第14話 『悪役令嬢』とヒロインのピンチ
エドワードとヒロインの遭遇からというもの、授業の合間ごとにヒロインを囲んでいた男子生徒は居なくなった。まだラブレターなどは机に届いているが、面と向かってのアプローチは無くなったようだ。
長い休憩時間を一人、ヒロインは窓の外を見たり、本を読んだりしている。講堂ではいつ見ても独りぼっちではあるが、以前よりはずっと過ごしやすそうにしている。勉強熱心で教師の覚えもめでたく、順調な学生生活だ。
エドワードとの仲も相変わらず進展しているようで、安心する。これで他の攻略対象ともファナの関知しないところで出会っているとしたら最高だが、とんと噂を聞かないので、そこまでは期待できないだろう。
(そう全てうまく行くわけないじゃない)
それはそうだ。ゲームのRTAをやっているわけではない。そうは自分に言い聞かせはするが、どうしても効率を考えてしまう。
(効率なんてまやかしよ。だって人生ですもの)
そろそろ次の授業の部屋へ移動しましょう。そう考えていたファナは突然、溜息をついて座りなおす。
(ついに、なのね)
最初、それが何を意味するのか、ファナが説明してくれるまで分からなかった。
ファナの見つめる先、教壇の上。女子生徒達が何人も固まっている。ファナと一緒に見てはいたものの、気を払っていなかった。しかしすぐに理由が分かる。女子生徒達のうちの一人が、何事か、涙を流している。周りの女子生徒はその子を励ましているのだった。
女子の涙。学校生活では決定的な何かが起こったことのサインだ。動揺しながら、顛末を見ていただろうファナにどういうことかと説明を求める。
(見ていなさい。あの子達、これからあの子をつるし上げるわ。貴方の言い方だと、『秩序維持』の為、ってことでしょうね)
ファナの言う『あの子』が誰かは分からなかったが、女子の集団がヒロインが座っている席を取り囲んだことでやっと理解できた。
「貴女、何様のつもりなの?」
集団のうちの一人が、鋭い調子でヒロインに聞く。流石に気がついたヒロインが、読んでいた本から顔を上げた。
声をかけたのは、ファナもどこかのお茶会で会ったことのある子だ。確か侯爵家のご令嬢だったと記憶している。上級貴族に突然なじられるも、それが何のことについてか分からないヒロインは困った様子だ。
「何か失礼をしてしまいましたか? 申し訳ございません」
ヒロインは向き直って謝る。女子生徒達の空気がより一層険悪なものになった。
まあ、気に障った方からしたら、自分の気分を害した『加害者』がその加害に気づいていないというのは一番腹が立つだろう。特に、恋愛についてなら余計に。なぜなら、ヒロインは無意識に自然体のままモテているというしるしになってしまうからだ。
「なんて白々しいの」
「これだから、厚かましい人は嫌いなのよ」
ヒロインを囲んでいた女子生徒達が口々にヒロインに対して怒りをぶつける。ヒロインは今初めて話した人も多いのだろう。誰に返事をしていいのか、きょろきょろと見まわしている。泣いていた女子生徒は余計に泣き始めてしまった。
侯爵令嬢が美しい顔を歪める。
「この間、貴女に告白した方。あの方は、この方を、春の舞踏会でデビュタントとしてエスコートした方だったのよ。他の舞踏会でも何度も踊られて、お家のお茶会でも何度もご一緒しているのよ」
ヒロインは貴族世界など知る由もない。侯爵令嬢の言っていることの意味は理解できないだろう。踊ったから、何だという話だ。ヒロインは黙っているしかない。ここで『それが何ですか?』など言ったら、火に油だ。
侯爵令嬢もヒロインが分かっていないことなど十分承知なのだろう。はっと冷笑を浮かべる。
(この間の騒ぎの時の話、みたいね……)
ファナが会話から察する。脳裏に、あの男子生徒が浮かんだ。あの男子生徒も貴族だ。家同士でそういう話が出ていた子が彼にも居たのだ。
「そう、貴女には知る訳ないわよね。知っていたら、あんな振る舞いが出来るはずないもの」
庶民出、平民出なのだから。口には出さないが、そういった空気が女子生徒達の中に見て取れる。
「礼儀も知らない方は、この学園にふさわしくないわ」
誰かがそう言ったのをきっかけに、また女子生徒達が口々にヒロインに息巻く。怒った女性は手に負えない。
「そうよ、どうしてこんな子が」
「女は氏無くて、なんてとんでもないわ」
「まあ、なんて慎みのないことを!」
女は氏無くて玉の輿に乗る。つまり、平民が玉の輿に乗るために男漁りに学園に来ているとでも言いたいらしい。それを最終目標に入学する爵位の低い貴族や準貴族の女性も多いと聞くのに、ヒロインもとい庶民だけは許されないようだ。
しかし。ファナが言った通り、ファナが悪役令嬢の役割をしなくても、いじめは発生してしまうのか。しかも公爵の次に爵位の高い侯爵家のご令嬢がリーダーになるとは。まるでシステムが自動で繰り上げているかのようだ。
物語の中で試練は主人公に付きまとうのは常だが、結局、世界の設定や社会の構造からして、既存を破壊し再生する『主人公』というはみ出し者を多数派は許せないのだろう。物語の構造によるものでもあるが、仕方なくはある。
(仕方ない? ヒロト、貴方本当にそう思ってるの?)
ファナが今までにない激しい遺憾を示す。
まずい。
ファナの心がさっと冷えたのと、誰かがファナの名前を口に出したのは、同時だった。
「貴女、とんでもないことをしているのよ。殿下に付きまとっているみたいだけど。殿下はレジーノ様と春の舞踏会でオープニングダンスから踊られたんだから!」
ヒロイン、そして女子生徒達の目線が最後列に座ったファナに向く。講堂の中の時が止まる。しんと静まり返った時間の中で、ヒロインの顔色が青くなっていくのが見えた。
誰もがファナの次の言葉を待っている。が、ファナはそれどころではない。それでも、仕方なく立ち上がり、教壇へと続く階段を下りる。
そしてそのまま、教室の扉へ向かった。
「レ、レジーノ様! よろしいのですか⁉」
ファナの背中で、慌てた声がファナの名前を呼ぶ。限界だ。ファナがぷっつんしたのはその時だった。
扉の取っ手にかけていた手を放し、向き直ってにこりと笑う。ファナの視界の中で、ヒロインを含めた全員がひるんだ表情になった。
「何のことでしょう? もし殿下のことでしたら、私には何も言う権利はございませんわ。いつも申し上げている通り、殿下が親しくされる方は、殿下自身にしか決めることが出来ませんのよ。本人にしか決められないことを他人は強制するべきではありません」
エドワードについて言われる度、いつもファナが言っていることを繰り返した。ファナはヒロインに近づき、視線を合わせる。
「エルア・ネジブランカ様。この学園は貴族ばかりで小さな社交界と呼ばれるほどです。面倒なしがらみでしょうが、3年間付きまとうものです。ご自身の為にも、他の方の為にも、貴族というものを知ることは損にはなりませんわ」
ヒロインが青い顔のままうなずく。
皆様も、とファナは女子生徒達を見る。
「ネジブランカ様は、男性は聖職者の方しかいない、修道院からいらしたのです。そこを鑑みなくてはなりません。彼女が男性を撥ねつけるのを見ていたでしょう? 決して彼女から殿方に接近された訳ではありませんわ」
修道院というのを初耳だというように女子生徒達は顔を見合わせている。そういえば、修道院から来たという設定はファナは知っているが、他の貴族の女子生徒は知るすべもなかった情報だ。
修道院と言えば、男子禁制。ヒロインが自分を囲む男子生徒をあんまり歓迎していなかった理由、女子生徒しかいない講堂で独りぼっちで居る方が落ち着いて見えた理由はこれだろう。
侯爵令嬢は冷静になれば賢い人なのだろう、はっとした表情になった。ファナはうなずく。
「彼女は殿下の言う『国の将来を支える淑女』に違いありませんわ。修道院長殿の推薦を勝ち得たということは、教会つまりは大主教様の許可を頂いて入学しているということですもの。優秀な方が学園に通うことは、国益に直結します。歓迎すべきことですわ」
大主教の名は貴族にはよく効く。王国でも、祭祀については大主教の方が王室よりも立場は上だ。その教会の推薦で入ったという事実は、ヒロインの優秀さと信心深さの証明になる。
最後に、とファナは、泣いていた女子生徒に近づく。その子は何を言われるか、と身を震わせた。
「貴女には私は謝らなくてはなりません。あの場で殿下が出て来られたのは、私のせいなのです」
「え……?」
どんな厳しいことを言われるのだろうと身構えていたその子は、意外な話の展開についていけないようだ。
「今思えば差し出がましい限りですが、殿下にこの状況について個人的なお願いをしていたのです。貴方の婚約者にはついては申し訳ございません。恨まれるべきなのは、私ですわ」
これには、その場にいた全員が驚く。特にヒロインはファナに目をかけられていたというのが衝撃だったのだろう。顔の青さはなくなったものの、驚きに口元を抑えている。
「貴女のお気持ちは、理解できますわ。その方に恋をされているんですもの。家や両親のことも心配だし、悲しいし、悔しいし、やるせない。けれどまだその方が好きなのでしょう?」
うなずくその子は、ぽろぽろと涙を流す。それがとても綺麗だからこそ、今回のつるし上げに行きついた思春期の純粋さが恐ろしい。
「もしも私が恋に落ちていたら、きっとそうだったと思いますわ。でも、それでも、そのやるせなさをネジブランカ様にぶつけては駄目。そんなことをしても、貴女に得はないもの」
その子はまたうなずく。それを見て、ファナが怒り狂いながらもほっとするのがわかった。
もうファナに言いたいことは、ない。ファナはヒロインと女子生徒達を見るが、彼女達はもう何も言えないようだった。
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