156

 病室を出て、駐車場。篤之の車に乗って。





 はあああああって。



 自分でもどうよってぐらい大きく息を吐いた。



 座った後部座席。ずるずるって、身体が落ちた。






「お疲れ、総ちゃん」






 助手席からゆう兄が言って。






「帰ったら休め。何か食べたいものがあれば用意する」






 運転席から、篤之。






 シートベルトをする音。そして帰るぞって。



 だから俺も座り直して、シートベルトをした。






 疲れた。






 ただ少し、本当に少しだ。話しただけなのに。



 しかもベッドに横になる親父と。なのに。こんなにも。






「カッコよかったよ。総ちゃん」

「は?どこがだよ」

「カッコよかったよ。ちょっとさっきのはやられたーだった」

「………何言ってんの、ゆう兄」






 褒められてるのか?これは。






 背中がむずむず痒くなってきて、身体がぶるってなった。






 ね?ってゆう兄は篤之に同意を求めている。






 ゆう兄は、さっきの何でそんなことを言っているのか分からないけど、やめろよって思う。その、篤之に振るのは。






 篤之は、自分を律するのが得意なんだと思う。



 とにかく努力の人で、びっくりするぐらい努力の人。






 そんなヤツにさっきの何かで同意とか。求めるとか。まじやめてよって。






 篤之は特に答えることもなく無言だった。



 窓に右の肘をついて、頬杖みたいにしている。






「ほら、篤之もそう言ってる」

「………言ってねぇじゃん」

「黙ってるってことは、そうだってことだよ」

「………」

「ゆう兄、篤之のその無言がこえぇからそれ以上はやめて」






 俺的に結構本気めで言ったら、ぶってふたりが吹き出した。






 篤之はそのままむせて、ゆう兄はそのまま笑っている。






「篤之がこわいって、総ちゃんもまだまだだな」






 笑いながら。






「いや、こわいだろ」

「ちなみにどこが?」

「………どこって。それ本人を目の前にして言えってか?」

「うん。おれには分かんないから」

「………どこって」

「うん。どこ?」






 嬉しそうに楽しそうに俺の返事を待ってるゆう兄にまじかって思いつつ、バックミラーをチラ見したら。



 篤之も聞きたいのか、はたまた変なこと言うなよの牽制か。






 ミラー越しに、目が合った。






 だから、それだって。






「………顔」

「………てめぇ、ぶっ飛ばす」

「………顔‼︎………顔‼︎」






 車中にしばらく、ゆう兄の笑い声が続いた。











 もうあと5分ぐらいで家に着くって交差点の信号。






 笑いすぎて疲れたって、もぞもぞしながら、ゆう兄がそれでも篤之の腕に触れていた。浄化のために。






「いやでも、裕一さんの言う通り、さっきのは何ていうか………俺も正直ちょっと驚いた」

「何で?何に?」






 変なこと言ったっけ?って思い出してみたけど、自分では全然。






「陰陽こそが存在、とか。存在するための行為が存在の終わり、とか」

「………別に。だってそうだろ?」

「言われてみれば確かにそうだ。でも、言われてみないと分からない。もしかしたら言われても分からないかもしれない」

「………そうか?」

「そうだよ、総ちゃん。だから親父さんも何も言えなかったんだと思う」






 何も。






 親父は、何を思ったんだろう。



 何を思って来たんだろう。



 何を考え、何をどうしていきたかった?






 拒否しか、否定しかされないから。『どうせ』。



 命令という形でこっちも同じようにしたけど。






 果たしてそれは正解だったのか。






「篤之は、あんな親父でも面倒見てやるんだな」

「そりゃ見るよ。これでも一応長男だし」

「篤之は………そこまでしてやらなくてもいいんじゃねぇの?」

「そうかもしれない。でも、見るよ。それは決めてる。昔から」






 きっぱり、だった。言い切った。



 だから何で?って思う。絶対今までだって理不尽な思いをして来たはずだ。何回も思った。犬かよって。それぐらい篤之は、親父にいつもついていて、従っていて。






「………何で」






 ウインカーの音に消されるぐらいの声しか、出なかった。



 何で。






 聞くのがこわかったのかもしれない。






 俺は、俺にとっての親父は、クソ親父でしかないから。そうじゃない親父を、知ってしまったら。






「それぐらい………。それぐらいしたいと、させて欲しいと思うぐらい、俺は父さんに救われた。理由をあげるとしたら、それだな」

「………俺にとっては、ただのクソ親父だ」

「そうなる背景が、父さんにはあったんだよ。あと………養子と実子の違いもな」






 背景。






 俺が知らなくて、篤之が知っているそれ。



 俺が見ていなくて、篤之が見てきたそれ。



 が。まだ。






「………俺には分かんねぇし、分かりたくねぇ」

「そういうとこはまだまだかわいいよなあ、総ちゃんは」






 な?ってまた、ゆう兄は篤之に同意を求めて。



 篤之はふんって、それを鼻で笑った。






「まだまだ反抗期のガキだ」

「かわいいよねぇ」

「………何かすげぇムカつく」






 ふたりに結局笑われて。



 車は家に到着した。






 車を降りて、離れが建つ敷地の向こうの方を見た。



 母さんが居る離れと、とりあえず今日泊まることになっている離れ。






 庭には今日は、母さんは居なかった。






「ってかさ、親父浄化しなくてよかったの?ゆう兄一緒だったんだから、やってもよかったんじゃね?」






 居て欲しかったんだろうか。母さんに。



 ほとんど会ったことさえない、その人に。






「総ちゃんってさ、クソ親父とか言いつつ、結局何だかんだ言って優しいよね」

「………そんなんじゃねぇし」

「総介がマンションに引っ越すまで病院に居てもらいたいからいいんだよ。引っ越し前に退院されたら色々面倒だ」






 面倒って。






 ついさっき、別の意味での面倒をって言ってたばっかなのに。






「篤之って」

「何だ」

「やっぱこえぇのな」






 はははは。






 紫陽花が咲く庭に、ゆう兄の笑い声が響いた。

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