第222話 褒めてください

「……うわっ!」


 歩き出そうとしたリューが突然膝から崩れ、乱尽はそれを咄嗟に抱きとめた。

「大丈夫か?」

「は、はい……いやぁ、参りましたね。足に力が入りません……」


 精根尽き果てるとはまさにこの事。リューは真に全力を出し尽くしたということだ。

「……乱尽さん。度々申し訳ありませんが、肩を貸して頂けませんか?」

「いや、無理をしないほうが良い」

 乱尽はスッとリューの背後に回ると、彼女を軽々と抱き上げた。

 所謂いわゆる『お姫様だっこ』の態勢だった。


「お、お姫様だっこですか? ちょっと恥ずかしいです……」

 顔を赤くするリューに構わず、乱尽は歩き出した。

「恥ずかしがることは何も無い。あなたはまさしく姫だ。この時代の『龍姫』だ」

「りゅう、ひめ?」

「……そうだ」

「??」

 理由わけもわからず首を傾げるリュー。

 乱尽は実に晴れやかな顔をしていた。


 そして家族の元へと戻ったリューと乱尽。

 魔琴は涙目で父と親友を迎えた。

「おかえりなさい!」

 魔琴が言うと、リューはもちろん、乱尽も微笑んでそれに応えた。


 乱尽がそっとリューを縁側に下ろすと、虎子がリューに駆け寄り、彼女を抱きしめた。

「リュー……!」

「お姉ちゃん……ごめんなさい。けちゃいました……」

「ああ……敗けたな……だが、良い敗け方だった……真に全力を尽くす戦いなど、そうそう出来るものではないぞ……」

 声を震わせる虎子。リューの瞳にも涙が滲んだ。

「リューよ、本当に強くなったな……素晴らしい戦いだった……! もう、私が教えることは何も無いなぁ……」

「何を言うんですか……私なんて、まだまだです……まだまだ、お姉ちゃんに教えてもらいたいことがいっぱいあります……」


 ぎゅっと虎子を抱きしめるリュー。

 それが切なくて、嬉しくて、ぼろぼろと涙を流す虎子。その顔は泣いているのか笑っているのか……いや、その両方だったのだろう。


 そんな虎子に皆が穏やかな視線を向けていると、大斗がすっくと立ち上がった。

「おい乱尽」

 その視線は真剣だったが、鋭さは消えている。少なくとも、敵意は既に無い。

 乱尽は何も言わず大斗を見つめ、彼の言葉を待った。


「……リューがお前を許すなら、俺もお前を許すよ。そういうだったからな」


 大斗はそう言うが、ことはそんなに単純ではないと乱尽も理解している。

「……」

 だから彼が戸惑う視線を俯き気味に彷徨わせると、大斗はわざとらしいため息をついた。


「リューがあんだけガチでって、そんだけスッキリした顔してんだ。なんつーか、『武術家にしかわからねぇ何か』があったんだろ。なら、同じ武術家だった雪だってそうかも知れねぇと俺は思った。……上手く言えねぇけど、とりあえず今度ウチに来い」


 意外な言葉に乱尽が顔を上げると、大斗は彼の目を見て言った。

「ウチ来て、雪の仏壇に手ぇ合わせろ……いや、合わせてやってくれ」


 瞬間、乱尽の胸に熱いものが込み上げた。

 それをこぼせば全てを吐露してしまう。

 彼はそう思ってせり上がる思いをぐっと飲み込んだ。


「……是非」

 彼が震える声を抑えて言うと、大斗は小さく頷いて「ふぅ」と、何かに区切りをつけるように息を吐いた。

「……格闘家だの武術家ってのは難儀だよな。何考えてんのかワケがわからねぇ。俺は漫画家で良かったよ」


 そしてどすどすと歩き出し、部屋を出ようと襖に手を掛けたので魔琴は首を傾げた。

「おじさん、どこ行くの?」

「ちょっとコンビニ行ってくる」

 そう言って大斗は部屋を後にした。


「……仁恵之里、コンビニないじゃん……」

 言いつつ、魔琴は微笑んだ。

 大斗はひとりになりたかったんだろう。

 今はひとりで色々な事を考えたかったのだろう。

 それが分かっている魔琴だから優しく微笑んで彼を送り出し、そして皆も同じように『嘘が下手な』大斗の気持ちを汲んだのだった。


「……アキくん」

 リューが囁くようにアキを呼んだ。

「私、頑張りましたよ……」

「………うん」

「見ていてくれましたか……?」

「うん、見てたよ……」

「褒めてください……よくやったねって、よく頑張ったねって、褒めてください……」


 リューは虎子の腕からするりとすり抜け、アキに手を伸ばした。

 アキがその手を取ると、リューはアキに抱きつき、アキもリューを抱きしめた。


 それはリューが初めて見せる、リューからの「特別な感情」だったのかもしれない。


 アキはリューの感触に胸が一杯になった。

 こんなにも華奢な体で、あんなにも勇猛に、自分の全てを賭けて戦う事が出来るなんて信じられない。


 その心の強さ。意志の強さ。人間の強さ。

 肌で感じるリューの体温が、リューの吐息が、リューの生命いのちが、リューのすべてが尊かった。


「リュー……よく頑張った。……最後まで、立派だったよ……リューは、本当にすごいなぁ……」

「………うう」

 リューは呻くと、すぐにそれは号泣へと変わった。


 それまで我慢していたのだ。

 必死に我慢していた。

 今日、この時まで。


 だからリューは子供の様に泣いた。

 母を想い、この長い年月を想い、リューは泣いた。


 止めどなく流れる涙。

 絶叫に近い泣き声。

 それはその場にいる全ての人が聞き、共感した。

 そして皆が思った。

 リューにはその権利があると。



 虎子は不意に乱尽に視線を投げ、言った。

「リューはお前を許した。私は……分からない」

 それは彼女が以来、初めて彼に向ける「憎しみ」以外の感情だった。

「……いつか折を見てお前と話がしたい。いいか?」

 虎子の真摯な瞳に、乱尽は頷いた。

「勿論だ」


 泣き続けるリュー。

 虎子は乱尽から視線を外し、リューの方を向いた。

「……」

 その意を察した乱尽が静かに一歩下がると、それに気が付いた魔琴が微笑む。

(あとはまかせて……)

 言葉は無くても、魔琴がそう言っているのだと理解した乱尽はもう一度頷き、そっとその場を離れた。



 さく、さく、と玉砂利を踏みしめる乱尽。

 ふと、何者かの視線を感じた。

 芙蓉峰……つまり、須弥山芙蓉宝望天狐だった。


 峰は無言で乱尽を見つめていた。

 その表情はいつものように無表情だが、冷たさはない。

 むしろ、その如来の様な顔には慈悲や慈しみが湛えられていると、乱尽にはそう感じられた。


 そんな顔を……まるで感服するような顔を、『神』が自分に向けていたのだ。


 乱尽は無条件に跪きたいところだったが、峰の立場を考えるとそういうわけにもいかない。

 乱尽は周りにそうと悟られないよう最大限の敬意を込めて目礼すると、峰もそれを受け取って小さく頷いた。


「……旦那様!」

 峰との無言のやり取りが終わるのを待っていたように、フーチが乱尽の側へ音もなくやってきた。

「お、お怪我は? すぐにお手当を……」

 どこから持ってきたのか、救急箱を抱えていつになくあわあわするフーチ。彼は純粋に乱尽が心配だったのだ。

 しかし乱尽は、「問題ない」と、手当を受けようとはしなかった。

「し、しかし……」

「良い。それよりもフーチ」

「な、何でございましょう?」

「今日まで、お前にも苦労を掛けた。……ありがとう」

「!!」


 予想もしなかった言葉に硬直するフーチ。驚きと歓喜が込み上がってくるより先に、その想像を絶する言葉の裏に潜む得体のしれない不安を感じた。

(……ま、まさか、『けじめはけじめ』などとお考えなのでは……よもや、ご自分に何らかの罰を課せられるおつもりなのでは!?)


 つまり、極道で言う『指詰め』的な事を考えているのでは……!

 と、言う事だ。


 フーチが青ざめていると、乱尽は彼の肩をポンと叩き、微笑んだ。

「……これからも、よろしく頼む」

 そうして乱尽は彼に背を向けた。


「も、も、勿体無きお言葉……!!」

 フーチは乱尽の背中に向かい深く頭を垂れ、考えすぎだった……と、とりあえずホッとした。


 同時に、彼の言葉を反芻する。

『今日まで苦労を掛けた』

 ……その言葉の意味するところの分からないフーチではない。

 むしろ、彼は『それ』を知る数少ないひとり。

 だからこそ、フーチは『それ』をひたすら胸にしまい続けてきた。


 だからこそ、『これからもよろしく頼む』という言葉の意味に気が付かない彼でもないのだ。


(真実を明かすわけにはいかない……それは理解しますが、あなたはそれでいいのですか……乱尽様!)


 フーチは唇を噛んだ。

 せめて主人の代わりにと、彼は悔しさに苛まれたのだった。



 乱尽は脱ぎ捨てたスーツの上着を拾い上げ、軽く汚れを払って袖を通した。

 すると、背後に何者かの気配が。

「乱尽」

 彼を呼ぶ声の主は留山だった。


「随分と楽しそうだったね」

 留山はニヤリと意味深な笑みを浮かべていた。乱尽はその表情かおに応える事なく、真顔を彼に向けた。

「……お前にはそう見えたか?」

「いやいや、キミが『鳳凰輪帰』を使うとは意外だったものでね」

「何が言いたい?」

「殺す気だったのかな、と思って」


 留山はいつも通りの本気なのか冗談なのか分からない物言いだが、乱尽は真摯に答えた。

「彼女は私の命を獲りに来ていた。私もそれに応えたまでだ」

「ほう、キミを本気にさせたか? あんな小娘が……」

「私は最初から本気だったさ」

 乱尽は留山に歩み寄り、一際顔を寄せた。


「彼女は強い。お前ですら不覚を取りかねない程にな。それを努々ゆめゆめ忘れるな」

「ふむ、実に興味深い。覚えておこう」

「それともうひとつ。……彼女は『小娘』などではない。堂々の武術家だ。彼女へ対する侮辱はこの私が許さないぞ、留山……」


 刺し貫かんばかりの鋭い視線だった。

 しかし、そんな視線を柳の枝のようにするりと躱し、留山はおどけた。

「おっと、子供とは言え女性は女性……失言だった。取り消すよ」

「……」


 乱尽は留山から視線を切るが、留山は彼をすぐには離さなかった。

「時に乱尽、ひとつ訊きたいのだが」

「……なにか?」

「リューさんと何を話していたんだい?」

「話し?」

「うむ。歓声が大きくて何を話しているのか分からなくてね」

「……」


 (あの件か……)

 乱尽には思い当たるふしがあった。

 しかし、留山が聞き耳を立てていたとは気が付かなかった。

 その口ぶりでは話の内容までは聞こえていなかった様だが……それともをかけられているのか。


『お母さんを殺めたのは、あなたじゃない』


 リューの言葉が乱尽の脳裏でリフレインする。

 彼は瞬間的に様々な可能性に思索を巡らせるが、いずれにしても留山に本当の事を言う必要は無い。



「……互いの健闘を称え合っていただけだが、それが何か?」

 乱尽の答えに留山は一寸瞳をくらくしたが、すぐに薄っすらと微笑んだ。

「そうか。なるほど。キミらしいな」

「……」

 薄ら笑いの留山をそのままに、彼に背を向ける乱尽。

「乱尽、どこへ?」

 留山の呼び止めに、乱尽は彼を見ずに答えた。

「有馬会長と話をしたい。今後の事を相談したいんでな」


 乱尽はそのまま去って行った。

 その場に残された留山は乱尽の背中を一瞥し、フッと鼻を鳴らす。

「まぁ、いい」

 そして左腕の腕時計に視線を落とす。

「……思ったより早く終わったな」


 リューと乱尽のは予想外の展開とその結果だったが、だからといって留山の予定は変わらない。


 彼は薄い笑顔をニヤリといやらしいそれに変え、呟いた。

「お陰でゆっくりと楽しめそうだ……」

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