第九話 御月ちゃんの防人講座(1)

 


 窓から陽光が差し込む。眩いそれに、俺は思わず目を伏せた。俺は今本部の、普段は会議などに使われる部屋にいる。実にいい日だ。ああ。どうしてこうなってしまったのだろう。繰り返すようだが、どうしてこうなったんだろうか。


「アイリーン姿勢が悪いッ! 玄一! 背筋を伸ばせッ! これより授業を始めるッ!」


 顔を赤くして結構ガチめに怒っている御月が叫ぶ。おい。アイリーンなぜ寝ている起きろ。今日初対面の人間に対し失礼かもしれないが、どんだけ図太いんだこいつは。仮にも怒り狂っている同僚の前で爆睡などどうやったら出来るんだ。


 黒板の前に立ち、教鞭を握った御月が じゅぎょう とチョークで書かれた文字を八回ほど強く叩いた。振るわれる教鞭が、風切り音を立てる。そんなに強く叩かなくてもいいだろうに。


「いいか! 防人としての意識が足りないお前たちに、これから毎週私が授業を行う! このタマガキの防人としてふさわしくなるまで叩き込むから覚悟しろ!」


 俺は今、この事態を引き起こしてしまった横で眠り続ける女アイリーンと、十分前のことを思い返していた。







「玄一。座学を受けていないというのはどういうことだ? 君は確か養成機関を卒業しているはずだろう? さっき言った通り、必修のはずだ」


 理解できないという顔をした彼女の疑問に対し、淡々と事実を述べる。


「俺の管理は俺の師匠が担当だったんだが、彼の判断で座学は免除されてな。俺は一年間養成機関にいたけど、基本的には師匠と修行しているだけだった。俺も最初座学は無くていいのかと思ったんだが、師匠は上に許可も取っていたようだし、特に椅子に座って何かを学んだことはないな。うん。修行が厳しすぎてそもそもそんな余裕なかったし」


 横で話を聞いていたアイリーンが、共感する様に笑いながら答えた。


「私は特殊霊技能養成機関サキモリ卒ではないっすけど、座学の時間は修行の疲れを癒すために基本寝てたっすねー。まあ後輩くんと同じく受けてないようなもんっす」


 お互いの共通点を見出し、アイリーンがニコニコとこちらの方を見ていた。御月はそんな俺たちを見て、呆れ返っている。


「......防人は時として兵を指揮する立場にもあるのだぞ。兵の命を預かる立場として、知識はつけておかなければならないだろう。まったく、そんなんでどうするつもりだ」


 そう言い放った御月の姿を見て、アイリーンがやれやれまたかとため息をつく。両手を少し上げて、ふらふらと手を動かした彼女が、口を開いた。


「御月。確かに重要なのかもしれないっすが、そんなお堅い指揮官よりも私や後輩くんみたいな物分かりのいい人の方が兵士としてはいいに決まってるっすよ」


 おい。俺を勝手に巻き込むな。御月の方を振り返って見てみれば、凄まじい威圧感。御月の背後からゴゴゴゴという音がしている。している気がする。


「ではアイリーン。君と玄一の方が指揮官として私より優れている、と言いたいのだな?」


「だからそういうところがって言ってるんすよ。そんなんだから御月はモテないんっす。お堅くとまってなんなんっすかその外套。もう少しかわいいの着たらどうっすか。模様の一つもないじゃないっすかそれ」


 やばい。この女は何故御月の様子に気がつかないんだ。あ、終始無言だった山名が逃げた。というかいたの? 俺も逃げたい。逃げさせてくれ。


「防人として装備など性能が良いものであればいいだろう。見た目など二の次だ」


 低い声で怒りを押し殺しているのがわかる。真面目な彼女からすればアイリーンの言っていることは理解できないかもしれない。


「その両立を目指すのが女性防人の嗜みっすよ御月。そんなんだし魔物殺すことしか考えてないから男に口説かれたことないんすよ。やーいやーいこのドウテーイ恋愛経験かいむのかたぶつー」


 彼女が後半何を言っているのかよくわからなかった。だが、一線を超えたのだけは座学を受けていない俺にもわかる。


「......アイリーン」


 御月が目をカッと見開いた。鬼気迫る表情で、荒げた声を出す。


「私はそもそも女だから童貞ではない!」




 怒って訂正させるとこ、そこ?




 今思えば、これが初めて俺の人生で誰かの堪忍袋の緒が切れる音を聞いた経験だと思う。くだらない気もするが。


「いくら長い付き合いとはいえ親しき中にも礼儀ありだ! お前のその性根、座学を通して叩き直してくれる!」


 アイリーンの首根っこを掴み、どこかへ引きずっていく御月。先ほどまで人がいたはずのロビーには何故か人がもう殆どおらず、アイリーンの悲痛な叫びがよく聞こえた。ちょっとからかっただけじゃないっすかー! なんて言って、大騒ぎしている。


「玄一! 君もだ! 知恵なき状態で魔物と戦えると思っているのか! 纏めて教えてやる! ついてこい!」


 俺は何もしていないのに、アイリーンのせいでこちらに飛び火した。彼女のことはどうでもいいが、ここは逃げ切らせてもらう。刀を振っていたい。


「御月。気持ちは嬉しいが、俺にはやることがある。郷長からの許可も取っていないし、遠慮させてもらうよ」


 屁理屈並べてのらりくらりと回避しようとする俺を彼女がじっと見据えた。


「私と君は今後任務を共にすることになっているし、山名には事後報告するから問題ない。ついてきて。いい?」


 廊下の先にいる彼女の鋭い視線が突き刺さる。首根っこを掴まれて叫び暴れるアイリーンの姿が見えた。両手両足を凄まじい速度で動かしているのに、御月の手が外れる気配がない。


 了解、と返事をするほか、無かった。



 

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