猫は手を借りたい
第1話
都会と呼ぶにはビルが少なく、田舎と呼ぶには建物が多い。昼間はそれなりに多くの人で賑わうであろうが、真夜中になれば自分の足音が少し大きく聞こえる気がする。そんな一地方の街の中。
1人の少年が夜道を歩いていた。時刻は午前2時を回ろうとしている。4月も中旬とはいえ夜はまだ肌寒く、風が吹けばそれなりに鳥肌が立つ。少年は何となく着てきたパーカーに安堵しつつも、適当に履いてきたサンダルに少し後悔していた。いくら着込んでも足元が冷たければ足取りも重くなる。適当に足の指を曲げたり伸ばしたりしてみたものの、サンダルとの間に小石が入って痛かったためすぐやめた。
夜中に出歩くのは今に始まったことではない。1か月ほど前からだろうか、悪い夢から慌てて覚めたわけでも、寝苦しかったわけでもない。ただ時折、ふと夜中に目が覚めてしまう。最近は徐々に間隔が狭まっているように感じる。幼い頃にも似たような日が稀にあったが、それでもすぐにまた目を閉じた。布団から出るのが億劫だったとか、暗いのが怖かったとか理由は色々ある。
だが一番の理由は、隣で眠る祖父から離れたくなかったから。今振り返ればそう感じる。普段は優しいながらもどこか厳格な空気を纏った祖父が、布団で目を閉じている間は穏やかな顔で寝息を立てる。そんないつもと少し違う家族の姿が視界に入ると、不思議と安心して瞼の暗闇を受け入れることができた。
だから1か月前、病院のベッドで眠るように息を引き取った祖父の顔を見た時も、どこか落ち着いて現実を受け入れていた。難しい顔をすることも多かった祖父が安らかな顔で旅立ったことに、どこか安心すらしていたと思う。
遺産相続だとか身元引受人だとか、そういう難しい話は葬式の後に親戚の人たちが進めていった。親戚の集まりなど行ったことはなかったが、祖父の弟と名乗る物腰の柔らかいおじいさんとは、少し話すとすぐ打ち解けた。終始優しく接してくれたおじいさんは、天涯孤独の身となった自分を引き取ると言ってくれた。他の親戚や関係者らしき人たちもそれを受け入れた。
初めて会う人たちだったが、とても親身になってくれているのがわかった。なぜそこまでしてくれるのか、その時はわからなかった。
祖父の手を握って冷たくなった掌が、潤んだ両目をこすって熱くなっていたことに気付いたのは、皆が解散して一人帰路についた頃だった。
夜空に薄く光る月を見上げながら、ふと自分の身の上を振り返る。家に一人になってから1か月。準備があるからしばらくの間待ってほしいとおじいさんから言われて随分経ったものだ。もう夜中に目を覚ましても、隣には誰もいない。門限を過ぎれば一人で外に行かないよう引き留めてくれる祖父は、いつの間にか一人でこの世の外に行ってしまった。
(ならば自分も家の外くらいなら出ていいだろう)
屁理屈をこねて自分を納得させ、祖父との約束を破った。買い物をするでも人に会うでもなく、ただ知っている道・知らない道を気の向くままに歩き続けた。迷子になりかけたこともあるが、30日もあれば携帯を持たない15歳でも街の歩き方くらい覚える。もはや日課のようになった一人の時間は、様々な考えを頭と心に浮かばせる。
なにをやっているのか。
なにをやりたいのか。
なにをやれるのか。
なにをやっていたのか。
なにをやりたかったのか。
なにをやれたのか。
なにをやるのか。
なにをやりたくなるのか。
なにをやれるようになるのか。
答えを出したいわけではない。答えが出せないことだけは知っている。掃除で力任せに箒を振って逆に埃を散らしてしまうように、ただただ同じことを繰り返し自分に問いかけ続ける。何も考えてないわけではない、そう誰かに弁明するように問題提起は続いていた。
だが毎回答えは出ない。無論、自分の人生にこの歳で見切りをつけられるわけもないが、理由はそれだけではない。
15歳の少年が夜道を一人で歩いていれば、トラブルの1つや2つあってもおかしくはない。おかしいのは、夜道を歩けば毎回トラブルが待ち構えているというところだ。
例えばそう、ちょうど今、少年の目の前にいる一匹の猫のように。絵に描いたような真っ黒な黒猫は、夜の暗闇に溶け込んで非常に見えづらかった。ちょうど街灯に差し掛かっていなければ見落としていただろう。鳴き声は上げない。ただ、なぜか前脚で地面を叩いている。繰り返し繰り返し、歩き回ることも尻尾を振ることもせず、淡々と地面を叩く。
僅かな音も良く聞こえる夜道だからこそ聞こえるかすかな打音。ひとしきり叩き終えると猫は突如走り去った、と思いきや曲がり角の向こうから顔を覗かせている。
猫なら昼間も時々見かける。人間を警戒するヤツもいれば近寄ってくるヤツもいる。一匹一匹が気ままに行動する彼らの意図を読み取るなんてできるはずもない。この猫だって特に気にする必要もないだろう。
そう考えを巡らせた直後、少年の足は猫に向かって踏み出していた。それに反応し猫も身構える。一歩進むたびに少年の足運びは早まり、猫もやがて踵を返し駆けだした。人気のない夜道を猫が走り、少年がそれを追いかける。傍目から見れば奇妙な光景である。少年自身その行動にどこか迷いはあった。しかし猫を無視して立ち去ろうとする考えは、古い記憶によって頭の隅に追いやられた。
祖父との日々を思い返していたからだろうか、猫を眺めている最中も、少年は祖父のことを考えていた。その中で偶然引き出された他愛もない記憶。それが奇跡的な確率で、目の前の猫の奇行と結びついた。
祖父との数ある思い出の中で、どちらかといえば印象の薄いもの。夕食後のテレビ番組でたまたま目に写り、なんとなく真似した程度の僅かな知識。そばにあったもので実演してみたら、祖父が頭を撫でてくれたものだから、嬉しくなって茶碗と箸でやったら怒られてしまった。
もはや使う機会もないはずなのに、祖父との触れ合いと共に心に刻まれた1つのフレーズ。それが目の前の光景と繋がって導き出された1つの結論。
『猫がモールス信号でSOS』
非現実への好奇心か、はたまた今は亡き祖父への想いが溢れた故の気まぐれか。なんにせよ、少年が駆けだすきっかけとしては十分すぎた。
1人と1匹の足音は、猫のSOSよりも遥かに大きく夜空にこだました。
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