第12話 悪役令嬢とヒロインと第一王子

 ところで、救世主的なヒロインの居る乙女ゲームは、ヒロインと攻略対象の一人だけを切り取って攻略対象目線にすれば、『ぼくときみ』の関係が世界に直結するいわゆるセカイ系になるのではないか?

 これはなかなか面白い。前世だったらSNSに意気揚々と書き込んでいただろうに。


(ちょっと、授業中にくだらないこと考えないでちょうだい)


 ファナがこうるさそうにこちらを注意してきた。

 授業に意識を戻す。遠く、教壇では、優しそうな雰囲気の初老の教師がゆったりとした調子でネヴェリアの地理的な特徴について話している。子どもの頃から教育を受けてきた貴族の息女には非常に基本的な内容だ。春の暖かい空気に満ちた講堂内では、眠そうにしている者が多い。一番後ろの席を陣取った為、周りの生徒の様子がよく見てとれた。

 授業を聞いていると、初耳なことは多い。が、前世に比べて情報量が少なすぎる。前世の受験戦争の世界からすると、だいぶ。いや、高校1年の春なんてこんなもんだった気もする。

 夏季休暇までの期間は、男女別の基本の教養クラスで地理や宗教や政治、経済などの国についての基礎を座学で学ぶ。秋からは選択授業で男子生徒と合流し、好きな授業を取る事ができる。それでも、大体の女子生徒は礼儀作法やダンスや刺繍や絵画制作などを選びがちで、ほとんどの学園生活で男女別のクラスになるらしい。

 この世界がゲームの世界というからには、その選択授業がヒロインの恋愛攻略にとっては大事になるのではないだろうか。例えば、エドワードなら王子らしく政治や弁論、オセローならよく絵を描いているので絵画、ジェシーなら商人らしく経済とかだろうか?

 恋愛シミュレーションゲームは意外と現実的だ。主人公の容姿や学力や体力などのステータスを攻略対象の攻略レベル、つまり恋愛対象として気を引けるレベルまで上げなくてはならない。対象をストーカーレベルで追い回したりするゲームだってある。一歩間違えればアブない奴だが、要はリサーチと実行力は大事ということだ。

 チラリと窓際のヒロインを見る。彼女の容姿ステータスは、誰がどう見てもカンストしている。では、乙女ゲームだとしても、恋愛アドベンチャーの方だろうか。


(貴方もあの子の真面目さを見習ったら?)


 ヒロインは真面目な顔でその目を教壇にまっすぐ向けている。

 ファナの意見はもっともだ。しかし、どうしても思考がずれて行ってしまうのだから仕方ない。本編がスタートしてしまったことで、あのヒロインの青い目にしろ、考えるべきことがいっぱいあるのだ。

 青い瞳は特別、と設定したことだって、学園に通うようになって現実感を持って考えるようになった。入学式の夜、夕食の席でヒロインの話をちらりとしたら、青い目をしているというところで両親はもちろんオセローまで驚いたし、学生達も彼女がどんな立場なのか計りかねて腫物扱いしていた。


(でも、それも少しの間だけだったじゃない)


 授業の終了を告げる鐘が鳴り、教師が教室を去る。と、それと入れ違いざまに男子生徒が何人かぞろぞろと教室に入って来た。その足が一直線に向かうのは、ヒロインの席だ。


(あの子はあんまり喜んでないみたいだけど)


 何日も見れば、見慣れる光景だ。授業の合間にヒロインに男子生徒が群がっている。最初はヒロインの青い目を見て王室関係かと遠巻きに見ていたが、彼女が庶民出で官位を持たない平民だと知ると、言い寄ろうとする男子生徒が大量に発生した。


(あれだけ可愛いのだもの。しかたなくはあるけれど……)


 ファナだって見た目には遜色ない。しかしファナはどちらかというと美人系で王子のお手つきの公爵令嬢。いわば高嶺の花。彼らも視線は飛ばしてはくるが、声をかけてくるような奴はいない。ファナは視線さえ知らんぷりで通している。舞踏会だろうと学園だろうと、彼らにチャンスなど無いのだ。

 その点、ヒロインは愛想は良いし、貴族のしがらみはないし、可愛らしい隙がある。つかの間の恋をする相手にはちょうどいい、と彼らは思っているのだろう。つまりは、ヒロインを下の身分だと軽く見ているとも言える。


(そう。そこが透けて見えるのが嫌なのよ。彼女は分別があるみたいだし、穏便に断って、受け入れてはいないみたいだけれど)


 男どもには分別は無い、と。今はプレゼントやラブレターなどを渡そうとするくらいで、ちやほやと褒め言葉を投げかけているだけだが、修道院育ちのヒロインは色恋沙汰には頑なだ。その内にやきもきした無作法者が出てこないという保証はない。下の身分の者に横柄な奴もいるだろう。貴族というのを笠に着て、無理矢理言い寄る輩が出てきたら、という心配がある。

 エドワードは皆にも立場があるから心に秘めているなどと言っていたが、それは貴族間の話だけらしい。それとも、エドワードの目があるところでは皆取り繕っているのか。いや、それならエドワードも見抜くことだろう。やはりヒロインが特別なのだ。


(早く彼女が攻略対象と仲良くなって、その方が盾になってくれないかしら。そうすれば、あの騒ぎも落ち着くでしょうに)


 それが一番手っ取り早いだろう。けれど、別にその盾の役はファナにだって出来なくはない。


(えっ、私が?)


 いじめないと決めた今、悪役令嬢ではない役割をファナを持つことが出来るはずだ。

 恋愛シミュレーションゲームには情報通で攻略を助けてくれる、善意の同性キャラがいたりする。そういうキャラは、ヒロインと仲良くしたり、攻略対象と面識があったりしても問題がない。特定のルートに入らなければライバルにはならないし、むしろ恋愛を通さないことで世界観や裏設定を知るような友情ルートだってある場合がある。悪役令嬢の善良版。むしろヒロインと全方向でやりあうような悪役令嬢のほうが圧倒的少数派なのだ。

 ファナが横にいれば、無作法なアプローチをしてくるような奴は絶対にいないだろうし、物語において仲の良い女の子たちの間に入ろうとする男の結末など1つしかない。


(本当に、その『ゲーム』っていうものは……私に色々と押し付ける割には何でもアリすぎて、よく理解出来ないわ。そう、私があの子の友達になる選択も可能なのね? でもそれって危険はないの?)


 それは分からない。ファナがあまり能動的にストーリーには関わりたくないのなら、おすすめはしない。ファナの最優先事項は、自分と家を破滅から遠ざけることだ。エドワードに惚れなかった世界線にいる現在、無茶なことをしろとは言わない。

 でも、気になっているんだろう?


(それはそうよ? 貴族でもないし、特待生のグループでも修道院出身はあの子だけ。女子生徒だけのクラスでも、仲の良い方はいない。教室の移動の時、彼女が黙って一人で後ろをついて来るの、貴方だって私と見ているでしょう?)


 ヒロインが浮いているのは確かだ。

 ヒロインは女子からも好かれるようないい子だと設定したのだが、現実ではなかなか難しい。両方に仲良くなりたいという気持ちがあって、相手の性格が見える程度に話をしてみようとする相手がいないと話にならない。相手の気持ちが読めるテレパスでない限り、いい子だなどと分かる訳がないのだから。

 ファナだって根はいい奴なのに友達がいない。それでも貴族としての繋がりがある。それすらないのは、ヒロインにとっては心細いだろう。


(私にだって、親しい方くらい居るわよ! ずっと年上で、母方のはとこにはなるけど――)


 ヒロインは孤児という設定だ。修道院以外に彼女の繋がりはない。


(……そうだったわね。早く、攻略対象が彼女に出会って欲しい限りだわ)






 ファナの言う通り、同じ学園に居るのだから、今日でも明日でも、毎日でも出会ってしまうものだ。しかし、出会って欲しいのはヒロインであって、ファナではないのだが――。

 授業終わりの移動中、中庭を歩いている時。すれ違いざまに呼び止められ、振り向くと、エドワードが居た。


「やっぱり貴女だったか」

「殿下、ご無沙汰しております」


 側にいた他のご令嬢が第一王子の突然の登場に騒然となるが、すぐにファナに気を利かせて席を外した。ファナはエドワードとだけになりたくないのに、だ。

 流石は小さな社交界。春の舞踏会の2回続けてのダンスと、エドワードとファナが途中で居なくなったことが意味することが、周知の事実となっているという事実がこんなにもファナには辛い。これでヒロインがエドワードとくっついたら、ファナが振られたということがずっと皆の共通認識になるのだ。

 エドワードに振られるのには覚悟が出来ていたが、ファナの令嬢としてのプライドとして周りからとやかく言われるのは受け入れられないようだ。


「髪型で、君かどうか一瞬分からなかったよ」

「あら、変でした?」


 今日は気分で三つ編みにしていた。似合わなかっただろうか。


「ああ、いや。似合っていないという意味じゃなく。印象になかったからね」

「はあ」

「あれから君も変わりはないかな?」


 あまりに気さくに話しかけてくるから、本当にびっくりする。確かに舞踏会では好印象を残したようだったが、それからエドワードとの接触が無かったので距離感を掴みにくい。


「ええ、まあ。……殿下はなんだか疲れた顔をしておられますが」


 ファナもこの不思議な距離感に動揺しているのだろう。よせばいいのに、ファナが先ほどから気になっていたエドワードの顔色について突っ込んだ。


「最近急に温度が上がったからからかな」


 案の定、エドワードは微笑みながら理由をはぐらかす。しかし舞踏会の時のような輝くような美貌はなく、青白い肌によって若干陰っている。貧血や寝不足だろうか。


「学園で不都合なことや困ったことは?」


 自分は青い顔をしているのに、他人のことを心配するのだから王子というものは大変だ。自分以外を国民として接し、壁を作ってしまうと設定した誰かの責任でもあるのだが。


「いいえ。特に、は……」


 と、ファナが言いかけて、ふと思い返す。


(殿下に、あの子のこと、頼んでもいいかしら?)


 悪い考えではないように思える。入学式の日、ヒロインとエドワードの遭遇イベントは邪魔してしまった。あの日ほどの特別感はないとしても、不埒な輩に絡まれているところを颯爽と助ける白馬の王子様。というのは、なかなかロマンティックかもしれない。


(なら、決まりね)


 長考状態になっているファナの顔をエドワードが覗き込んでくる。言うべきか迷っている、という風にも見えたはずだ。きっとちゃんと対応してくれるだろう。


「何か?」

「いえ、私のことではないのですが……」


 歯切れ悪くファナが言う。うまい。オセローの皮肉ではないが、ファナはなかなかの女優のようだ。


「特待生の方のことで」


 エドワードの頭にはおそらくヒロインがよぎったのだろう。またあの妙な表情になる。


「特待生の女子生徒の方が熱心なアプローチを、その、殿方からされて困っているようでして」

「……なるほど。今度見かけたら注意しておくよ」


 青い顔をしながら、エドワードが約束してくれる。この王子なら、口約束だろうと、絶対に約束を守ってくれるだろうという安心感がある。これで間違いなくヒロインとのイベントになる。入学式の日のリカバリーはこれで確約されたようなものだ。


(あの子も、これで、あの状況から抜け出せると良いわね)


 悪役令嬢はそう言って恋敵にエールを送った。

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