第8話 

 幸い、早めに家を出ていたおかげで時間にはまだ余裕がある。

 雑居ビルのはす向かいに立つコンビニで少し暇をつぶすことにした。

 道路を渡り、店内に入って適当に物色する。昼過ぎであるせいか、客は俺のほかに二、三人スーツを着たサラリーマン風の男性がいるだけだった。

 棚に陳列された雑誌の表紙に目を通すがどれもあまりピンとくるものではなかった。ホントはファッション雑誌とか見たほうがいいのだろうけれど、スマホがあるからその情報だけで満足してしまうんだよなあ。

 雑誌コーナーを早々に去り、飲料コーナーに移る。せっかくだから三毛島さんになにか買っていこう。

 人が少ないのをいいことにケースの前を何往復もする。酒は三毛島さんの年齢が不明だしまだ昼間なので初めから除外。炭酸は好き嫌いが激しいから選ばないのが無難だろう。

 散々悩んだ挙句、三往復くらいしたところで缶コーヒーを取り出した。昨日も飲んでいたし少なくとも嫌いではないのだろう。

 会計を済ませ、コンビニを後にして雑居ビルのガラス扉を開けた。

 昼間だというのに陽が入らず薄暗い。この空間だけは梅雨の空気を維持しているようで高湿度を保っている。

 さっさとエレベーターに乗り込んでボタンを操作し、三階で降りる。

 木製の扉をノックすると今日は返事があった。流石にこの時間には寝ていないか。

 扉を開けて中に入ると、三毛島さんはデスクの前に座っていた。ノートパソコンのモニターから顔を上げ、

「待っていたよ、古柴くん」

 パソコンを閉じて立ち上がった。窓から差し込む太陽光に照らされた三毛島さんの雰囲気は昨日よりも随分と穏やかに見えた。

「こんにちは、三毛島さん。これさっき買ってきたので、どうぞ」

 トートバッグから缶コーヒーを取り出して三毛島さんに手渡す。彼女は都会で六等星でも探すようにしげしげと眺めて、

「わざわざありがとう。ちょうどいい、コーヒーをいただきながら君の仕事の説明をしよう」


 ソファの奥、パーテーション代わりの本棚で半分ほど区切られた向こう側は案外片付いていた。紙類で散らかり放題のデスクとは大違いだ。

「マグやグラスはここにあるから自由に使ってくれ。それから氷はここに作られるから水を切らさないように気をつけてくれ」

 あちこちを指さしたり開けたり閉めたりしながら三毛島さんは仕事ではなくあらゆるものの所在を説明した。狭いのにくるくる動くから目で追うだけでもに目が回る。

「あの、三毛島さん」

「どうした、なにか困りごとか?」

「そうじゃなくて、なんでこんな事説明してくれるんです?」

 真っ直ぐ向いて柔らかな癖のある髪を手ではらい、

「君はもうお客さんじゃないからね。私の助手としてこの事務所のことを把握しておく権利があるんだよ、古柴くん」

 陽だまりの中で白昼夢を見る猫のように、優しげに目を細めた。

 その言葉は昨日の握手よりも明確にここにいる理由を教えてくれた。

 何故だか少し誇らしい気分だ。


 缶コーヒーをグラスに注いでそれぞれの手元に並べ、テーブルを挟んで向かい合った。つまり昨日と同じ配置である。

「では簡単に基本的なことから説明しよう」

 コーヒーで口を湿らせ、三毛島さんは給料は手渡しであることや事務所内の備品のこと、その他事務的な諸々を完結に、要点のみを押さえて話した。

「あと敬語はやめてくれ、私の方が年下だし君とは対等に仕事がしたい」

 流れで難易度高めのお願いを挟まれた。

「いや、急には……」

 外見から薄々年下ではないかと感じていたが、オーラとか貫禄とかに同い年以上のものを感じて勢いよく舵を切れない。

 戸惑ってやんわり拒否する俺に助け舟を出すように彼女はふっと息を吐き、

「徐々に慣れてくれればいい。それからここに上がってくる前に、一階にある郵便受けを確認してくれ」

「郵便受け、ですか?」

「そうだ。ごく稀にだが依頼の手紙が入っているんだ」

「今どき手紙ですか?」

 この散々電子機器が成長した現代にわざわざ紙で依頼するなんて効率悪いと思うんだけど。

「ああ、電子メールでデータが残ることを嫌がる人もいるんだ」

「ああ、なるほど」

 探偵を頼るくらいだ、それくらい用心してもおかしくないのかもしれない。

「あとこれが最も重要なのだが、週に三回程度食料の買い出しに行ってもらいたい」

「買い出し?」

 どうでもいいがさっきからおうむ返しばっかりだな、俺。

「普段は散歩のついでに買っているんだが今は君がいるんだ。君が行ってくれれば推理に当てられる時間が増えるだろう」

「いいですけど、なんでそんな頻度高いんですか? 飲食店でもあるまいし」

「ここは事務所だがそれと同時に私の家でもあるからな。三食ここで済ますのだが、あの小さな冷蔵庫では備蓄があまりもたないのだ」

 いやいや、冷蔵庫のサイズは問題じゃない。重要なのはそこではなく、

「え……三毛島さん、事務所に住んでるの?」

 驚きと呆れが混ざると自然と敬語は剥がれ落ちる。新たな発見かもしれない。

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