第5話 

 三毛島さんに促されるままに、俺はソファに腰掛けた。どうも落ち着かない。視線がふらふら無軌道にさまよって、手は無意識かつ無意味に自分の首元や後頭部を撫でつけていた。

「どうした古柴くん、どうも落ち着きがないね」

 目の前に座って口角を歪める三毛島さんに皮肉混じりに指摘されて背筋がピッと伸びる。

 手ぐしで直された長い黒髪は緩やかな流線を描いている。寝起きでうつろだった赤銅色の瞳は今やはっきりした意思を持って俺を見ている。もうすっかりお目覚めのようだった。

「ちょっと緊張して……。ていうか、本当に君が探偵さん?」

 訝しむ俺に、三毛島さんはあははは、と軽快に笑う。状況が飲み込めず、頭上には乗数的に疑問符が増えていく。

「君、ひょっとして探偵と聞いて髭面のベルギー人を想像していたのか? それとも軍医を従えたイギリス人?」

「いや、確かにおっさんだろうとは予想していたけど……」

「ふふ、まあいいさ。今までにも君と同じようなイメージを抱いて訪ねてくる奴は何人もいた」

 ふいに立ち上がって少しサイズの大きいスリッパをパタパタと鳴らし、開いたままになっていた扉に鍵をかけた。小さな動きに合わせて、白い太ももの上でボルドーのプリーツスカートが小気味よく揺れる。じっと見ていると催眠術にかかりそうで空になったソファに目を移す。

「コーヒーは飲めるか?」

「うん、好きだよ」

「そうか、ならよかった」

 ジャケットの内ポケットからB6サイズのリングノートを取り出し、一枚破って俺の前に置いた。

「ちょうど紅茶の茶葉を切らしていてね。そこに名前と年齢、所属と免許や資格があったら書いておいてくれ。ペンはテーブルの上のを使って構わない」

 要件を手短に言い残して三毛島さんは俺の背後に姿を消した。

 気になってそっと目で追うと、そこにはカセットコンロやシンク、小型の冷蔵庫が設置されていた。俺の手狭なアパートとなんら変わらないセットだったが、どこか暖かくて生活感のある印象だ。ちゃんと使ってあげないと腐っていくのかな、道具も。

 三毛島さんは細口のポットに水を入れて火にかけ、慣れた手つきでペーパーフィルターを折った。

「コーヒーが入るまでの間、君にいくつか質問したい。雑談のようなものだから、書きながらあまり構えずに答えてくれ」

「は、はいっ」

 慌ててテーブルに向き直り、中央に置かれたペン立てからボールペンを借りて記入する。ソファとテーブルの高さがほとんど変わらないせいで、随分と前屈みの姿勢を取らなければならなかった。

「古柴くん、その金髪は染めているのか、それとも地毛?」

「あー……やっぱり探偵さんの手伝いをするのに金髪ってまずいですか?」

「いいや、それは構わない。ただ実によく馴染んでいたから気になったんだ。全く違和感がない」

「はあ……」

 どうやら本当に雑談の一環であるようだった。尋問でもされるのかと身構えていたから拍子抜けだ。

「それに、君の瞳の色は実に奇妙だ。正面から捉えると確かに黒色だが角度をつけるとオリーブ色にも見える。それはカラーコンタクトか、あるいはその度の入っていない眼鏡のせいか?」

 三毛島さんの指摘にビクッと心臓と肺が一瞬停止した。初対面で瞳の色に言及されたのは初めてだった。

「……実は母方の祖母がドイツ人で、クォーターなんです」

「ほお……」

「でもよくわかりましたね。俺、目が細くて言われてもわかんねえってよく言われるのに。それに眼鏡のことも」

「眼鏡はレンズの向こうの景色に歪みがなかったからね」

 記入を終えてボールペンを戻す。コーヒーの香ばしい香りが部屋の空気に混じり始めた。カチャカチャと食器が揺れてぶつかる軽やかな音が近づいてくる。

「瞳の色は――」

 センテンスを区切って三毛島さんはソーサーとコーヒーカップを並べた。続く適切な言葉をいくつかの候補から厳選しているようだった。

「――まあ、職業病みたいなものだ」

 なんでもない風に言う三毛島さんだったが、それでもやはり、少しばかり恐ろしい。

 有能な探偵さんが身近にいたらきっと気が休まらないだろう。


「古柴くん、頼んだものは書いてくれたか?」

「ああ、こんなのでいいのかわからないけど」

 破られたノートのページを三毛島さんに手渡す。彼女はコーヒーでのどを潤して俺の個人情報を興味深そうに眺めた。

「古柴兼……、二十一歳で五十鈴野大学文学部三年生……、んー……。あ、車の運転ができるのか……」

 顎に指をあててぶつぶつ言いながら真剣に思案する三毛島さん。紙に書いてあることよりも多くの情報を読み取っていそうでちょっと怖い。

 気を落ち着かせようとコーヒーに口をつけるが、味が分からないままただ熱い液体がのどを通り過ぎていく。何度経験してもこの品定めされるような感覚には慣れない。

 数時間にも感じられる沈黙の時がしばらく続き、それを破ったのはやはり三毛島さんの声だった。

「古柴くん、毎日ここに来れそうか、ほかにアルバイトは?」

「してません。一週間ほど前に辞めたので」

「なるほど……」

 それから再び部屋は凍り付いたかのように無音に包まれた。飲む気がなくなってソーサーに置いたコーヒーからはもう湯気もたたなかった。息苦しくて、気づけば掌は汗でびっしょりだった。

 そして、

「古柴くん」

 三毛島さんは唐突に立ち上がり、先ほどまでとは違う力強い口調で俺の名前を呼んだ。目線の高さが乖離して、吸い寄せられるように彼女を見上げた。

 朝日のように瞳をきらめかせ、繊細で脆そうな右手がぐっと差し出された。

「おめでとう古柴くん、採用だ。これから私の助手としてよろしく頼むよ」

 頭は追いついてこなかったが体は自然と反応する。ゆっくりと立ち上がズボンで軽くて汗をぬぐい、三毛島さんの手をとった。

「あ、ありがとうございます……」

 そこまでここで雇われることを熱望していたわけでもないが、それでも採用されるとそれなりにうれしい。

 驚くほどにひんやりした三毛島さんの掌に俺の体温が移って温度差がなくなっていく。固まりかけていた心臓がじわじわと溶けていく。

 ともあれ、俺は探偵助手になった。

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