第11話 悪役令嬢と青い目

 女神の祝福は一体何になるのだろう。

 雨を願えば雨が降る、というのがあればそれっぽいが、この治水の進んだ国では求められるだろうか。女神の声が聞こえるとか、予言が出来るとか、獣や妖精から好かれるとか、光魔法が使えるとか。目に見えるような恩恵やしるしがない。

 もしそういう分かりやすい恩恵があれば、設定上はファナにもあって、とっくに聖女に祭り上げられているはずだ。つまりそんなものは今の所、無い。

 設定だと、何か王家にまつわるレガリアをヒロインは手に入れられることになっていた。


「貴方も雷の剣をあの絵で見たでしょう? あれが魔王を倒した後、女神が王家に授けた宝剣。伝説には出てくるけど、実在するの。大聖堂のある場所の大岩に刺さっているわ。あれを抜けたら、女神の生まれ変わりだと言われているから、きっとあの子にはあの剣が抜けるのでしょうね」


 なるほど、分かりやすい。アーサー王伝説のエクスカリバーと同じ方式か。

 ではヒロインはその剣でどうやって救国するのだろう? というか、攻略対象はヒロインに救済されなかった場合はどのように闇堕ちするのか? 魔王とは? 誰だ、こんな中途半端で未完成の設定を作った奴は?

 しかし、ヒロインの大事なエドワードとの遭遇イベントは邪魔してしまった。これではもう終わりだ。色々と考えたところで無意味でしかない!


「ヒロト。貴方、どうかしたんじゃない?」


 ファナが驚いたわ、と胸に手を当てた。

 頭だって、どうにでもなる。ヒロインの王子との遭遇イベントを邪魔したのかもしれないのだ。これがどういう意味になるか、ファナは分かっていない!


「ええ、分からないわ。だって貴方が説明してくれないんですもの」


 ヒロインは攻略対象に印象深いイベントで遭遇しないと、ルートに入るためのフラグ、つまりは恋愛する運命に入るためのきっかけが無いということになるのだ。


「きっかけは確かに大事よね。でも、そんなもの、どこにでも転がっているものでしょう? 同じ学校に通っているんですもの。今日を逃しても、明日にだって出会う機会はあるわ」


 そんなもの、どこにでも転がっているはずがないのだ。明日では駄目だったのだ。今日は入学式だった。そんな特別な日に、リアル王子様に運命的な出会いを果たす。なんてロマンティック。それが入学式の次の日だったら? 入学式当日のドラマティックさに比べたら、かすんでしまう。


「そうかしら? 貴方、言ってたじゃない。一目惚れや電撃的な出会いの衝撃がなくても、時間をかけて恋に落ちることもあるって。それに、攻略対象は殿下だけではないのよ? 貴方の理論なら、殿下以外にだってあの子は今日出会っているんじゃない?

 あとは……そうよ。あの殿下の視線。たぶん、殿下は既に彼女に会っているかもしれないわよ。幼少期に彼女と偶然会っていて、初恋の君としてその面影を慕っているかも、って。貴方が言ってた通りにね」


 ファナがすらすらと理論的に反論してくる。

 それは……そうかもしれない。攻略対象はエドワードだけではない。別にハーレムエンドになる必要はない。せめて誰かのベストとは言わずグッドエンドにヒロインが到達して、王国の滅亡から逃れられればそれでいいのだ。

 それに、ファナが指摘するように、エドワードはヒロインを食い入るように見ていた。もう学園外でストーリーは始まっていて、エドワードの側で何か思うことがあるのならば、何もしなくてもエドワードが自分でヒロインに接近するだろう。

 ファナに冷静な指摘を受けたことで頭が混乱していたのを自覚してくる。ファナのサポートをしなくてはならない立場であるのに、なんともバツが悪い。

 ファナはくすりと笑った。


「貴方のいままでの気分がよく分かったわ。相手が混乱していると、自分はすっと冷静になってくるものなのね」


 ほら、もうすぐ家につくわよ、とファナが言う。

 どれだけ混乱していたのかが、よく分かる。いつの間にか、家に向かう小さな馬車に乗っている。

 これから三年間お世話になる、学園の通学用に認可を得ている辻馬車だ。男子学生であれば乗り合い馬車にでも乗れるだろうが、ファナのように身分の高い女性が一人でそういうものに乗るわけにはいかない。そこで出てくるのが小型の辻馬車である。要は、学園が保証する社用車やお抱えタクシーのようなものだ。


「それにしても、殿下とあの子を邪魔したかもと取り乱すなんて、貴方はよっぽど殿下と私を結婚させたくないみたいね」


 エドワード以外にも攻略対象は居るとは分かっていても、エドワードはやはりメインキャラとしていた攻略対象だし、ファナの設定を考えればエドワードにファナが惚れていないならヒロインに是非行って欲しいルートになる。

 それに、ファナとエドワードが結婚したら、ファナに王妃の務めやお世継ぎやら面倒な義務が降りかかってくる。ファナと同じものを見たり感じたりする身としては、男として耐えがたい。


「ふうん」


 とにかく、今後はヒロインにも攻略対象にも気をつけなくては。気づかなかった、とヒロインのフラグをへし折っていたらこの国は破滅だ。


(あんなに良い子ですもの、なるようになるんじゃない?)


 しばらくすると、見覚えのある公園が見えてくる。馬車はその公園に一番見栄え良く面したグランテラー家のタウンハウスの前に停まった。







「どうもありがとう」


 ファナが御者にお礼を言う間に、玄関からナニーが出てきた。

 その顔を見て、ファナがほっとするのが分かる。冷静ではあったものの、ファナもヒロインと同じく新しい環境に入り込んだのだ。気疲れしたのだろう。


「お嬢ちゃま、お疲れでしょう。お茶を入れましょうね」


 ナニーがささ、とファナを居間へ呼び込む。ファナは言われるがまま、座り心地のよい長椅子に座り込んだ。どんなに上質な馬車でも動かない椅子には及ばない。

 途端、部屋の奥の肘掛け椅子からオセローがそそくさと立ち上がった。いつものように、読書かスケッチでもしていたのだろう。だらしないところをうるさい奴に見られた、とファナがさっと姿勢を正す。しかし緑の目はこちらを一瞥しただけで、黙って上の階へ上がって行った。


(あの子の態度。しばらくすれば何か変わるかと思ってたけど、何も変わらないわね)


 少し前にあった春の舞踏会でファナの癇癪に付き合わされ、一番気にしていた爵位継承についてファナはそもそも興味が無かったと宣言されたオセロー。それからというもの、オセローはファナを以前よりも避けるようになってしまっている。

 人の心は簡単には変われないのものだ。心配ごとが杞憂と知って、今までのことを思い返し、オセローはどうファナに接したらいいのか分からなくなっているのだろう。

 でも、皮肉屋キャラなのだから、少なくとも皮肉くらい言っていけば良いのに。オセローが制服姿のファナを見るのは初めてだ。『学校ではその性格の直し方は教えていないようだね』くらいは言ってきたって良い。


(やだ、それってオセローの真似? 似てるわね)


 ファナがくすくすと笑う。

 ファナもオセローが実の弟ではないと知ってもこんな態度なのだから、オセローが余計に苦手に思うのも仕方ないのかもしれない。何も知らずにと憎んでいた姉が自分の頭の中を見透かしたようなことを言ったのだ。混乱だってするだろう。


(変える必要なんてないわ。私はオセローの姉なんですもの)


 それだからオセローのファナはいつから知っていたのか、いやまだ知らないままなのか、という疑心暗鬼が深まるというのに。

 まあ、これからのことはファナの選択で変えられるけれど、過去は変えられない。前世を思い出す前のこと、特にオセローとの関係については、ファナが自分で向き合っていかなくてはいけないものだ。

 ナニーがお菓子をテーブルに並べ、ちやほやとファナの世話を焼く。そのうち、ファナの帰宅に気づいた公爵夫人やエマも居間へ出てきて、ファナを疲れただろうともてなす。

 まさしく、蝶よ花よ、というやつだ。ファナがまだ制服から着替えていないのを注意する者などいない。環境が人を作る。これがわがままな悪役令嬢を作った環境か。


(人は簡単には変われないのよ。いいじゃない。家の中でくらい甘えていたって)






 流石に夕食の時までには制服から着替えは済ませておいた。公爵夫妻の対面にオセローと並んで席に着く。今日は客もなく、簡素な食事だ。

 家族だけとなると話題は、家族の今日一日についての話になる。その中でも、ファナが学園へ入学したことは一番ホットな話題らしい。食事が始まるとすぐ、公爵がファナに問いかけた。


「ファナ、入学式はどうだったかい?」

「礼拝堂での式だったのだけれど、とても厳かで格式高くて。殿下が祝辞のスピーチをなされたのだけれど、感銘を受けましたわ」


 ファナの言葉に公爵の頬が緩む。全く同じことを公爵夫人にも言ったのを既に聞いているだろうに。

 ファナをエドワードへ嫁にやりたいと考えている公爵としては、ファナがそう口に出すのを聞くのは何よりも嬉しかったらしい。


「学園はどこもとても素敵なの。オセローも来年入学したらきっと気にいると思うわ」

「そうなんだ。楽しみだね」


 公爵夫妻の手前、ファナを無視する訳にいかないオセローにわざとファナが話題を振る。オセローもそつなく応答しているが、そうやっていじめるからオセローが萎縮するのが分からないのだろうか。


(だって意地っ張りなんですもの。でも、分かったわ。今夜はもうしないったら)


 公爵夫妻はきょうだいの攻防を知っているのか知らないのか、にこにこと見ている。


「来年からはオセローが一緒に通うとなると、安心だな。同じ学年で、仲良くなれそうな子はいたかい?」


 公爵の質問。今度はファナが困る番だ。いつものお茶会での様子を知っている公爵夫人は、はっとした顔をした。


「そうだわ。お友達になれそうな子、気になる子はいた?」


 ファナが返す言葉に詰まる。今日のファナはそれどころではなかった。

 そんな友人作りの為だけにファナは通学しているのではなく、この家とこの国を未来の破滅から守ろうと必死に考えて過ごしている! と言えたら、どんなに良かったか。


(貴方のせいでもあるのよ? 誰かとおしゃべりしてる暇も無かったんだから!)


 しかし、公爵夫妻の期待に満ちた顔を曇らせる訳にはいかない。ファナの脳裏にはヒロインしか浮かばない。もう仕方がない。


「ええ、お人形のようにとても綺麗な子に会ったわ」


 公爵夫妻の顔がぱっと余計に輝く。続けて説明をしなくてはいけない雰囲気だ。オセローもファナが他人を褒めるのを珍しく思ったのか、こちらに顔を向けている。


「えーと、その子はエルア・ネジブランカ様と言って、修道院の推薦で入学した特待生の子なのだけれど、とても信心深くて、優秀そうな方だったわ」


 ファナがまさか貴族ではない者の名前を挙げるとは思っていなかったのだろう。公爵夫妻もオセローも驚いた表情をしている。しかし、いつもの惨状を知っている公爵夫人は努めて明るく言う。


「そう……良かったわね。それにしてもお人形のような子だなんて、ファナが他の方を言うなんて、初めてね!」

「そうだな、いつでもファナが一番だって言っていた子が。大人になったものだ」


 公爵も公爵夫人の言葉に、やっと微笑んでそう言った。

 そりゃあ友達の少ない愛娘にお友達になれそうな子が出来たというのだから、親馬鹿な公爵とすれば喜ぶべきだと考えたのだろう。

 試練の時は過ぎ去ったらしい。ファナもその笑顔にほっとする。


「ええ。髪は黒くて、肌は白くて。それがあの透き通るような青い瞳を際立たせていて――」


 そこまで言ったところで、ファナが口を閉ざす。公爵の深い青い目が、公爵夫人の緑がかった青い目が、オセローの緑の目が、大きく見開いている。

 そう言えばそうだった。この世界では青い目は女神の目。王族とそれに連なる一部の上級貴族にしか青い目の持ち主は居ないのだった。


(貴方って本当にややこしい設定ばかりつけるのね!)


 自分の容貌に興味が無い為に人にも興味が薄く、今の今まで気にもしていなかったファナが、今更心の中で叫んだ。

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