第13話 第一王子遭遇イベントと暗雲

 高い天井に、男の怒鳴り声が響く。何事かと皆が目を向けると、ヒロインが一人の男子学生に詰め寄られていた。


「貴族の俺がここまで言っているんだぞ⁉」


 ついに、つれないヒロインにしびれを切らした輩が出たようだ。

 嬉しくないタイプの壁ドンに、そんなことがまかり通る訳ない典型的とも言える脅し文句。いや、彼はきっと今まで色々なことを貴族というだけで押し通せてきてしまったのだろう。だから、その必勝パターンがヒロインには通じず、パニックを起こしているという印象だ。

 恋は盲目だとは言うが、こんな公衆の面前で取り乱しては今後の彼の社交生活について思いやられる。それとも相手は庶民出身で官位も爵位もない平民だから、貴族の内ではまだまだ子どもだと笑われてそこで終わりなのだろうか。

 可哀そうなヒロインは身を縮こませ、しかし果敢にも首を左右に振っている。力でどうにかしようという野蛮さに徹底抗戦する気だ。それが一層、彼の歪んでしまった恋心を燃え上がらせる。怒声が再度上がる。


「いいから俺と付き合えと言ってるんだ!」


 誰かが止めに入らなくてはいけないのだが、誰も止めに入れない。あれほどヒロインをちやほやと囲んでいた男子生徒で、ヒロインを助けようとする者はいない。ファナの周りの女子生徒達は、大声をあげている男子生徒にもその原因になるヒロインにも眉をひそめている。

 全然助けようとしない周囲と男子生徒のあまりの剣幕に、ファナもだんだんと抱える不安が大きくなってくる。思わず、ファナが一歩前に踏み出す。

 それ以上は、いけない。

 慌ててファナに接近するのをやめさせる。


(ちょっと、どうして止めるのよ⁉)


 これは、早く攻略対象に出会って欲しいというファナの願いが叶っただけだ。エドワードにヒロインのことをお願いしてから数日も経っていない。フラグが立ちさえすれば、イベント発生はこうも簡単なのか。


(何を言っているの?)


 こういう時に颯爽と現れるのが、白馬の王子様というものだ。

 一歩だけ周りの野次馬から踏み出ているファナの横を、すっと横切る影。こんな時でも微笑みを浮かべられる人物。声は場違いなほど爽やかでよく通る。


「何の騒ぎかな?」


 その姿を見て、ファナがやっと納得した。

 周りがざわつく。そりゃあそうだ。この学園で一番身分の高い人が仲裁に名乗り出てきたのだから。今日は白馬には乗ってはいないが、本物の王子様だ。

 ネヴェリア王国王太子エドワード・フローディスはゆっくりとヒロインと男子生徒に歩みを進める。


「エ、エドワード殿下……」


 男子生徒が絞り出すような声でエドワードの名前を漏らす。彼がどこの家の者かも知らないが、王家と比べたら彼に身分の優位性などない。

 男子生徒が害意はないのですとでも言うように、ヒロインを抑え込もうとしていた手を開いてエドワードに見せる。ヒロインはその隙にさっと逃げ出し、エドワードの後ろへ隠れるように回る。男子生徒はそれを目では追うが、エドワードの手前、動けない。


「ここは国の将来を支える紳士淑女を育てる学舎。どうかその教育精神を学び、紳士たる振る舞いを身につけて欲しい。と私は考えているのですが……」


 大した圧力だ。男子学生はエドワードに向かって、頭を縦に振って見せる。エドワードはそれを確認すると、一人ひとりに視線を合わせるようにして周囲を見渡す。

 視線による念押し。こんなパフォーマンスを王子にされたら、今後はこんなことは起こりえない・許されないというのが、いやでも分かる。

 一歩前に出ていたファナと目が合うと、エドワードの青い目が少しだけ笑った。そしてまた視線を滑らせ、男子生徒へ向き直る。


(あら、今――?)


 エドワードがファナとは別に一瞬視線を止めた方へ視線を動かす。すると、そこで初めてファナと同じように一歩前の位置に立っていた人が居たことに気がつく。もしかすると、ファナと同じく、ヒロインを助けようとしていたのかもしれない。

 そのヘーゼル色の目と視線が交差する。

 その外見的な特徴に、はっとする。何しろ、その目の色をもじった言葉を名前として設定したのだから間違いがない。同じ学年なのだ。どこかで会うだろうとは覚悟していたが、このタイミングか。


(私が会ったことがなかったハーゼル・アルミティア卿ね)


 攻略対象のうちの一人、アルミタ辺境伯の長子ハーゼル。王都では珍しい褐色の肌に、オールバックにまとめたダークブラウンの髪。そして美しい白目に際立つヘーゼルの瞳。武名を轟かすアルミタ辺境領で育ち、筋肉質で野性味の強い容貌をしている。

 ばっちり視線が合ってしまったので一応にこりとして見せたファナをハーゼルは少しの間だけ見つめるが、さっと目を逸らしてそのままどこかへ歩き去ってしまった。


(なんだか不愛想な方)


 性格はファナのコメントの通りだ。

 ヒロインとエドワードのところへ視線を戻すと、いつの間にかあの男子生徒はいなくなっており、ヒロインがエドワードへお礼を言っている。

 流石は王子だ。穏便に場を収めたらしい。これでエドワードのルートは解放されただろうし、ヒロインを追い回す男子生徒も減るだろう。


(それなら良かったわ)


 しかし、ファナ、伝えなくてはならない残念なお知らせがある。


(何よ?)


 もしかすると、だが。今のは、本来ならば、ハーゼルの遭遇イベントだったかもしれない。


(またなの⁉ なら、殿下の時のように、また次の機会を待てばいいんじゃない?)


 いや、どうだろう。

 ハーゼルは普段は無口で、あまり人を寄せ付けないタイプなのだ。辺境伯の家の出ではあるが、もとは小国だった地域で、時代が違えば彼も王子だったような立場だ。エドワードが従兄である以外は中央貴族とも交流は少ない。そんな簡単にきっかけが転がり込んでくる人物では決してない。

 ハーゼルがヒロインに惹かれるのは庇護欲からという設定は決めていた。エドワードが出てきたことで、ヒロインに及ぶ加害は減る。つまり、ハーゼルが出てくるきっかけが完全に潰えたということに等しい。


(ずいぶん細かく設定していたのね……でも、前も言った通り、攻略対象は他にもいる訳でしょう?)


 いや、その通りではある。その通りではあるのだが。


「今日も違う髪型だね」


 ヒロインとのイベントが終わったらしいエドワードがいつの間にか目の前に来て、話しかけてくる。この間よりは顔色が良い。

 今日はハーフアップにしていたが、ちゃんとお嬢様風だ。これは確実にファナに似合っているはず。自信作である。


「ええ、まあ。……早速、ご相談していたことを解決して頂いて、ありがとうございました。お手数をおかけしてしまって、申し訳ございません」

「構わないよ。その為の私だ。ただ、ああいう時に前に出るのは、いくら君でも危ないと思うよ」

「確かに、軽率でしたわ。でも、誰も動けなかったんですもの」


 やはり気づいていたか。お転婆を見抜かれたファナがたじろぎながら言い訳をする。しかし、エドワードは気にしていないようだった。


「まあ、私が来なくても、従弟が動いていたかもしれないけれど」

「アルミタ卿ですか?」

「おや、ハーゼルと知り合いなのか」

「いいえ。ただ、先ほどお見かけしたので」


 そうか、というエドワードはまたあの例の表情になった。そのファナをじっと見つめる目は、ファナではない誰かを思う遠い目をしている。ヒロインのことを思っているのだろうか。

 エドワードの心の内はそれ以上察することが出来なかった。






 遭遇イベントを終えた後は、ヒロインは順調にエドワードとの仲を深められているらしい。貴族の女子生徒達と居ると、ありがたいことにいつどこで二人が一緒に居たとか話していたとかの噂が回ってくる。


「昨日も殿下と中庭でご一緒されていましたのよ」

「あら、一昨日は図書館で殿下とお話されているのを見たばかりですのに」


 エドワードはヒロインよりも1つ年上であるので、学園での期間が1年短い。学園にいるうちに親密度なり好感度を上げておかないといけないはずだ。これは嬉しいニュースである。

 しかし、女子生徒がファナの目の前でこういう話をするのには別の意図があったようだ。急な方向転換がなされる。


「なんていやらしい!」

「ファナ様を差し置いて、失礼ですわ」

「本当に。平民は身をわきまえないのね!」


 サイドテールにした髪の毛先をいじりながら話半分に聞いていたファナは、急に自分の名前が挙がったことに驚く。

 あらぬ矛先、とは言いたいが、確かに『春の舞踏会』でエドワードとは2回踊ってはいるし、途中で二人して席を外した。学園でも顔を見合わせれば話はしている。ヒロインは知る由もないだろうが、貴族の中ではファナとエドワードの仲はだという共通認識が出来上がっており、ファナはその度に訂正するはめになっている。


「確かに殿下とは親しくはさせて頂いてはいますが、あくまでお友達でしてよ。婚約もしていない私がどうして出てくるのです? 殿下が親しくされる方は、殿下自身が決めることです。それに私ごときが口をだすこと自体が不遜ですわ」


 何度目になるのだろう。半笑いになりながら、ファナが言う。それを聞いて、周りの女子生徒達はファナの名前でヒロインを悪く言うことをぐっとこらえたようだった。

 危ない危ない。ヒロインを槍玉に挙げるための良い理由づけになりそうになった。


(急に名前が挙がったから、驚いたわ)


 ファナも少し懲りて、集団から少し離れる。

 エドワードのことでファナをだしにすることは無くなっても、ヒロインのことは気に食わないのだろう。陰口に近いような噂話が聞こえてくる。


(あの子のことを追い回していたうちの何人かは、以前は彼女達にアプローチをしていたり、デビュタントのエスコートをしたりしていたらしいのよね)


 泥を塗られた、と感じている、と。加えて、王太子のエドワードも取られてしまったとなっては、彼女達も怒る訳だ。エドワードについては、同じ貴族のファナならば身分も申し分ないし、釣り合いが取れるから仕方ないとなるだろう。しかし、ヒロインとなると、彼女達は頭を飛び越えられたということだ。それで『身を弁えない』なんて言葉が出てくるのだ。

 悪いのは、ヒロインではなく、その男どもだと思うが。


(そうよ。でも、熱を上げたところで最後に結婚するのは貴族同士だと分かっていても、今許せないものは許せないのよ。だって、その方達に恋しているんだもの)


 恋しいから振り向いてくれないのが憎い、という気持ちの憎しみの部分が恋人ではなくヒロインに向かってしまっているということだ。


(ヒロト、私たちはあの子が特別だって知っているわ。だから彼女に何があっても彼女が何をしても動じない。でも、皆はそうじゃないのよ。だから、ね。私たちはズルしているのよ)


 ファナは女子生徒達を同情的に見つめながら、誰にも聞こえない小さな声で呟いた。


「不思議なものね。私という悪役令嬢が彼女をいじめないと決めても、誰かが立ち上がってしまうのね」

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