悪役令嬢の生存戦略
第10話 入学式とヒロインとの邂逅
遠雷が聞こえてからしばらくすると、屋根に雨があたる音がし始めた。集まった新入生の熱気で暑いくらいだった礼拝堂が、次第に涼しくなっていく。
先程まで晴れていたが、突然天気が悪転したらしい。ハレの日だというのに、あいにくの雷雨だ。しかし、このネヴェリア王国では吉兆の意味になるらしい。
豊穣の女神ユノベールは春に目覚め、その目覚めを民に知らせる為に雨雲の馬車を走らせる。彼女の馬車は雷鳴と慈雨をもたらす。新しい学年度の始まりとして、この上ない女神の祝福のしるしだ。
説教台からエドワードが述べている祝辞のスピーチの冒頭でも、そのことが触れられていた。
(女神の祝福を受けたヒロインが参加する入学式ですもの。雷くらいは落ちるでしょうね)
式が始まる前、座った場所から視界の許す範囲でヒロインを探したが、新入生が多すぎるので見当たらなかった。きっと例年よりも入学者の数が多いせいだ。
その理由は、聞けば納得できる。王子が生まれる時、同世代の子どもを作ろうと富めるものも貧しきものも必死になるので、出生率が上がるからだ。庶民は王子にまつわる恩典を受けられ、貴族は学年が近ければ王子の側近となれる可能性が高まる。現にエドワードの入学した昨年からは特例で特待生である庶民の入学枠が広がったらしいし、現国王の特に親しい家臣は学園の同級生と聞く。
ネヴェリア王国唯一の中等教育機関である『聖ユノベール学園』。入学できるのは貴族を基本として、準貴族の子息や息女。そして有力者の推薦状を得たか、難しい試験を突破した、ごく少数の庶民の特待生だけ。
王子が関わる時とは言わず、常に庶民に対しても門戸を広げた方が国には有益なはずだ。特待生をもっと入れて、競争化させればいいと思う。が、初等教育機関が整備されておらず、また義務ではない現状だ。財政上も難しいだろう。裕福な貴族は家庭教師を雇えるが、そうでない貴族もいる。庶民においては様々な職業・身分の者がおり、全員が公立で学校があったとしても通わせられるわけではない。
この修道服のような地味な学生服にしたって、無地ではあるが、女子はスカートの丈が靴にかかるくらいまである。布をふんだんに使ってあるのだ。決して安いものではないだろう。
(ヒロインの子は、環境の良い修道院で育って読み書きも出来るし、修道院長からの推薦で入学しているのよね? きっと優秀なんだわ)
ファナが何の気なしの感想を述べる。
設定上では、ファナは片想いをするエドワードと同じ青い目を神聖視するようになり、ヒロインの目が青いことが気に食わずにいじめるようになる。そう素直に思えるのなら、やはりファナはエドワードには恋していないのだろう。
(やっぱり殿下がキーなのね。気をつけなきゃ)
ファナがスピーチ中のエドワードを見ながらうんざりした調子で宣言する。が、その途端、壇上のエドワードと目が合った。
(……出来る範囲で、ね)
ファナは気づかないふりをしながら、ゆっくりと目を伏せた。
ファナはヒロインをいじめないと決めている。ヒロインはどう出てくるだろう。悪役令嬢ものだと身分差がヒロインとの確執になる事が多い。ヒロインは貴族社会における他者として、身分を簡単に乗り越えられる。ヒロインがいじめを虚言する場合、悪役令嬢はただ秩序維持の為に警告をしていたに過ぎない時もある。
(何よそれ。逃げようがないじゃない。貴方の設定したヒロインはそんな子だって言うの?)
まさか。女性に好かれるような非の打ち所がない良い子にした、はずだ。
セオリーならヒロイン転生パターンも攻略者転生パターンもありえるが、カミサマはこの世界がオーダーメイドだと言っていたし、色々な設定のズレも設定不足だと明言していた。
若干の不安は常にあるが、カミサマの手腕を信じて過ごすしかない。
「――皆の学園で学びがネヴェリアの実りのように豊かなものとなるよう、女神ユノベールの御名において祝福がありますように」
エドワードがスピーチの締めに女神の祝福の言葉を口にすると、全員が手を組んで一斉に頭を下げる。すると、パイプオルガンの演奏が始まった。ファナも手を組んで、女神に祈り始める。
なるほど、お祈りや黙祷をする時間らしい。
(せめて、幸せに過ごせますように)
ファナのお祈りが切実過ぎて、笑いそうになったが、運命共同体として見知らぬ神に手を合わせておいた。
『せめてファナが幸せに過ごせますように』
しばらくの黙祷の後、パイプオルガンの音がやむ。皆が顔を上げると、エドワードは一礼をして壇上を降りる。礼拝堂中が盛大な拍手でその背を見送った。
かなりの人望があるらしい。知的な美貌と華やかさという為政者としては是非持っておきたい才能がエドワードにはある。人気が出ない方がおかしい。次期国王として、頼もしい限りだ。
学長が立ち上がり、新入生に向かってにこやかに言う。
「改めて、諸君、入学おめでとう」
また礼拝堂の中が拍手に包まれた。
さて、今日の予定はもうおしまい。明日からは授業が始まる。
ああ、これで本編もスタートだ。
(私の為にお祈りをしてくれてありがとう)
学生達がガヤガヤと礼拝堂を出て行くの見送りながらファナが心の中で言う。
信心がこもっていなくて悪かったな。
(いいえ、貴方の心はこもっていたでしょう?)
何人かは座ったままのファナをちらりと見て行く。美しい公爵令嬢としてか、金髪碧眼の意味を測っているのか、動こうとしない変な女としてか。これからはこういう無駄な視線も感じねばならないのか。
(さあ、もう今日は帰りましょう)
いつのまにか、屋根を叩く雨音もなくなっている。焦らなかったおかげで、帰るのにはちょうど良いタイミングかもしれない。
(あら。さっきは気がつかなかったわ)
玄関ホールには、女神ユノベールの大きな絵画がかけられていた。出入りするドア側の壁の高く見上げる位置。礼拝堂を出た時に自然と目に入るように考えてかけられているのだろう。新入生が皆、少し足を止めて見つめていっている。
豊かな金髪、白い肌、春の空のような青い瞳。優しい微笑みを浮かべながら広げられた腕の片方には、細い手に不釣り合いなほど大きい白い剣が握られている。女神と王家のシンボルとなる雷の剣だ。
設定した通り、ファナによく似ている。あの場で先輩に対して口走った設定も、全部反映されてる。記憶を元に世界を作るというカミサマの御業を否応にも感じさせられた。
口走った内容ということは、つまりは、ファナにもヒロインのように女神の祝福が今は与えられていることも、そのうち欠格して失われていくのも、設定として反映されているのだろう。しかし、ファナが設定通りにエドワードを好きにならなかった今は、そこもどう変わっているか分からない。
(でもヒロインの子が居れば、問題ないんでしょう?)
それもそうだが。設定をした身としては気になるのだ。
ファナは女神を見上げてはいるものの、特に思うところは無いらしい。
(あまりユノベール様の絵って好きじゃないわ。こういう宗教画を見て、そこに描かれた女神のような優しさとかを私に求める人が居るのよね)
ファナは女神に似ていることにも、不遜にもあまり興味が無い。
(だって子どもの頃から何度も言われるもの)
女神があまりにファナに似ているので、かなり長く見つめてしまったのだろう。ふと気がつくと、ホールにはファナともう一人――黒髪の女の子しか居なくなっている。
黒髪の女の子は、絵を見上げたまま動かない。よほど信心深い子と見受けられる。
その子が絵を見つめるのを邪魔しないように移動しようとすると、ふいにその子が急に振り向き、目が合った。
「!」
空のような青い目。透き通るような白い肌に薔薇色の頬。血のように赤い唇。細やかなカールのかかった黒檀のように黒い髪。作り物のようなドーリーフェイスには驚いた表情が浮かんでいる。
(なんて綺麗な子なの!)
一目見ただけで、直感で誰なのか分かった。ファナが驚くほどの美少女。ヒロインで間違いない。
何故ヒロインも驚いているんだ、という疑問はすぐに本人から答えが出る。
「ユノベール様……!」
あえぐように、ヒロインが女神の名前を呼んだ。
その言葉でファナが我に返る。ファナの人生で幾度となく経験した、初対面での女神に似ていると驚かれること。ファナにとっては慣れっこなのだ。さっと礼をし、名前を名乗る。
「はじめまして、私はグランテラー公爵家のファナ・レジーノですわ」
高位の者からの挨拶。今度はヒロインが我に返る番だ。慌ててぴょこんとお辞儀をする。
「失礼いたしました! わ、私はエルア・ネジブランカと申します!」
キャンディのように甘い声。
デフォルト用にと作った仮の名前がそのまま使われている。妙な感動だ。
修道院育ちで、修道院長に推薦されるくらいだ。きっとそれはそれは信心深いのだろう。それ故に、ファナの容姿はヒロインに強く刺さったようだった。ヒロインはファナの顔と絵とを交互に見比べている。
「そう、よろしくね。ネジブランカ様」
敵意を感じさせないようファナが慎重に微笑むと、青い瞳が一段と輝きを増した。
「お声がけをしてしまって、申し訳ございません!」
「貴女も新入生でしょう? 気にしないで」
ヒロインが興奮に頬を紅潮させながら、こくこくと頷いた。
(ねえ、)
ファナが心の中で話しかけてくる。
(こんな子をいじめようだなんて、貴方の設定したファナ・レジーノはとんでもない方なのね)
そうだろうか。あまりに無邪気だから余計に横恋慕で腹が立つということもあるだろうし、崇拝する女神にそっくりな同級生からいじめられるというのはヒロインの心をいっそう傷つける良い設定だと思うのだが。
(とんだ悪趣味ね。創作者ってみんなそうなの? ――あら?)
ふと、気がつくと、エドワードがホールにいる。
遠くからこちら、ファナというよりも、ヒロインを見つめている。その目つきにはっとする。
もしかして、これはエドワードのヒロインとの遭遇イベントだったのではないだろうか?
(どういうことなの?)
ファナがヒロインに冷たく接するところにエドワードが入ってくるとか。もしくはエドワードも女神と同じ金髪碧眼で女神に似てると言っていい。『男の人に女神なんて変ですよね!』などヒロインが照れて面白い子扱いしたりするイベントだったのでは? それで卒業する時に『初めて出会ったときから貴女に惹かれたのかもしれない』とかいう、いやもっと早く気づいてたろとプレイヤーからつっこまれるイベントになるはずだったのでは?
ありとあらゆる少女漫画的お約束の展開が頭の中をよぎる。
ファナがエドワードのイベントを取ってしまったということは、それはつまり?
(落ち着きなさい。殿下はもう行ってしまわれたわ)
頭を走り抜けた思考をファナが引き止める。
と、同じタイミングでヒロインが大声をあげた。
「で、では、失礼いたします!」
恥ずかしそうに何度も頭を下げて、ヒロインは走って行ってしまう。ファナはその背中に小さくごきげんようとだけ言った。
ホールに残されたのは、一人だけ。
「……やってしまったのか?」
痛切に感じる。注意一秒、怪我一生。
これではファナをからかえない。もう本編は始まってしまっているのだ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます