第227話 〜森の記憶〜

 蓮門の宝才は【記憶の伝達】または【記憶の改ざん】。

 記憶・認識に干渉し、それらを操作する宝才能力


 虎子は自ら発動した蓮門の宝才に飲み込まれ、自らもその記憶の海に放り出されていた。


 まるで暗い海の底に沈んでいく様な感覚。

 本当に水中に居るようだ。

 しかし、苦しくはない。

 何故なら、ここは『記憶の海』だからだ。


(なぜだ……なぜ私にも宝才の影響が……?)


 虎子はリューがそうである様に、自身も【記憶】……或いは【記録】を追体験していたのだ。


(あの絵は……)

 虎子はに避難小屋で見た掛軸の絵を見ていた。

 その絵は避難小屋にせめてもと設えられた簡素な神棚に飾られた絵。

(覚えているぞ……)

 その掛軸には雷雲を裂いて姿を現す神々しいまでの『龍』が描かれていた。


 ………

 ……

 …


 最期まで勇敢に鬼と戦い抜いた領主リーダーの戦死。

 最後まで人々の精神的支柱だったシンボルの死。


 姫はよわい十六。

 未来あるうら若き少女の死は殊更希望を挫いた。



万策尽きた『贄の郷』の民は疲れ果て、だがそれでもを果たすべく、まだ戦える者達は玉砕覚悟の特攻を誓い合っていた。

 戦闘に耐えない女子供たちも鬼達に辱められるくらいならと自決を覚悟していた。

 つまり、全員が今夜死ぬつもりだったのだ。



 何故、『姫』が蘇ったのかは分からない。 


 傷が浅かったのか?

 それとも単に気絶していたのを死んでしまったと見間違えていただけだったのか?


 皆が様々に思い唖然とする中、蓬莱永久は姫に訊かれるままにこれまでの経緯いきさつを話し、これからのを打ち明けた。


「……」

 姫は永久の話を黙って最後まで聞き、ゆっくりと顔を上げた。

「鬼に勝ち目が無いからと、死を覚悟したせめてもの抵抗か……」

「せめて、最後ぐらいは誇り高く散りたいのです」

 俯き、涙を落とす永久。

 姫はボロボロの畳に落ちて砕ける永久の涙を見詰めて深く息を吐いた。

「そうか……」

「姫様。どうか姫様だけでもお逃げください。折角助かったお命、我々の分まで生き長らえて頂きとうございます」

「……」


 暫し沈黙した姫は一旦永久を見て、そして視線をやや下に向け、そして顔を上げた。

「ば~~~っかじゃねえの!?」

「ひぇっ」


 永久は思いもよらな姫の言葉に動揺した。

 姫は呆れ果て、いかにも気怠そうに口を開いた。

「お前達は誇り高く死んで満足だろうが、鬼達はお前達が居なくなって大満足だろうよ。もっと言えば調子に乗った鬼達はこの地を本陣として他の土地へとその勢力を伸ばすだろう。そうなればただでさえ戦乱のこの世は阿鼻叫喚の地獄と化すだろうな」


 姫は立ち上がり、その場の全員に聞こえるような声で大袈裟な身振りを加えて続けた。


「お前達は先祖から受け継いだこの地を投げ出し、他の土地の民達も自分達と同じ様な苦しみを味わうであろう事を薄々感じならある種の達成感を胸に抱きつつ死んでいくのだ。命を賭す戦いはさぞ高潔な事だろうよ。でもさぁ、それって言い方悪いけど自己満足じゃない?」

「そ、そんな言い方しなくても……」

「だから言い方悪いけどと断りを入れただろう」


 姫はふらりと里の人々が持ち出した物資の山に近付き、何かを探し始めた。

 というより、漁り出したのだ。


「ひ、姫様? 何を……」

 永久が恐る恐る尋ねると、姫はを探しながら答えた。

ないかな、と思って」

「『何か』……? もしや、武具ですか? 恐れながら、武具と呼べるものは何も持ち出せませんでした……」

「武具? そんなもん探してないよ。なんか食うモノないかな、と思って」

「た、食べ物……??」

「腹が減っては戦は出来ぬと言うだろう」 

「そ、そうは仰られても……」

「お! あったあった……つーか漬物ばっかりじゃないか!」

「も、申し訳ございません……田畑は鬼どもに荒らされて十分な収穫が得られず、持ち出せる食料といえば漬物とほんの僅かな米しかなく……」

「なんということだ……」


 項垂れる姫。

 ぐうぅ、と鳴る腹の音。


 そんな姫におずおずと近づいたひとりの子供が、懐から何やら包みを取り出した。

「……姫様にあげます」

 ボロボロの着物から出てきた小さな包みには、もう固くなった握り飯がひとつだけ、大切そうに包まれていた。


「いいのか?」

 差し出された握り飯をじっと見つめる姫。

子供はこくんと頷いた。


 子供はその握り飯をどうするつもりだったのか。

 自分で食べるつもりだったのか。

 それとも誰かと分かち合うつもりだったのか。

 何れにせよ大切に大切にしていたのだろう。

 握り飯は子供の懐で強くいだかれすぎて、平たくなりかけていた。

 命からがら持ち出したであろう貴重な食料に違いない。


「いただこう」

 姫は何のためらいも無く、その握り飯を鷲掴みにして頬張った。


 あっ


 と、声を出す間もなく姫は握り飯にかぶりつき、瞬く間にその全てを口の中に放り込んでしまったのだ。


 ……皆が声を失った。


 その場の大人達は皆が皆、いくらなんでもそれは無いだろうと所在無い心持ちだったが、握り飯を差し出した子供は違った。

 じっと姫を見詰め、のだ。


『姫様ならなんとかしてくれる』

 ……その瞳がそう言っている。


 少なくとも、姫にはそれが理解できた。

(私はのだな……)


 姫は自らの手を見た。

 白く、きめ細やかな美しい肌だが傷だらけだ。

 爪の間には泥が詰まり、まるで農民の様に逞しくも見える。


『姫』と呼ばれるにはあまりにもかけ離れたその手に、この状況に、そして目の前の子供に、『この姫』がどの様に生き、どのように死んでいったかを垣間見た。

 そして、自分をへと呼び戻したのはこの『姫』であると確信したのだ。



「……絶世の美味だったぞ」

 姫は子供の頭を撫で、立ち上がった。

「この美味に見合った働きしよう」

 そして自らの着物の袖を掴むと……


 ビリビリビリッッッ!!


 着物の分厚い生地をまるで薄い和紙の様に引き裂いてしまったのだ。


『『『!?』』』


 皆が唖然とした。

 そもそも着物を素手で破り裂くなんて……それも姫のように非力な少女にそんな事が出来るわけがないのだが、姫は今もなお着物を破り、裂き、どんどん短くしていくではないか。


「姫様! 何を!?」

 蓬莱永久が止めに入るが、姫は着物を紙細工のように破りながら形を整えていく。

「動きにくいんだよ」

「う、動く……??」


 姫は死装束しにしょうぞくとして身につけていた美しい着物をあっという間に甚平の様に(素手で破いて)仕立て直してしまっていた。

「うむ、動きやすくなった」

 そして試しにとばかりに後ろ廻し蹴り一閃――!


 ッッッ!


 瞬間、その場を支配したのは閃光が疾走はしる様な錯覚。


 空気を斬り裂くが如きに煌めくその軌跡が目に見える程に、鋭く鮮やかな蹴り。

 それを見た者は皆、息を飲んだ。


 この人は『姫』ではない。


 その頃には皆が皆、そう思い始めていた。


「ひ、姫様……」

 永久の声が震えていた。対して、姫の声はしかと地を踏みしめる様に揺るがない。

「私はお前の言うではない」

「姫様では、ない……?」

「そうだ」


 そして神棚に飾られた龍の掛軸を指差した『姫』。

「……私は龍だ。かつてこの世に蔓延る悪鬼羅刹を打ち倒し、武神と呼ばれ、人の世を守り、やがて歴史に埋もれた名もなき龍……」



 この里に伝わる言い伝えには『姫』の言うような伝説があった。

 悪鬼共を蹴散らし、人の世を救った龍神伝説。

 その掛軸は、その時の様子を描いたものだという。


「確かな事ではない。その時の記憶もない。しかし、私には分かる。……その『龍』の魂を、今ここに呼んだのだ」

 自分の胸にそっと手を当てる姫ならぬ姫。

 とく、とく、と脈打つ力強いその鼓動は、生命の証だ。


「この『姫』は死んだ。だが、代わりに『私』が生まれた。姫は命を賭してお前達を生かそうとしたんだ。その気概に、その想いに、私は応えたい」


 姫が一歩を踏み出す。

 すると皆が下がり、道を開けた。

 とても彼女の行く手を阻む事など出来ない様な気迫に、大の男が恐れ慄き道を譲ったのだ。


「姫様! 何処へ行かれるのです!?」

 永久が追い縋るが、姫は背中で答えた。

「里へ戻る。そして鬼どもを蹴散らし、里を取り戻す。お前たちはここで待て。夜が明けたら里へ戻ってこい」

「ひ、姫様!」


 何を言っているのだろうか。

 気でも触れたか?


 皆が騒然とする中、蓬莱永久だけが姫を止めようとその背中にしがみつき、その歩みを止めようとしたが――、


(熱いっ!?)


 姫の身体から立ち昇る熱気さながらの闘気に弾かれ、彼女は受け身もままならず尻もちをついてしまった。


「……蓬莱とやら。この『姫』は生前、随分とお前に懐いていたようだな」

 そして姫は永久ににこりと笑いかけ、言った。

「お前の姫はもういない。しかし、これからは私がいるぞ。この『龍姫』がな」

「龍……姫、様……?」


 は頷き、そして顔を上げた。

「では皆の者、明朝また会おう」


 そして小屋を飛び出し、颯爽と駆け出した龍姫。

「フフ、血が滾る……!!」

 姫の足音は夜の闇に溶け、あっという間に聞こえなくなってしまった。


 そして急に静けさを取り戻した避難小屋。

 残された者達はまるで夢でも見ていた様に呆然とし、誰一人として龍姫の後を追う者はいなかった。


 それは諦めていたからではない。

 確信していたのだ。

 あのなら、或いは……と。












「……いやいやいや、ちょっと! 追いかけなさいよ!!」

 永久はいい感じで締めようとしていた男達を張り倒し、せめて自分だけでもと龍姫の後を追おうとしたものの、小屋の外には既に龍姫の姿はおろか、その気配すら無かった。


 ここは深い森の中。

 鬼達に見つからない様に選んだ、暗く深い森の奥だ。

 そんな、少しでも歩けば帰り道を見失いかねない闇の中を矢のように駆け抜けていった龍姫。


「……姫様……っ」


 程なくして永久は慌てて追いかけて来た男達に諭され、龍姫の言いつけ通りに避難小屋で夜明けを待つこととなったのだった。



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