情を浮かべている奉考が聞く。


「どうした」


 発言の許可を受けた兵士が、不安そうな声色で言う。


「隊長。私は北の出なのですが......雪です。ほんの少しだけ、雪が積もっています」


「雪......?」


 地を見やると、ほんの少しだけ、白い雪が薄く積もっているように見える。何故、春真っ只中の今雪が。

 下を向いていたら、後頭部からひんやりとしたものを感じ、上を見上げる。



 明るい、春の陽気に包まれているはずの一帯に、雪が、降っていた。





 奉考が即座に決断する。


「総員! 探索を中止! 撤退する!」


「待ってくれ奉考」





 先ほどまで草木に包まれ真緑だった辺りが、前方に立つ誰かを中心に真っ白になっている。


 雪はおそらくあちらの方から来たのだろう。防人の能力か? いや、ここらに来ている防人はいないはずだ。



 一面の銀世界。しんしんと降り注ぐ雪。誰が、このヒノモトの西部の春に、銀世界を創るような雪が降ると信じるだろうか。



 この場にいる全員が息を呑んだ。体験したことがないくらいの寒さ。兵の一人が雪を踏み込み、ギュッという音がなる。


 前方には誰にも踏み荒らされていない処女雪。霊力で視力を強化し見てみれば、その中心に着物を着た女性と思わしき人がいる。どうやって雪を踏み荒らさずにあそこまで行ったのだろうか。こちらに背を向けていて、よく見えない。


「玄一! 見るな!」


 それが振り返る。端麗な女性の顔。その美しい顔がこちらに笑いかけて、その


 ゾッとする。美しく見えるが、あれはどう考えても人ではない。


 瞬間。奴を中心に、自らでは測ることも出来ない魔力で辺りが包まれた。


 まだ日は出ている。光が雪に反射して少し眩いというのに、真っ暗闇の中に突如として誰かにぶち込まれたような、そんな感覚。


 大きすぎる。


 人の形をしたその魔獣は、自分とは隔絶した領域にいることを無理矢理理解させられた。


 今まで相対してきた魔獣なんてこいつに比べたら屁でもない。比較対象にすらならない。いや、過去に一度だけこいつと同等と思われる魔獣と相対したことがあるが、その時には最強の防人がいた。今、その人はいない。


 この隔絶した差を前に、恐怖もなく、ただただ、理解が出来なかった。


 奉考が呟く。


「空想級魔獣......」


 女の形をした魔物が、その着物の中から千にもなるであろう手を挙げた。


 雪が舞う。



 

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