第230話 〜刃の記憶〜

 有馬春鬼はこの春、目出度めでたく京都のとある大学へと進学した。


 仁恵之里から離れて暮らす初めての生活や経験に右往左往しながらもはや一月ひとつき

 そして、このゴールデンウィークには一旦仁恵之里へ帰省する予定だった。

 もちろん、リューと乱尽の会見がその大きな理由の1つだ。


 しかし、刃鬼は春鬼に『京都での待機』を命じていた。


 万が一の事態に備えての事だった。


 そして今、恐らくだがその『万が一』が起きている。



 眼の前に広がる『自分ではない何者かの記憶』。

 それを何者かによる精神への干渉といち早く察した春鬼。

 まるで視覚とは別の視覚で映画を見ている様なこの状況は異常そのもの。

 まさに『想定外の万が一』だった。

(……何が起きている? リューと乱尽の戦闘の後、何があった!?)


 春鬼のスマートフォンには武人会本部から仁恵之里で今何が起きているか、どの様な状況かがほぼリアルタイムで送信されていた。


 もちろんリューと乱尽の戦闘もしらされていたが、待機命令は解かれなかった。

 それこそ万が一の事態だったが、事なきを得た事は定時連絡により確認済みだ。


 だが、それ以降の続報はない。

 次の定時連絡までにはまだ時間があるが、緊急の場合は即座に連絡があるはずだ。


(この異常事態は俺だけではないだろう。にも関わらず、待機のまま……というより、命令系統が機能していない可能性が高い……!)


 何せ、は宝才だ。


 春鬼には分からない宝才の気配だが、彼のうちに住まう別人格・オーデッドは宝才が何たるかをよく知っている。

 だから春鬼は……いや、オーデッドはこれが『蓮門の宝才』であると知っていたのだ。

(……なんだよ……こりゃあ、500年前の出来事じゃねぇか……!?)



「有馬くん、大丈夫?」

 不意に女子の声が春鬼の背中を叩いた。

「あ、ああ、大丈夫……」

「気分悪いん? 日陰行っとく?」

「いや、問題ない……」

「そう? 無理せんといてな?」

「ありがとう……」

 春鬼は女子に爽やかに笑顔を向け、手にしたうちわで目の前の炭をパタパタと仰いだ。

(……こんなことをしている場合ではないのに……!)


 眼の前には火の着いたばかりの炭。

 隣にはバーベキューコンロと、肉や野菜といった食材。

 周りには楽しそうにはしゃぐ大学の同級生。

 そして、ここは河原……。


 そう、春鬼は同じ学部の新入生十数人と親睦を深める為にバーベキュー大会の真っ最中だったのだ!


(おい春鬼! 肉焼いてる場合じゃねーぞ!)

 オーデッドが心の声で春鬼を急かすが、春鬼はうちわを扇ぎ続けた。

(待機命令は解かれていない。もし俺しか動けない状況なら、今は尚更待機だ。それに現地には虎子や親父、護法先生、それに蓬莱先生までいるんだぞ? もしもの事があってもやられっぱなしは有り得ない)

(そりゃそうかも知れねーけどよ……)


 蓮門の宝才は精神に強制介入して記憶や認識を操作する能力が主たるものだが、その応用でという使い方もある。

 オーデッドは現状をその『伝達』だと察知したが、これが一体誰をターゲットにしているのかわからなかった。


(龍姫の記憶っつーか、それを俯瞰で見てるみてぇな感じだ……皆にわざと見せてんのか? 龍姫が? なんの為に? ……そもそも、誰が誰に向けて蓮門の宝才を使ってるのかがわからねぇ……)


 彼の知る人物で蓮門の宝才を扱えるのは、現代では虎子だけだ。

 ……いや、『他の家の宝才が扱える』というが正しければ、裏瑠山も或いは。


 しかし、この宝才からはの気配が感じられなかった。

(じゃあ誰だ? 虎子でもなければ瑠山でもないとすれば……まさか!?)

 オーデッドには心当たりがあった。



 それは全知全能の力。


 あまねく全てを可能にし、全てを手にする無限の力。


 それは……


 とは、一線を画す秘術。


 それを可能にするのは、まさしく


 そう、その存在こそ紛う事なき『神』なのだ。



(……須弥山芙蓉宝望天狐……あいつか!?)


 そして次の瞬間、春鬼とオーデッドの意識は映画のカットが変わるように


 ………

 ……

 …


 それは今からおよそ500年前。

 贄の郷の惨禍から数日後。


 郷を、そして主君を守るはずだったは鬼達の計略により郷から遠ざけられ、何もかもを守護まもなかった。


 命からがら帰還したものの、あの夜の状況から考えても郷は既に壊滅状態に違いない。

 ともすれば鬼達の巣窟と化している可能性もある。

(今の私達で戦えるか……?)

 武士は背後に続く部下たちを見やった。


 ……その様子を一言で言えば、満身創痍。


 歩くのがやっとと言った状態は誰の目にも明らかで、鬼と戦うなんてとても無理……だが、だからといって逃げるという選択肢は無い。郷を捨てるという選択など尚の事。

(せめて、最期の瞬間まで戦おう……)

 彼は自らの剣を信じ、剣に殉ずる覚悟は出来ていた。



 贄の郷には古来より伝わるがあった。

 秘境に伝わる幻の秘剣と称されるも、失伝状態にあったその剣技。

 それを発掘し、磨き、術理として組み立て直し、完全な『技』として再生したひとりの天才……それがこの美形の武士・有馬ありま始鬼しき

 彼こそが兵法有馬流の開祖にして有馬春鬼の先祖にあたる男であった。


 あの夜、始鬼は領主の死をその目で見ていた。

 自分が盾になり、を逃がしたのだ。

 そしてその役を任されたのが始鬼だった。

 だが始鬼は前述の通り鬼の計略によりその役を全うできなかった。


 だから、彼は郷に戻ったら腹を切るつもりだった。

 或いは、郷に鬼が残っていようものならそれらと文字通り死ぬまで戦うつもりだった。

 いずれにしても、始鬼は全ての責をその命を以て贖うと心に決めていた。


 だが、

 実際はそうならなかった。

 その必要もなかった。

 郷に到着した始鬼とその部下は、その光景に愕然とした。


 郷は壊滅状態だったが、人は生きていた。

 生き残った人々は田畑を元通りにしようと農作業に勤しみ、そうでない者も元の生活を取り戻すべく働いていた。

「な、なんだこれは……俺は夢でも見ているのか……?」

 始鬼は何度も目を擦った。


 あれだけいた鬼の姿は跡形もなく、あたり一面に散らばっていた鬼に殺された人々の遺体も見当たらない。

 綺麗さっぱり片付けられた郷には、既に復興の空気が満ちていた。


 その中心に、ひとりの少女がいた。

 その少女は他の皆と同じ様に畑を耕し、泥だらけだった。


 土と泥と埃にまみれたその姿は、同じ様に泥だらけの周りの人間とは明らかに違うを放っている。


 まさか、と思った。


 流れる様な長い黒髪と、鮮烈な程の美しさ。

 月明かりのような優しい笑顔は太陽のようなそれに変わっていたが、あれは紛れもなく『姫様』だ。


「姫様!」

 始鬼は大きな声でその少女に呼びかけ、同時に腰にいた刀に触れた。

「よくぞご無事で!」

 姫に駆け寄る始鬼。

 彼に気付いた郷の者が「有馬殿!」、「有馬殿もご無事で!」と色めき立つ。


 その様子から彼が郷の者からあつい信頼を得ているのは一目瞭然。

 特に女性からの支持が大きいのは彼の整った容姿と、彼の無事を知り感涙にむせぶ女子たちの様子から想像に難くない。


 始鬼は脇目も振らず龍姫へと一直線。

 当の龍姫はその様子と気配から彼がである事は理解できていた、が。

「……ほう?」

 感心する様な嘆息。

 それと同時に、始鬼が龍姫の眼前で大きく踏み込んだ。


 ざん!


 その時には既に太刀を抜き、勢いに任せた大上段に構えて龍姫を射程に捉えていた。

「……有馬流・吾妻牙あずまきばッ!!」


 一閃!!


 躊躇なく振り下ろされた大刀が一気に地面まで穿ち、辺りに凄まじい地鳴りが響いた!!

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