第十話 御月ちゃんの防人講座(2)

 


 そんなこんなで始まってしまった御月による授業。彼女が爆睡していたアイリーンを文字通り叩き起こした後、口を開いた。


「というわけで! 先ほどの事態に一切危機感がない君たちにはいかに、このタマガキの郷が西部戦線において重要かを理解してもらう!」


 そう言い放った彼女はこちらに見えるように大きな紙を広げた。それはどうやら地図のようで、タマガキの郷を中心とした周辺地域の情報が書き込まれている。一目見てみれば、タマガキの郷は西部では最も大きい都市であることが分かった。


 地図上でタマガキの郷からさらに西の方に目をやってみれば、そこは山岳地帯で、魔物の動きを監視するために建てられた砦や小規模の前線基地がある。


 タマガキ東部には内地の方まで目立った都市はなく、小規模の拠点や村があるのみだった。ここらは帝都から出立した時に、通った場所なので知っている。


 しかし、タマガキは魔物の支配領域━━ダンジョンと接している訳では無く、拠点の重要性であれば文字通り最前線である他の城塞や砦の方が高いように見えた。


 そのことを聞いてみると、御月がその教鞭を使って地図上の拠点を指し、説明を始める。


「確かに一見すればタマガキが防衛に適した土地ではない以上、最前線の各拠点の方が重要に見えるが、それは間違っている。山岳地帯である西部最前線は後方からの補給で成り立っているのだが、各拠点の補給を行なっているのは交通の要衝であるタマガキだ」


 教鞭でタマガキにバツを描いた彼女が、続けて各拠点を叩く。


「もしタマガキが陥ちることになっては、西部の各拠点が孤立する。これを防ぐためにタマガキに兵を集め防備を固めたとしても、前線の各拠点を魔物に突破されるようなことになれば地の利を失う。我々西部はジレンマを抱え、いつ崩れてもおかしくない。そんな状況だ......」


 彼女が苛立ちを感じさせる表情でそう呟く。先ほどまで寝ていたアイリーンも真剣な表情で頷いていた。どうやら西部はかなり厳しいらしい。


「御月。ではどうやって今まで西部は耐えてきたんだ?」


 そう聞かれた彼女は、腰元を手探りで漁った後、何か機械のようなものを机に置いて見せた。それは霊鍵と呼ばれる、霊力を通すことによって音を鳴らし、符号による情報伝達を可能とする発明品だった。


「この霊鍵によって霊信号の送受信を行い、各拠点からタマガキに通っている鉄線を使用して情報伝達を高速化した。これによって素早くタマガキから援軍を派遣することが可能になり、防衛に成功している」


「今現在タマガキから出払っている防人もそれで不在なのだ。アイリーンはついこの間まで要請に応じて前線に行っていた。玄一もいつか派遣されることがあるだろう。心構えをしておくといい」


 しかしこれは受け身の窮策であり、打開策ではない、と御月は続けた。


「私もタマガキの防人っすから、さすがに今の話は全部知ってたっすけど、改めて聞くとやっぱしんどい状況っすね......」


 アイリーンが頭を抱えていた。やはり彼女も西部の防人として感じるものがあるのだろう。むしろこれでまだ寝ていたら問題だったので、安心した。


 教鞭の先を手に置いた御月が続ける。


「まあ無論他にも西部兵の練度や山名の戦略眼など、様々な要素の上で成り立ってはいるのだが......なにか切っ掛けが必要なのだ。この状況は」


 御月が教鞭を持った左手で頭を抱えながら、人差し指の腹ででコツンコツンと机を叩く。彼女はこの状況を前にして、やはり苛立っているようだった。


「三年前のように魔物の大規模侵攻があれば西部は詰む。前は多くの郷を放棄し、山岳地帯で戦線を引き直すことによって食い止めることができたが、もしタマガキが陥ちれば帝都とタマガキの間には何もない。西を放棄し内地まで下がらなければなくなる。そうなれば私たちに反抗の機会はない」


 それだというのに内地の豚どもは......と御月がブツブツ言っている。ストレスが溜まっているのだろうか。そんな御月の様子を見たアイリーンが、声を掛け彼女を引き戻す。


「すまない。少し取り乱した。もしどこかの拠点に防人が不在の状況で、魔獣の襲撃を受けたら綻びが生まれるこの状況は苦しい。やはり打破するためにはカイト砦から北西のダンジョン最深部にある魔核を破壊する必要がある」


 ダンジョン。そして魔核。魔物との戦いに置いてこの二つは無視することは出来ない。ダンジョンはここ数十年で新しく確認されている魔物側の拠点だ。


 その誕生経緯には様々な仮説が建てられており、魔物側に高い知能を持った魔獣が誕生したという説。そして東最強の防人『空の魔王』の影響など、多数ある。


 地下や放棄された砦を利用したタイプの拠点が多数確認されており、その奥深くに、魔核が隠されているのだ。


 知能が低く、本来群体行動が可能でないはずの魔物の統率に一役買っているとされるのが魔核であり、破壊することによって周辺地域の魔物が大きく弱体化する。土地を奪還するためには魔核の破壊が必須と既に魔物学会は結論を出しており、魔物との戦争に置いて戦略的に重要な存在なのだ。


 自分の認識の甘さを感じた。ただ強くなれば守り、故郷を取り返せると思ったが、甘かった。少なくともこのタマガキは、複雑な状況の中で、奮戦している。


 自省する俺の様子を見て、御月が優しげな、柔らかい声でこちらに語りかけた。


「玄一。落ち込む必要はない。確かに大局を理解するのは必要なことだが、魔物との戦闘で必要なのはまず第一に、戦いにおける強さだ。別に誰しもが大軍師になる必要はない」


「いや......強くなるためにはただ一辺倒な戦闘の技術だけでは不十分だ。他の学を得てこそ、最強になれるんだろう。御月。俺に君の知る魔物や魔獣の知識、歴史、戦術学を教えてくれないか」


 頭を下げる。俺は師匠と一対一の、特殊な環境にいたから何も知らない。それが悪かったとは思わないが、少しでも埋め合わせをする努力をせねば。


 御月は目を見開かせ閉じた後、少し上を向き感極まっている。


「玄一! 座学の重要性を理解してくれたのか! 毎週、いやそうと言わず私の時間が許す限り、毎日君に私の知識を伝えよう」


「ああ。物分かりのいい生徒ではないかもしれないが、これからよろしく頼む」


 感動的な瞬間を迎えた俺たちは、初めて会った日のように熱く握手を交わした。そんな俺たちに水を差すような形でアイリーンが口を開く。


「あのー、それってわたしも入っていないっすよね......?」


「何を言っているんだアイリーン。玄一はお前の後輩だぞ。先輩のお前が参加しなくてどうする。必ず来い」


 彼女の悲痛な叫びは、今日一番の大きさだった。彼女の頭に付いているリボンが、水がなく枯れそうになっている植物のように、しなしなになった気がした。



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