第218話 夢幻闘舞
リューの動きが止まった!
『九門九龍・大山』の蹴り足が天を突いたと同時にピタリと止まったのだ。
時間にして1秒の半分にも満たない『瞬間』だが、リューの意思と体が強制的に切り離された。
結果として、リューは一瞬とはいえ硬直してしまった。
その一瞬を獲り合うレベルの戦いに於いて、リューの感じた恐怖は
常人には気が付く
『何故、リューの動きが鈍ったか』
それを理解できたのは乱尽以外では呂綺家の宝才を扱える魔琴、長年呂綺家と乱尽に仕えるフーチ、呂綺家の宝才をよく知る留山、そしてマヤの神たる峰の4人だけだった。
……いや、正確にはその直撃を食らったリューも気がついていた。
(まさか……声に宝才を乗せた?!)
その推察は正しかった。
乱尽は発声に宝才を乗せて空気と共に伝播させたのだ。
原理としては虎子の扱う『蓮角の宝才』と同じだが、精神に感応する蓮角の宝才と違ってこの呂綺家宝才・『独歩』は肉体に感応する。
だが、あくまでも接触が発動条件である呂綺の宝才。非接触では効果のないはずのその
だから遠巻きに見ている観衆にはその効果は皆無であり、一見すると単に乱尽が大声を出しただけの様にも見えたが、間合いに居たリューにとっては宝才の直撃だ。
耳から入った僅かな宝才はそのまま脳を打ち抜き、リューの意識を一瞬だが刈り取ったのだ。
その状態を一般的に表現するのならば、瞬間的な失神がもっとも近い状態と言えた。
その一瞬。
乱尽が攻撃を放つには十分な一瞬だった。
ザッ!
乱尽が踏み込んだ。
しかし軽い。
だが、それで良かったのだ。
彼が放ったのは
素早く鋭く、コンパクトに。
斬り抜く様な踏み込みと素早い重心移動、そして脱力が完成した腕の振りがその不可視の拳を可能にするのだ。
――呂綺家宝才・『
宝才による脱力と筋肉の操作によって身体を鞭の様に扱う技だ。
しかし、その鞭は、先端に言葉通りの鉄拳が鈍い光を放っている。
音速を超える鞭は、乱尽によってさらなる凶器へと変貌を遂げていた。
パンッッッ!!
あまりに速すぎて、その乾いた打撃音は遅れて聞こえた。
気が付いた時にはリューは打たれ、その頭部が弾かれるように揺れていた。
……その時の様子を、ある有馬流門弟は
実際、その拳が見えていたのは武人会でもトップクラスの数人のみ。
残像を残すほどの拳がリューの顔面を神速で打ち抜いたのだ!
蹴り足が上がったまま打たれたリュー。
普通ならそのまま転倒するのだろうが、乱尽がそれを許さなかった。
ザッ!!
彼は更に踏み込み、その撓る拳を更に撃ち込んだのだ!
ッ!
ッッ!!
ッッッ!!!
フットワークを駆使し、体捌きを使い、彼は拳を連打した。
その度に風船が割れる様な、パンッという破裂音でリューの頭が踊る。
それが矢継ぎ早に続き、リューは右脚を振り上げたまま3発のジャブをもろに喰らい……喰らいつつ、狙っていた。
そう、狙っていたのだ。
あまりに速すぎる連打は何度続くか分からないが、3度以上は必ず続くとリューは踏んだ。
いや、恐らくこれは自分が倒れるまで続く……!
例の宝才で意識が飛んだ為に出来た大きな隙だったが、初弾のジャブの威力が強すぎてそれが逆に気付けになり、リューは2発目のジャブからは宝才の影響から抜け出していた。
とは言え、1発で意識が吹っ飛んでいきそうな凄まじい速度のジャブ。
宝才から抜けた途端、今度は衝撃で脳が揺れる。だから2度目は反応できず、3度目も4度目も見送った。
そして5度目……!
ザッ!!
乱尽が踏み込みんだ!
読み通り、さらなる拳が来たのだ!!
リューはこの時まで必死に上げ続けた『大山』の蹴り足を遂に下げた。
宝才による硬直。そしてその後の連撃の予想以上の速さ。
この2つのお陰で不自然さは誤魔化せたが、ダメージが大きくて上げ続けるのはキツかったその蹴り足。
しかし、それはこの時の為に上げ続けていたのだ。
(……来たっ!!)
リューは蹴り足を膝から折りたたむ様に曲げ、襲い来る5発目のジャブに合わせた。
「九門九龍・『
『鐵珠網』は返し技だ。
放った蹴りを躱された際、反撃に来た相手の手脚、または武器に自らの蹴り足を絡めてそれを折る、または受け流して極め技で返す……使い方は臨機応変だが、今この場では乱尽のジャブに合わせて足を絡め、引き込んで
気合一閃!
突き出てきた乱尽の長い腕にリューの足が蛇の様に絡む!!
変則の腕拉ぎ十字固めは引き込みの威力も加算されて乱尽の肘関節を強かに極め、見事グラウンドに持ち込む事に成功!
九門九龍、ひいては一之瀬流の真価を発揮するのはここからだ!!
と、なるはずだった。
実際は何も起きなかった。
リューの脚は何も捕らえる事無く、空振りした。
『鐵珠網』は不発に終わったのだ。
!!
観衆は息を飲んだ。
直前まで轟音の真っ只中の様だった凄まじい攻防がピタリと止まった。
乱尽が自ら止めたのだ。
彼の拳がリューの『鐵珠網』の直前で、まるで電源が落ちたのかと思う程突然停止したのだ。
ではない。
乱尽は読んでいたのだ。
リューが攻防の
そして、彼の方が一手先を読んだ。
紙一重の急停止に、リューはまんまと騙されたのだ。
リューの汗が冷えた。
これ程の相手とは。
それ以上に、今の自分の無防備さにぞっとした。
乱尽の止めた拳を見て、怖気を感じたのだ。
彼の拳、その形が変だ。
握り込まれていない。
むしろ軽く開かれ、しかし人差し指と親指には強い力が籠もっている。
一言で言うと、それは『デコピン』の
その親指の上に何かがある。
小さな玉砂利だった。
彼はリューの放った『大山』が蹴り上げた玉砂利を隠し持っていたのだ。
そしてそれを親指に乗せ、人差し指で弾く……つまり射撃の準備を完了していた。
乱尽は拳を止めたが、攻撃を止めてはいないのだ!
狙いはリューの眉間。
遮る物は、何も無い。
ある有馬流高弟が呟いた。
「
あるベテラン武人会職員が呟いた。
「違う……」
そして乱尽は撃った!!
ビチィィィッッッ!!
そんな聞くに堪えない痛々しい音と共に、リューの頭部はこれまでにない程、大きく仰け反った。
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