第221話 死と乙女

 誰も何も言えない。


 言葉が見つからない。


 故に静寂。



 壮絶な死闘の果てにリューは敗れ、乱尽は勝利した。

 だが、そこに喜びは無い。


 未だ肩で息をする乱尽はリューに放った異形の拳に目を向け、それをじっと見つめて佇んでいた。


 人を殺めてしまった無垢な若者の様に、過ちを犯したその凶器を見詰める様に、乱尽はリューを刺し貫いた右拳を無言で見詰めていた。



 呆然自失。

 誰もが思考を失ったかの様な沈黙の中、アキはようやく我に返った。

(は、早くリューを医者に診せないと……芙蓉先生を!)


 あたりを見回すが虎子も大斗も倒れたリューを見詰めて呆然としている。

 ……無理もない事だ。

 だから自分がなんとかしなければ、と立ち上がったその時。


「はあぁぁ〜〜〜〜〜」

 魔琴が大きなため息をついて仰向けに寝転んだのだ。

「マジで焦ったぁ〜〜〜」 

 大の字になって、完全に弛緩ゆるんだ声を上げる魔琴。


 こんな時に何を!?


 アキが思わず激昂しそうになると、今度は虎子が同じようにため息をついた。

「………はははっ」

 あまつさえ笑い声まで。


 あまりのショックにおかしくなってしまったのかと不安になるアキだったが、今度は大斗がその大きな身体をドスンと畳に落とし、深く息を吐いた。

「ふ~〜〜、ヒヤヒヤさせやがって……」


 何がなんだか分からないアキ。

「え、ちょ、みんな、なんだよ? 早く芙蓉先生を呼んでこないと……」

 すると魔琴が寝転んだままリューと乱尽を指差した。

「ダイジョーブだよ。よく見てみ」

「は?」

「パパの手……つーか、指」

「ええ?」


 アキが目を凝らすと、乱尽の拳が妙だ。

 突き立てた中指が……へし折れている!?


「お、折れ……てんのか? アレ……」

「そうだよ。もうバッキバキ」

「な、な、なんで……?」

「リューが跳ね返しちゃったっぽいね。腹筋でこう、フンッ! かどうかわかんないけど、とにかくそんな感じで」

「マジか……?!」

「パパって見栄っ張りだからさ、痛いの我慢してんのバレバレ……つーか、リューマジヤバ。ボクでもあんなの絶対無理だわ」

「じゃあ、リューは……」

「まー痛い事は痛いだろうけど、刺さってないし平気っしょ。てゆーか、平気じゃないのはパパだと思うよ」

 魔琴はいたずらっぽく笑った。

「これ、ある意味リューの勝ちじゃね?」



 乱尽は折れた中指をじっと見詰め、様々な人々に想いを馳せていた。


 龍姫。

 さくら。

 藍之丞。

 雪。

 そして、リュー。


 中指の痛みを呂綺家の宝才で一時的に消すことも出来たが、敢えてそれをしなかった。

 そもそもこの程度の痛みは彼にとっては取るに足らないものなのだが、それでも今はその痛みを受け入れていたかったのだ。


「……ふふっ」

 乱尽の足元で笑い声がした。

 横向きに倒れていたリューが、顔を半分ほど乱尽に向けていた。

「一矢報いてやりましたよ……」

 リューは乱尽の折れた中指を見てニヤリと口角を吊り上げた。

「ざ・ま・あ♡……です」


 そして笑った。

「ふふふ……あはは……あはははっ……」

 そして泣いた。

「……うう、ううう……うえええ……ふぐぅぅっ!」


 感情の制御を失っているのか、それとも許容を超えて溢れているのか。

 リューの感情がどこにあるのか分からないが、彼女が泣いているのは確かなことだった。


「……何故、泣く?」

 乱尽が問うと、リューは涙と鼻水でぐちゃぐちゃの顔で答えた。

「悔しいからに決まってるじゃないですか……! 私が今日までどんな気持ちで……どれだけ頑張って来たか……それなのに、勝てなかった……! 届きもしなかった!!」


 歯を食いしばり、悔しさに耐えるリュー。

 乱尽はそんなリューを折れた中指越しに見詰めて言った。

「……私はもう千年生きている。その千年、鍛錬に鍛錬を重ね、技を磨いてきた」


 乱尽はもう片方の手で折れた中指を持ち上げてみたが、すぐにぶらんと垂れてしまう。現状では使い物にならないのは明らかだ。

「その千年の鍛錬が、あなたの17年に通じなかった。あろうことか、私はあなたの拳を喰らって一瞬とはいえ意識を。刹那を奪い合う、あの次元の戦いの最中さなかでだ」


 乱尽は唇を軽く噛み締め、気持ちを落ち着けるように一度だけ深い呼吸をした。

「……あの一瞬は私の千年に匹敵する一瞬だった。私はそれが……何と言うか、有り体に言うと、とても悔しい」


 それは包み隠さない彼の本音だ。それはその表情が物語る。影が差したような彼の顔に灯った、陽だまりの様な表情。

 その豊かさに、リューは乱尽に「人間ひと」を見た。


 彼も魔琴同様『鬼』なんかではない。

 リューはそう確信した。

 そして、とも。


「……ではこの勝負、引き分けにしませんか?」

 リューがそう提案すると、乱尽は首を小さく横に振った。

「勝ちは勝ちだ。自ら魔琴に宣言している以上、『呂綺乱尽に敗北は無い』」

「……そういうの、しんどくないですか?」

も似たようなものだろう?」

「否定できませんね……」

「……フフッ」 


 乱尽が笑った。

 魔琴でも殆ど見ることのない呂綺乱尽の笑顔。

 武人達は勿論のこと、長年彼に仕えるフーチですら初めて見る表情かおだった。

「だ、旦那様が……あんなにも朗らかに……!」

 あまりの感激に涙目で震えるフーチ。その横でレレはうーんと唸った。

「やっぱり男前ねぇ、乱尽様は……」



「……乱尽さん、手を貸して頂けませんか? 全身が痛くて、もう立つ力も残ってなくて……」

 リューが立ち上がろうと手を伸ばすと、乱尽は迷わず彼女に手を伸ばした。

「もちろん。さぁ、無理をせず、ゆっくりで良い……痛むか?」

「はい、かなり……でも、大丈夫です……」

頑丈タフなところも師匠譲りだな」


 そして乱尽の手を取り、立ち上がったリュー。

 彼女は立ち上がってもその手を離そうとはしなかった。

「……?」

 何故? と言うような乱尽の視線をリューは笑顔で受け止めた。

「握手です」

 そしてその笑顔を虎子やアキ、大斗や魔琴達に向けた。

「もう、終わりましたから」

「終わり……?」

「仇討ちは、もう終わりです」



 ぱちぱち…… 

 小さな拍手。

 それは大斗の大きな手から鳴っていた。

 それを見た虎子もふたりへ惜しみ無い拍手を送る。もちろん魔琴も、アキも。


 ぱちぱち……

 パチパチパチ……!


 拍手はすぐに満場の大喝采へと変わった。

 この凄まじい戦いを繰り広げたふたりに、観衆は大きな拍手と声援を送らずにはいられなかったのだ。


 それが乱尽には意外だったのだろう。

 彼は普段なら絶対に見せないような動揺を隠しきれないでいた。

「……私の様な者に……私の様なに、勿体無い……」

 戸惑う乱尽にリューは言った。

「いいんですよ。あなたじゃありませんから」

「……?」

「お母さんを殺めたのは、あなたじゃない」


 !!


 その一瞬の綻びはリューの考えを裏付けるには十分だった。


 しかし、乱尽は目を伏せる。

「……何を言う。私はあなたのご母堂を、この手で……」 

「乱尽さん。私も仁恵之里の武術家です。拳を交えれば相手の心根は分かります。それでなくとも魔琴を見ていれば分かります。あんなにも優しくて素敵な女の子のお父さんが……あんなにも強くて気高いのお師匠様が……例え、、あなたが意味もなく人を殺す訳がありません」

「……」

「私は魔琴と戦ってからずっとそう考えてたんです。そしてそれを確かめたかった。それが今日こうして叶った。それで、わかったんです。だから……」

 リューはにっこりと笑った。

 そこに怨恨など有り得ない。

 それは心からの友愛を籠めた笑顔だった。

「もういいんです!」


 瞬間、乱尽の目から涙が落ちた。 

 肩が震え、噛み締めた奥歯が痛いくらいだ。

「……済まない……本当に、済まない……!」

 俯き、声を振るわせる乱尽。

 長い前髪がその顔を隠しているが、零れ落ちる涙が彼の心境を代弁している。


 彼の謝罪の言葉には様々な意味が秘められているのだろう。深く、昏く、複雑な……。


 その程度の機微は若輩のリューにも理解できる。それに、呂綺乱尽ほどのが深い意味もなくこんなにも激しい感情で涙を流すわけがない。


 姉がそうであるように。


 だからリューはそれ以上何も追求しなかった。

 少なくとも、今はそれでいい。

 

「あなたがなんと言おうと、あなたは何も悪くない。私はそれが分かって満足です」

「……ありがとう……」

 乱尽は顔を上げ、再び笑顔を見せた。

 それを見たリューも安心したように笑った。

「さぁ、帰りましょう」


 家族のところへ。


 その視線の先には、ふたりの帰りを待つ家族の姿があった。

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