第15話 『悪役令嬢』と傍観者、そして『ヒロイン』
女子生徒達のトーンより、激昂しているファナのトーンの方が激しいのだから、彼女達は黙るしかないのだろう。ファナがしばらく待っても、誰も声をあげない。講堂の中は静まり返ったままだ。
(さあ、これ以上ないのなら、これで終わり。もうたくさんよ!)
まだ怒っているファナが講堂の扉を開け放つ。
「!」
その向こうには、男子生徒の集団が文字通り固まっていた。次の時間にこの講堂を使う為に移動してきたものの、ファナたちが話をしていたので入るには入れなかったのだろう。離れたところにはハーゼルも居るのが見えた。
思いもしていなかったギャラリーの登場に、ファナの怒りは余計に煮えたぎる。
(こんな男達の為に――)
そう思いかけて、ファナはぐっとこらえた。
(いいえ、あの泣いていた子に失礼だわ)
ファナが通ろうとすると、ざっと人波が割れて道が開く。中の会話が聞こえていたのか、それとも今は確認できないが激怒しているのが丸分かりだろうファナの表情のせいか。ファナも感情のままにふるまうのは令嬢としてはありえないのは分かっている。しかし、怒りすぎてファナはそんなこと気にも留められない。
(怖い女で結構! 私は元々、悪役令嬢なんだから!)
さっさと男子生徒達の間をすり抜けて、次の授業のある離れた講堂へ足早に歩いていく。一瞬だけ、ハーゼルと目が合ったが、そんなことはファナにはどうでもいい。
こちらの思考を先読みするかのように、ファナが言う。
(ヒロト、今のつるし上げはアルミタ卿のイベントだったかもなんて言い出したら、私はもうあなたと口をきいてあげないから)
ファナの怒りをひしひしと感じる。
女子生徒達にヒロイン、貴族社会、心の中の発言、とにかく、全てに対してファナは怒りまくっている。しかし、その発端はヒロインの受難を仕方ないとしたことからだった。つまり、一番ファナが怒っている対象は――
(そうよ? 貴方のその他人ごとの態度が気に食わないの。貴方は運命共同体だって私のことを呼ぶけれど、実際は私を私として見ていないわ。
貴方は私を、貴方の作ったキャラクターとしてしか扱っていない。それに私はひどく傷ついていているの。ヒロト、謝ってちょうだい)
しかし、仕方ないとした事実は事実だ。物語の構造として、ヒロインが危機に立つのはしかたない。
ファナと運命共同体なことは事実で、思考も感覚も共有している。ファナはそう感じたかもしれないが、ファナをキャラクターとして扱っている気はない。
(嘘よ。いつも設定のことを言うじゃない)
嘘ではない。設定については、現状の把握の為の材料として使っているだけだ。
(……もう、いいわ)
それに、他人事というのは誤解だ。この世界の設定を作った立場として、冷静な立場で見る必要がある。そうでなければ、ファナのサポートが出来ない。
(サポートの件は、そうね。貴方のおかげで助かっている部分があるのは認めるわ。でも、貴方のその態度のことを私は言っているの。そこを謝って、変えてほしいのよ。
あの子が男子生徒に絡まれていた時、あの子を助けるのを止めたことも私は正直どうかと思っていたわ。結果、彼女は殿下とは会えた。そこは納得したわ。けれど、あそこで助けようとしないのは、正しくないもの)
謝る必要も変える必要もない。ファナは感情的になりすぎている。物事に大事なのは結果であって、過程はそれほどではない。
正しいというのは、ファナの助けるべきという感情が満たされるから正しいと感じるだけであって。それはファナの満足でしかない。ファナはヒロインに引け目を感じているだけだ。本当に正しいのは、望む結果が得られることだ。
(どうしてそんな風に言えるの? 私もああだったのかもしれないのよ? 人が混乱しているときは頭が冷えるわ。貴方、ずっとそうなんでしょう。他人事なんだわ)
ああだったというのは、あの侯爵令嬢のことか。ファナは前世を思い出したのだし、別にヒロインをいじめている訳じゃないし、結果的には問題ない。
「その『ヒロイン』と呼ぶのをやめて頂戴!」
人気のない回廊に、ファナの声が響く。他人が見たら、ファナが狂ったと思われそうな声量だ。
(結局、貴方はそうなのよ……。自分の作った世界としてしか見ていない。私はこの世界を生きているのに。あの侯爵令嬢の子だって。あの子、エルアだって。貴方もそうよ。なのに、どうして『ヒロイン』だなんて呼ぶの?)
ファナの声が震えだす。
(それに、アルミタ卿。貴方がそんなにこだわるのは、攻略対象として作った中でのお気に入りだったからなんでしょう? だから、あの子にルートに入って欲しかったのよ。貴方は結局、貴方の物語を自分の好きな通りにしたいだけ。登場人物はこの世界では皆生きた人間なのに)
急に視界が悪くなる。瞬きをすると、涙がこぼれ落ちてファナの頬を伝うのが分かった。
ファナが、泣いている。
あのファナが、と頭が真っ白になる。前世を思い出した時も、自分の家が破滅するかもしれないと知った時も、エドワードとの恋が始まる前に終ると知った時も、決して泣かなかったファナが、泣いている。
(ごめんなさい。分かっているのよ。貴方が正しいことも。でも、何も知らなければただの物語を進める駒だっただろうと思うと、腹が立って、悲しくって)
涙で落ち着いてきたのか、ファナはだんだんとトーンダウンしていく。
だから、設定を作った責任者に怒りが向いたのか。それは仕方ないことだ。ファナは悪くない。
(やっぱり貴方が他人事なのは許せないわ。でも、自分も許せないの。私達はズルいのよ。皆が知らないこと知っているから。
私が悪役令嬢をしていないから、あの侯爵令嬢が悪役令嬢の役になってしまったの。私のせいよ。だって私は元の配役を下りているいんですもの。私のせいで、あの子の家が破滅したら……)
何故そこでズルいという発想になるのかが分からない。ファナはヒロイン――いや、エルアをいじめないと自分で決めただけだ。あの侯爵令嬢にも、エルアをいじめないという選択肢があったのに、それを選ばなかっただけなのだ。
しかしファナは納得出来ないようで、首を振った。
(だって、あの子は、彼女がこの国を救う存在だなんて知らないだけですもの。知っていたら、いじめなかったと思うわ)
ファナは貯めていた分の涙をすべて排出したらしい。ゆっくりと頬を伝う水が引いていき、次第に鼻の奥がずるずるとしてきた。ファナはハンカチで鼻を抑える。
美少女と言えど、体の構造と反応は同じらしい。
(何よ、それ……)
ファナが力なく笑う。しかし、その涙を流した時の生々しい感触は、前世で生きていた頃と全く同じだった。
(ヒロトも泣くことが、確かに、あったわね)
ファナが前世の記憶を探る。ファナよりも長く生きている。きっとファナの十五年分よりもずっと多く泣いていた。
『なあ、』
ファナは知らないだけだとは言うが、本当にそうだろうか? エドワードに恋に落ちなかったファナは、始めからエルアもとい庶民や特待生について非常にフラットな目線で見ていた。きっとそれは、エマやナニ―の存在や、使用人と親しい距離を好む公爵夫妻の影響だろう。
だからもし、エドワードに恋をしていても、冷静に考えることさえしていたら、エルアをいじめないと選択していたのではないだろうか?
(どうなのかしら?)
きっと、そうだったと思う。
(でも、ヒロトがそう言うなら、そうなのでしょうね。だって貴方は私の創造主ですもの)
その創造主も、前世なら庶民だ。同い年で、生まれだけで偉そうに嫌がらせをされたら、同じようにはらわたが煮え繰り返っただろう。
「だから、あそこでエルアを守ったファナはいい女だったと思うよ」
ファナは涙でつまった鼻で笑った。
(貴方は謝れない、いやな男だわ)
怒りも涙も完全に引いた。まだ目は赤いだろうが、もう人に会っても恥ずかしくはないはずだ。
次の授業へ向かうつもりが人気のない方へない方へと移動してきてしまった。かなり遠まりになってしまったが、授業をサボる訳にはいかない。
(これからどうやって学園生活を送ったらいいと思う? さっきの癇癪。もうあの子達は一緒に居てくれないと思うわ)
ファナに友達が少ないのも、一人でいるのも、今にはじまったことではない。しかし、この学園に来てからは、貴族の女子という枠組みのグループには入っていたので孤立することはなかった。
(私には運命共同体がいるもの、一人ではないわ)
ファナが顔を上げる。視線の先、廊下の向こう側にはエルアが居た。こちらに気が付いたらしい。表情がぱっと明るくなる。
「レジーノ様!」
もしかしたらずっとファナを探しながら追いかけてきていたのかもしれない。赤い顔で息を切らしながら、エルアがファナの元へ駆けてくる。
「あ、あの、さっきはありがとうございました!」
「……いいえ、貴女達は私の癇癪に付き合わされただけよ」
ファナがさっと線引きをする。しかしエルアは、でも、と食い下がってきた。
公爵令嬢であるファナがつれない言葉を投げた時、こうやって諦めずに粘る者など今までいない。ファナは初めての経験に目を瞬かせた。
「私のこと、気にかけてくださっていたって。私、レジーノ様に憧れていたので、とても嬉しかったです!」
そこまで言って、エルアは恥ずかしそうに笑った。ファナも直情的ではあるが、エルアはまた別の直情的さがある。あまりにストレートに憧れなどと口にするので、ファナはどう返事を返していいのか分からなくなってしまった。
「ご、ご迷惑だとは分かっています。でも、私の気持ちをどうにかお伝えしたくて。申し訳ございません」
ぺこり、とエルアが頭を下げて行ってしまおうとする。
(ねえ、)
ファナが心の中で話しかけてくる。
(悪役令嬢ではない役割を、私も持てるって、本当よね?)
そこは、ファナの選択次第だ。両方に仲良くなりたいという気持ちがあればいい。簡単な話だ。エルアはああまで言うのだ。エルアがファナを拒むことは絶対にないだろう。
貴族から孤立するかもしれない。なら、孤立した人間同士、一緒にいるようにしようというのは良い考えだと思う。
「ねえ、ネジブランカ様」
ファナが呼び止める。エルアは何事かと素早くこちらを向いた。
「私達、お友達にならない?」
ファナが勇気を出して選んだ選択肢は、花開くような笑顔によって迎えられた。
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