第3話
タイミングを見計らったように、大学の敷地を出たところで電話がかかってきた。
鳥島珈琲からだった。
電話に出ると、店主の紳士は心底申し訳なさそうに来週中の閉店を告げた。男鹿から聞いていたおかげである程度の心づもりはできていたつもりだが、いざ本人の声で告げられるとやはり苦しい。出勤予定だった分の給料は振り込まれること、エプロンは返さなくていいこと、それから『本当にすまない』と謝られた。俺はなにを言えばいいのかわからず、最後に「お世話になりました」とだけ伝えて電話を切った。
空気が一段階、重さを増した気がする。
重い空気を引きずったまま歩き続けて、再びねずみ色の雑居ビルの前に来た。あの目の痛くなるようなチラシもまだ貼られたままだった。
トートバッグからスマホを取り出し、掲載されているメールアドレスをその場で登録する。
結局、新しいバイト先の候補としてこの怪しい探偵事務所を選んだ。新しく一から探すのも面倒だったし、怖いもの見たさの好奇心もあった。
メールアドレスを打ち終えてスマホをバッグに戻し、志望動機とか聞かれたらなんて答えようなどと、まだ日程すら決まっていない面接のシミュレーションを脳内で行いながらアパートに向かった。
帰宅してクッキーをつまみながらメールの文面を考える。
陽はもう傾き始めており、赤みを増した西陽が窓から入り込んでワンルームを柑子色で満たしていた。
求人サイトを通さずにメールを送った経験がなく、どう書いていいのか迷ってしまう。
とりあえず、名前や年齢、連絡先などの基本的な情報を打ち込む。それからインターネットで有用そうな情報を集めてしばらく考え、『週に5日は入れます。よろしくお願いします』とセールスポイントになりそうな文言を軽く付け加えて、勢いのままに送信した。
なんだかそわそわして落ち着かなかったので、気を紛らわせるためにテレビをつけた。ザッピングしてみるが没頭できそうな番組は放送されていなかった。
諦めてテレビの電源を切り、財布とスマホをズボンのポケットに入れてコンビニに行くために家を出た。
なんだかじっとしていられなかったし、外の風にあたれば気分が落ち着くだろうと期待した。
コンビニで夕飯を選んでいる間に気分はすっかり落ち着いた。
天ぷらうどんとハイボール、適当なスナック菓子をレジに持って行き、勘定を済ませてコンビニを出た。
夕陽はすっかり地平線に落ち、空には紺と橙が強烈なグラデーションを作り出していた。
さらりと頬を撫でる風は既にもう冷たくなり始めていた。
コンビニからアパートまでゆっくり歩いてもだいたい五分程度の距離だ。
駐輪場の傍を抜け、人気のない住宅街を歩く。
民家のカーテンの隙間から光が溢れ、それぞれの家庭の夕飯の匂いが風に運ばれて鼻腔を刺激する。
優しくて暖かい、誰かといることでしか生まれない特別な空気だ。
自然と顔が綻んでくる。夕日が沈み終わる頃に出歩くとこの空気に触れられる。だから俺はこの時間帯が好きなのだ。
家に帰り電子レンジで天ぷらうどんを温めていると、スマホがメールを受信した。
件名には『Re:アルバイト募集』と表示されていた。
間違いなく例の探偵事務所からだった。
せっかく落ち着けた気持ちが吹っ飛び、すっかり興奮していた。急いでメールを開く。
『ご応募ありがとうございます
早速なのですが、明日のご都合の良い時間に面接させていただきたいと思います
履歴書などはその場で書いていただきますのでご用意いただく必要はありません
もしご都合が悪いようでしたら、面接可能な日をお教えください
古柴様にお会いすることを楽しみにしております
三毛島探偵事務所』
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