第9話 天蓋ベッドでの反省会

 先程までは帰宅の出迎えや着替えなどで騒がしかった邸内も、ようやく落ち着いたらしい。深夜まで続いた舞踏会を終えてから馬車で王城より帰宅し、就寝の身支度を終えればもう朝も近い。そのせいか、朝の準備の為に起き出した誰かが、廊下を歩く音が時折聞こえてくる。

 舞踏会とは何ともまあ道楽的なものだろう。参加している貴族が眠らなければ、使用人たちも眠れない。きっと交代制になるよう執事が取り計らい、先程着替えやお風呂の面倒を見てくれた女中達は少し遅く起きるのかもしれないが、これがもし毎日なら疲弊するだろう。

 仰向けになり、ベッドの天蓋を見上げる。精神的にも肉体的にも疲れてはいるのだが、ファナはまだ落ち着かない為、寝入ることができない。ベッドのカーテンの中でのひそひそ話は途切れることはなかった。


「『シンデレラ』で守護妖精が十二時まで帰りなさいって言ったけれど、きっと現実に即したアドバイスだったのかもしれないわ。

 疲れた頭でおしゃべりして、王子様の前で馬鹿をやる前に帰りなさい、ってね」


 何回目か分からない、エドワードと踏み込んだ会話をしようとしたことについての後悔の言葉をファナが呟く。要はファナはそこが気になって眠れないのだ。

 だから、やめた方が良い、と言ったんだ。でも、別にエドワードとはお互いに気がないことも確認できたし、嫌われたり憎まれたりするような失敗はなかった。だから大丈夫だと言っているのに。


「だって、貴方が言ったのよ? 自己決定の話をしたのはまずかったって! 『面白い考えだと思うよ』って言葉を引き出したって!」


 女性向けの作品世界で『面白い』とか『おもしれー女』と言われることは、対象から興味を持たれたことを暗に表すという話をしただけだったのだが。こうも思いつめられると、失言だったと思う。

 別にエドワードがファナを好ましく思っても、何の問題もないじゃないか。王族に目の敵にされれば失脚ルートに入るかもしれないんだ。どうせヒロインが出てくれば、エドワードの興味もヒロインの方に向かう。

 オセローがファナに引け目を感じてる爵位継承の件もファナにはその気がないと伝えられたし、エドワードとは関係良好。ジェシーとは会わなかったことで設定を無かったことに出来るか強制力を試せる。強引なところもあったし、大成功とは言わないまでも、大失敗はしていない。

 それでもファナが失敗したと言うのなら、これからの学園生活でリカバリーすれば良いのだ。たった一回自分の意のままの通りにならなかったくらいでへこんでいたら、辛いのは自分だ。


「それはそうだけど。私は家族の為にも、自分の為にも、失敗する訳にはいかないの。不安要素は入学前に取り除きたいのよ。

 でも、私と同じように、貴族社会の中で決められたことの中にいる殿下を見ていたら、どうしても……」


 何か言ってやりたくなった、と。

 カミサマのように無責任にも、人生は自分次第、なんて言葉を貴族で子供で女性であるファナに言う者は、今までいなかったはずだ。なおさら、王族のエドワードにそういうことを言う者などいない。興味もない女性のエスコートをしている、ということにファナも思うところがあったのだろう。

 でも、余計なお世話かもしれない。実際にエドワードはしっかり王子様をしていたし、ファナに救いを求めているわけではないのだ。それに家と自分を救って、エドワードも救うなんて一挙両得は難しい。エドワードの心を救うのはヒロインに任せておけばいい。


「そんな大それたことをしたかったわけじゃないわ……」


 とにかく、ゲームの設定期間は3年間だ。しかも、生徒はほとんど社交界と同じ。であれば、学園でも社交界のイベントでも攻略対象と関わる機会がファナには必然的に多くなってくる。感情のままに今日のような急接近をしては、後悔したり不安になったりするだけだ。

 カミサマは無責任だから言わなかったが、選択をすれば責任が発生するし、選ばなかった選択を失うことになる。


「分かったから、もういいわ。殿下とはもう距離を取って過ごすから。それで良いでしょう?」


 ファナが拗ね始める。

 言い方は悪かったが、攻略対象に直情的に関わり続ければ、今のような心労でファナが3年間ももたないかもしれない。そこが一番の心配なのだ。

 心が疲れ果てた人間は簡単には回復しない。

 前世の世界では、ある程度を目指そうとすると、学校でも就活でも会社でも、失敗が許されなかったし完璧な人間性や即戦力を求められがちだった。そこで幅広い物事を完璧にしようとしていた人は、たいてい疲れ果てて、戻って来れなかった。だから、考えすぎたり、完璧を目指したりするのはおすすめ出来ない。

 お前が設定しておいて、という罵りであれば、製造責任者としていくらでも受ける。でも、そこだけは覚えておいて欲しいのだ。そういう危うさをはっきりとファナの中に見てとれる訳ではないが、ファナはまだ十五歳なのだ。


「私は、別に、そういう議論がしたかった訳じゃないわ……。それで? 私が関わらない方が良い攻略対象はあとは誰?」


 別に金輪際関わるなとは言っていない。極端すぎる。

 残りの攻略対象は2人。ファナはどちらも会ったことがない。辺境伯ハーゼル・アルミティア、騎士見習いのパース・ネイリング。

 ハーゼルは同学年、パースはオセローと同じ一学年下。ちなみに、エドワードとジェシーは一学年上だ。よって、全員が揃っている2年次が一番大変な年になるだろう。


「そうよね。殿下が学園でも関わってくるのは2年間だけなのよね。殿下が年上で良かったわ」


 ファナがほっとするのが分かった。

 物語は3年間なので、別にエドワードがファナの人生から完全に排除されるわけでは無いのだが。まあ、それは置いておこう。ファナは悪役令嬢としての役割と設定を知ってからというもの、エドワードとの対決に怯え続けてきたのだから。

 恋に落ちて乱心するかもしれないということとは別に、権力的に公爵家が危機的状況に陥る可能性が高いのはエドワードだ。ファナの異常な警戒は理解出来ないが、仕方なくはある。

 にしても、思い返せば、よくファナも前世と設定を信じてくれたものだ。今夜分かったファナのストレス耐性を考えれば、錯乱していてもおかしくなかった。


「貴方の前世の記憶を見せられたんだもの。あれで信じないはずがないわ」


 今更何よ、とファナが呆れて言う。

 まあそうか。今思い出しても、あの脳に手を突っ込まれて記憶領域を揺さぶられるような衝撃は、耐え難い。ファナの十五年分であれだ。いわんや、それより長い前世分の記憶をや。

 ふいに、ファナの声が落ち着いたものになる。


「それに、なんとなく予兆はあったのよ」


 予兆?

 浮かんだ疑問に答えるべくファナは言葉を続ける。


「神様が仰っていた通り、貴方が目覚めたのは確かに遅かったわ。でもね、私はずっと貴方のことを覚えていたのだと思うわ。だから、この頭が砕けなかったのでしょうね」


 暗闇の中、ベッドの天蓋に向かってファナが両手を伸ばし、その手のひらをぎゅっと握る。


「物心ついた時から、何かを取ろうとしてどこか高いところから落ちる夢を繰り返し見ていたしね」


 そう言えば、そんな記憶がファナの記憶の中にある。真夜中に怖い夢を見ては大泣きし、落ち着くまでナニーに抱きかかえられていた。同じ子供部屋に居たオセローは、途中から慣れて起きることも無くなっていった。それぐらいよくあることだった。

 前世の最期。陸橋から落ちた時の記憶だろう。死の追体験を夢の中で何度も何度も、と思うとゾッとする。


「私には、昔から、自分だけしか知らない話や、周りの人には分かってもらえないことが時々あったの。きっと他人からはわがままで空想壁のある変な子だと思われていたでしょうね。

 だからこそ、私はきっと特別な存在なんだって思ってたわ。でも、それはきっと貴方が私の頭の中に居たせいだわ」


 なるほど、それが『予兆』か。


「あの自己認識のまま、殿下とお会いして、そしてヒロインに会っていたらどうなっていたか。私にはきっと設定通りになっていたって分かるのよ。貴方みたいに止めてくれる人も居ないでしょうし」


 ファナが自分の手を胸の上で合わせながら、くすくすと笑った。


「エマがお気に入りなのもきっとそう。エマは本当はお母様の女主人付き小間使いレディーズ・メイドなのよ。でも私があまりにもべったりだったから、お給金は変わらず上級使用人のまま、私の令嬢付き小間使いヤング・レディーズ・メイドをしているの」


 ファナがエマを気に入った理由は、彼女が先輩に非常によく似ているから、だろう。前世の恋心を指摘され、恥ずかしくなる。

 熱くなった頬にファナが手を添えた。


「こういう話し方や態度もそう。オセローが私を怖がるはずだわ。なにせ、私はこの世界より男女平等が進んだ社会の微かな記憶で、オセローを立てることもしなかったし。

 だから私がわがままを言えば、実の子の弱みでお父様がオセローを廃嫡するなんて考えたのよ。お父様がそんなことするわけがないじゃない」


 オセローもいつもは賢いくせに馬鹿みたいね、とファナは言う。


「オセローが十二を過ぎた頃から、この王都のタウンハウスや領地のマナーハウス、荘園についての大事な話はオセローにだけは話すようにしているの。私、知っているのよ。どれだけ私がオセローに信頼されてなかったのかよく分かるわ」


 いや、それはファナだけのせいではないだろう。オセローが幼いのもあるし、公爵の実の子どもではなく養子だという引け目の意識もある。それに、前世は、この世界の政治や社会構造とは全く違う。知らないものに恐れを抱くのは、人間のサガだ。

 そうね、とファナが同意しつつも自嘲気味に笑う。


「でも、そういうずっと違和感を感じていたことが全て、貴方を思い出した時に腑に落ちたのよ」


 だから、ファナは設定を受け入れられたのか。


「ええ。だから、貴方を通して知ってしまった私の運命について色々言ってはいるけれど、貴方に感謝してるのは本当よ、ヒロト」


 改めて感謝の意を込めながらそう言うファナに驚く。久しぶりに聴いた日本風の名前がファナの声に呼ばれるはなんとも言い難い違和感があった。


「でも、知ってしまったから、今みたいに先が見えなくて不安になるのも分かってる。慰めてくれる貴方には悪いけど、どうしたら運命から逃れられるのかってつい悩んでしまうのよ。

 貴方もさっき言った通り、『知らないものに恐れを抱くのは、人間のサガ』なんだから」


 ファナがベッドのカーテンの間に指を入れると、その向こうの窓の外に薄暗い空が見えた。


(そろそろ日が昇る頃ね)


 あまりにも夜更かしし過ぎた。昨日の大役の後だ。皆はファナを寝かせておいてくれる。きっと次に目が覚める時にはとんでもない時間だろう。

 ふあ、とやっとあくびをかくくらいの眠気がやってくる。

 夜が明ける時は、短い。真っ暗な空から少し目を逸らせば、気づいた時には薄い青になり、すぐに白んでしまう。


「でも、家の破滅も3年後のエンディングを知っているのってズルよね。だって普通の人生だったら、その時になってみて初めて思い知るんだから」


 そう言ってファナがカーテンから手を離す。すると、また視界は暗闇に閉ざされた。


(学園には正直行きたくもないけれど。貴族の子どもはほぼ全員行くものだし、こればかりは立ち向かうしかないわ)


 ファナはそう後ろ向きな言葉を使うものの、もう心の中は決まったようだった。


(私はやっぱり、不安になるとしても、あの時ああしておけば良かったと後悔なんてしたくないわ。3年後のことなんかなってみないと分からないのだもの)


 ファナが暗闇の中で瞳を閉じてくすりと笑う。


(ヒロト、貴方も大変ね。確かにファナ・レジーノなんて面倒なキャラには生まれ変わりたくなかったでしょう)


 来月の学園への入学式を終えたら、乙女ゲームなら本編スタートだ。全ては未知の領域だが、ファナが果敢にも挑むのであれば、答えは決まっていた。


「ファナというキャラクターを作った製造責任があるんだから、しっかりサポートするさ」

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