3

 汝、問え。






 己は陰か。



 己は陽か。






 部屋に勝手に貼られた、どっかの有名な書家が書いたらしい、言。






 見るたびに思うのは、俺たち飛田の一族は絶対に名前はそうでも、実際はプラスイメージも強い、世間一般的な『陽』じゃないだろってこと。






 これで陽って言えるんならもう誰もが陽だろって思う。



 心の在り方が、完全に陰。篤之なんか特にだ。憎しみに溢れてる。






 でも一族として。陽だから。憎しみを抑えて。






 親父だってそうだ。



 長男継承のはずなのに。本来なら養子だろうと何だろうと篤之を当主にしなければならないはずなのに。






『血の繋がりの有る無しは大きい』






 そう吐かして、俺を当主にして。なのにまだ俺が若いからと退くこともしないで、俺が塗り替える一族の歴史、じゃないけど、記録?を、まるで自分の功績かのように謳ってる。






 部屋。






 鞄を置いて、取った。



 右手の革手袋。






 てのひらも甲も。赤く、赤い。手。






 異端。



 俺は、飛田家の異端。






 何の努力をすることもなく、備わる力。



 この右手だけじゃない。目もそうだ。






 俺の右目はどんな暗闇の中でもそこにあるものをうつす。見える。



 ありえないことに、真っ暗闇の中に潜む黒い陰、さえも。






 ドアの向こう。



 気配を感じて、気配が誰か分かりつつも、右手を翳した。






 このまま『去ね』と一言言えば、ドアとドアの向こうの人物は燃えるんだろうか。






 炎は、陰にしかまだ、向けたことが、ない。






『陰を滅しろ。それが陽の使命だ』






 いつも親父が言った言葉がよみがえる。



 それに馬鹿らしく恭しく頭を下げる、篤之をはじめとする飛田の一族。






 ………馬鹿が。






 何故気付かない。



 すぐそこに。言に、あるのに。






 陰と陽は、対でありひとつであり相反するもの。






 陰を滅すれば陽も滅する。



 つまり陰を真に滅したければ。






 親父。






 教えてやるよ。






 陰を滅したいのであれば、俺をコロセ。あんた自身をコロセ。篤之を。陽を滅しろ。陽の血を途絶えさせろ。



 どこに潜むとも分からない陰を探してひとつずつ片付けるよりよっぽど。






 なあ、親父よ。






 その方が手っ取り早いって、何故気づかない。






 気配が動く。






 ノックもなく開いたドアの向こう。



 俺が翳している右の裸手に驚き、後、一瞬怯えた顔をした親父が立ってた。






「………何か用?」

「父親に向かってその手を翳すとはどういうことだ」

「何か用かと聞いている」

「………」






 一言だ。






 たったの一言。



 それは『去ね』。






 陽は陽を燃やせるのか。



 陰のように。一瞬で。






 言ってみるのも面白いのかも、しれない。






「………何がおかしい」

「………別に」






 少しの沈黙。静寂。






 はあ。






 親父の溜息が鬱陶しかった。






「陰を頼みたい。総介に………いや、飛田の当主、に」

「断る。あんたが行け。あんたが行けななら篤之が行け。俺は動かない」

「総介」

「雑魚相手に何故当主が出向かなければならない。くだらない。下がれ」






 ピクリ、ピクリと。親父の眉が動く。



 いくら当主とはいえ、息子である俺に言われて。見下されて。






「もう長く使われていない廃工場から、夜になると歌声のようなものが聞こえると聞き、昨夜篤之と行った。あれは………あれは、我々には無理だ。手に負えない」

「………見たの?」

「工場内に入ることもできない」






 入ることも。






 と、いうことは。






 デカい。



 デカくて強い、陰だ。






「………なあ。あんたは陽を統べる元当主で、篤之はその『愛息子』なんだろ?」

「………」

「随分情けないんだな」

「………」






 自分でもよく出てくるよなって思う。こんな台詞。






 親父の、握りしめた拳が怒りに震えてるのが分かる。見える。






 自分より強い陰を感じて撤退することは、正しい選択のはずだ。



 敵わぬ相手と戦ったって、それはすべて無駄でしかない。






 鼻で笑ってやる。






 親父は視線を落としたまま、黙ってた。



 そうするしか、できないんだろう。それが図星で。



 俺が。






 俺がまだ、右の裸手を親父に翳したままだし。






「手と膝ついてお願いしますって言ってみろ。そしたら考えてやるよ」






 本当。



 よく思いつくわな。こんな台詞。






「総介さん」






 そこに割って入ってきたのは、一緒に来ていながら部屋に入らず様子を伺ってた、篤之だった。






 失礼しますって、礼儀だけは正しい篤之が部屋に入って来て、右手を翳したままの俺と、拳を震わせて立ってる親父の間に。






 膝を、ついた。






「お願いします。あれは、総介さんにしかできません」






 土下座。






 養子とはいえ飛田家の長男で、俺を除けば親父の次に力があると言われている篤之が。






「………気が向いたら」

「総介」

「お願いします」






 クソだな。






「下がれ」

「はい」






 父さん、行こう。






 篤之が立ち上がりながら静かに言って。



 部屋はまた、静かになった。






 赤い右手を握る。






 陰を滅したければ俺をコロセよ。陽をコロセよ。






 廃工場、か。






 陰にその役目をやらせるのも、いいのかもしれない。






 皮手袋をはめて、制服のまま、ベッドに転がった。

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