第三十二話 春月前夜。

 


 空には月と星々が浮かび、月が星々の輝きを掻き消してまでその輝きを存分に見せつけている。


 夜の空を一瞥した後、外から自分用に配された天幕に入った。俺の天幕は防人用のものだったのか、他の兵のものとは違い大き目のものになっており、中は広々とした空間になっていた。


 先日作戦の行使が決定され、奉考から部隊配置や動きなどの細かい話を通達されてから時が経ち、今日、作戦開始前日となった。既に部隊と共にタマガキを出て、カイト砦付近に設置された仮設の拠点に身を置いている。この基地はこのまま兵站を支える拠点となるようで、道中、食料品などの消耗品が運び込まれていた。


 作戦開始と同時に全軍が進撃を開始し、一気に勝負を決める。


 現在魔物の支配下となっている土地は元々西の土地であり、全ての地理情報が作戦本部の元にある。その上敵に勢いはなく、こちらにはそれがある。しかし、輝明が言ったようにこの作戦が危険というのもあながち間違いではない。それでも、この作戦に参加している全員が、ここで勝たなければ西の空に未来はないと知っている。


 激戦となるだろう。多くの人が死ぬかもしれない。だが、成し遂げねば。


 自分の役割の大きさを実感し、最初は感じていた高揚感も消えてなくなって、気分が悪くなる。自らの復讐にのみ注視していれば良いと思ったが、随分とこの地を気に入ったようだ。まだ半年も経っていないのに。


 ランプに灯をつけた後、水を注いだコップを手に持ち思いを巡らせていた。


 静まり返っていた場に、土を踏む足音が聞こえる。誰かが俺の天幕の前で止まった。


「玄一? 入ってもいいか?」


 外から聞こえてきたのは落ち着いた女性の声。御月だ。何の用だろうか。


「ああ。どうぞ」


 垂れ幕をかき分けて、彼女が顔を見せる。彼女は外套に帽子という、普段戦場で見慣れた格好になっていた。


「すまないな遅くに。明日共に戦うことになるから少し話をしたかったんだ」


 そのまま天幕の中に入り込んだ彼女は、笑顔を見せてちょこんとその場に座る。もてなしの茶などは用意できなかったが、コップに水を注いで彼女に手渡した。


 コップを受け取った彼女が俺の方を見て、何かに気づく。


「ん? 着ている装備が全て前のものとは違うな。どうしたんだ?」


 彼女が視線を俺の足元から頭まで行き来させる。それも当然。俺の靴から頭まで装備を全て一新したからだ。今、俺の装備は暗めの赤を基調とした和洋折衷の衣服になっている。それを彼女に見せつけるようにして体を動かした。


 披露できる機会が来て嬉しいと思ってはいたが、思いの外声が弾む。


「前討伐した魔獣や魔物の素材を使って作ってもらったものだ。性能も見た目も前のものよりかなりいい。霊力の通りが違う。それに、テイラーがいい仕事をしてくれてな。作戦開始に間に合わないかと思ったが完成させてくれたよ」


 彼はぶつくさと何か言っていたが、また素材をやると言ったら握手された。現金なやつである。


 彼女が微笑み、言葉を返す。


「流石だな彼は。ということは、前回行った時に......発注したのか」


 彼女が何かを思い出したのか、一瞬言葉に詰まっている。


「ああ。加えてある一つのを搭載している。戦場で使うのが楽しみだ」


 御月が装備の説明をする俺を見て、何か面白かったのだろうか、クスリと笑った。


「ふふっ、そうか。あらかじめ聞いておきたい気もするが、のちの楽しみにしておこう」


 彼女と他愛ない会話を続ける。こんな普通の時間が今は楽しかった。





 会話をしばらく続けるうちに、だんだんと心を蝕んでいた憂鬱が溶けてなくなったような気がした。楽しげな雰囲気を纏わせていた御月が、一度息を吸って、口を開く。


「明日、君と私で先鋒となり戦いの口火を切ることになる。出来るだけ君の方にも気をかけるが、もしかしたら手を貸せない時もあるかもしれない......戦う覚悟は出来ているか」


 彼女は真剣そうな表情でこちらの目をじっと見ている。明日は激戦。命の保証などはなく、西部最強と呼ばれる彼女でも生の確信なんてものは常にないのだろう。それに不安要素が拍車をかけ、こちらに問いているのだ。


 戦えるかを。どこまでも生真面目で面倒見の良い彼女は、ここまで気にかけていてくれている。



 不敵に笑う。堂々と。それに応えた。


「ああ。覚悟は出来ている。タマガキに来たばかりの俺だって、前の戦いで成長したはずだ。むしろ君を助けてみせよう」


 彼女が瞬きもすることなくこちらの目を見つめ続けている。それに応えるように、彼女の目をまっすぐ見つめ返した。


 彼女が不意にニコリと笑った。その表情に心臓が跳ねる。


「頼もしいな。ならばこれ以上の言葉は要らないだろう。では、明日」


 彼女が立ち上がり、再び出入り口となる垂れ幕に手を掛け、出ようとする。


 その隙間から、夜空に春月。


 その美しさには、言葉で形容できない何かがあった。



「きっと明日は勝ち戦だろう。だって、月がこんなにも綺麗だ」






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