第217話 一之瀬流VS呂綺乱尽

 真剣で斬り結ぶが如き、リューと乱尽の激烈な一合いちごう


 その航空機事故さながらの轟音は、誇張抜きに武人会本部を激震させた。


 だからこそ、ただそれだけで今日、武人会本部にいる全員が『何が起きたか』を一瞬で悟った。


 最悪の事態が現実となったのだ。



 仮設の司令本部から刃鬼が駆けつけた時にはすでに人だかりができていた。

 だが、それは言葉の通りの人だかりで、誰も彼もが見ているだけの状態だった。


 遠巻きにそれを見る……そんな状況。

 誰も近づけないのか、或いは近付くことを許されないのか。

 刃鬼には後者に思えた。


 会見場となった和室の障子と窓ガラスは粉砕し、その先の縁側には乱尽が立っている。

 彼はじっと真正面を見詰めており、その先には武人会自慢の広い枯山水がある。

 その中央辺りにリューが倒れていた。


 それだけで状況は説明するまでもない。

 刃鬼は即座に前へ出て、とにかく止めなければと駆け出した、その時だった。

「手ぇ出すなあああッッ!!!」

 大斗の怒号がこの異様な空気をつんざいた。


「邪魔するヤツはオレがぶちのめすぞォォォッッッ!!!」

 刃鬼ですら足を止めてしまう気迫だった。

 虎子も唖然として、見ていることしか出来ない。誰もが大斗に逆らえなかった。


「……約束したんだよ」

 大斗が唇を戦慄わななかせた。

「絶対手を出さねぇ、出させねぇって、リューと約束したんだよ……」


 虎子はハッとした。

 数日前のリューと大斗の戦い。リューの勝利で幕を下ろしたあの一戦の、その結果が今この状況ならば、リューは始めからで、大斗はそれを知っていたということだ。


 それ程の覚悟か。

 リューにせよ、大斗にせよ、それ程の覚悟なのか。


 武の道に身を置き幾星霜。

 数々の覚悟と、その行く末を見届けて来た虎子だからこそ、この戦いは止められない。

 止めてはいけないのだ。

(……リュー……!)

 彼女は師として、そして姉として、この戦いに手出しは無用と心に深く刻み込んだ。


 しかし、アキは違う。

 アキも蓬莱流を名乗る以上、仁恵之里の武術家の端くれとは言え、こと精神を重んじる虎子とは違うのだ。

 むしろ、彼の師である蓬莱常世の教えは、頑なに道に殉ずるよりも我武者羅に生き延びる事を旨としている。


 そして、何よりもリューの事が大事だ。

 それが親の仇だとしても、アキにとってはリューの方が大事なのだ。


「リ……」

 アキが立ち上がる前に魔琴が動いた。素早くアキの腕を掴んだのだ。

 魔琴はアキが何を考え、どう動くか十分予想していたのだ。

「……」

 何も言わない魔琴。痛いほど握られたその腕が震えていた。

 いや、全身が震えていた。魔琴が震えていたのだ。

 そんな震える魔琴の瞳がアキを射抜いた。

 凄まじい殺気だった。

「リューには、権利があるんだよ」

 別人の様な魔琴に、アキは言葉を失った。


「……この前の公園での時、リューは全部話してくれたよ。今日、何をするつもりかって。嘘をつかず、誤魔化さず、リューは全部話してくれた。今まで何があって、どんな事をしてきたのか。リューはバカ正直に全部話してくれた。のボクにね……だから、ボクは認めたんだ。リューには『仇討ち』をする権利があるんだって。だからこそ、ボクは邪魔できないって思った。邪魔しちゃいけないって思ったんだ」

 魔琴の声が真剣だ。

 奉納試合の時にも感じたその鋭い雰囲気に、彼女の本気が滲み出ている。


「それに、呂綺家の者は挑まれた戦いに絶対に背を向けない。パパはそれを証明するんだよ。だからこれはリューにとっても、パパにとっても、避けて通れない戦いなんだ。だから」

 魔琴はアキを鋭く睨んだ。

 彼女がアキに向ける、初めての視線だった。

「邪魔するなら、例えあきくんでも容赦しないから」

「……魔琴……」


 もう誰も止められない。

 遂に始まってしまったこの戦いは、この時点で決着以外の結末は無くなったのだ。



 ……いや、結末を変えられる可能性のある人物がひとりだけいる。

 それに気が付いている留山は『芙蓉峰』を見た。

 そう、彼女こそ運命の観測者たるマヤの神・須弥山芙蓉宝望天狐しゅみせんふようほうぼうてんこ

 訳あって人の身に姿を変えているとは言え、運命すら捻じ曲げる彼女の宝才ちからならば……。


 しかし、彼女からはむしろ動揺が見て取れた。状況が把握できていないと言った方が正しいのかもしれない。

(ほう、これは須弥山様の予想外の展開だということかな? いや、それ程までに彼女の宝才が失われているという事か……)


 いずれにしても留山にとっては

 彼は悠々と、この大イベントを楽しむ事にした。



 言葉すら禁じられたのかと思うような静寂の中、リューはゆっくりと立ち上がって服の汚れを軽く払った。その様子にダメージは見受けられない。


 乱尽はそれを確認してから庭に降りた。

 当然、彼にもダメージらしいダメージは見受けられない。

 その様子に、お互い安堵していた。


 お互いに、こんなものは挨拶程度の攻防だと、言葉を交わさずとも意見が一致していたのだ。


 数メートル離れて対峙したふたり。

 不思議なことに、そこに戦闘の気配は無かった。


「突然、すみませんでした」

 リューが笑顔で言うと、乱尽も僅かに表情を緩めた。

「いや、こちらこそ。つい、手が出てしまった」

「……、ということでよろしいですか?」

「勿論」


 ふたりとも落ち着いた口調で、この場面だけ見れば日常のひとコマに見えることだろう。しかし、ここまでの全てを見て来た者にとっては、これ程の非日常はなかった。


 リューが何を問うて、乱尽が何を承諾したのか……この『仇討ち』の申し合わせが非日常でなくて何だというのか。



「……そのままでよろしいか?」

 乱尽はリューの服装を見て言った。

「日時を改めても構わないが」

 しかし、リューは首を軽く横に振った。

「いえ、今この場で。服装もこのままで構いません。武術とは、そういうものですから」


 リューはその場で体をほぐすように軽く跳躍した。

 所々汚れてしまった白いワンピースが、風を孕んでふわりふわりと揺れている。


「武術か……」

 乱尽はスーツの上着を脱ぎ、ネクタイを引き抜いてシャツの袖のボタンを外した。 

「では、私もひとりのマヤとして戦おう」

 そして構えた。


 その構えは魔琴のそれとは違い、重心の低い力強い構えだった。

 それは『魔琴との技の違い』を物語る。


 彼が魔琴の師匠なら、その技のバリエーションも豊富であるだろう。


 この男は、強い。

 それは向かい合っているだけで嫌というほど理解できる。


 同時に、リューは満足だった。期待外れの相手ではないという満足感だ。

 自分が目標として積み重ねてきた全てをぶつける相手として相応しい。


 母はこんなにも強い相手と戦ったのだ。

 結果はどうあれ、自分を守るために、里を守るために戦ってくれたのだ。

 リューはそれが誇らしかった。


「いきます」

 リューは敢えて言葉に出した。

 例え母の仇だとしても、これ程の相手には敬意を払うべきだと思ったのだ。


 バッ!!


 乾いた音とともに彼女の足元の玉砂利が飛散した。

 そしてリューの姿が消えた。


 九門九龍・白石はくせき


 それを見た師である虎子は震えるような心持ちだった。

はやい!!)

 そのスピードに乱尽はついていけていないのか、即時の反応を見せなかった。

 というより、反応が少しでも遅れるようにリューは乱尽の呼吸と呼吸の間の絶妙なタイミングを狙ったのだ。

 奇をてらう必要性を感じない、見事な『白石』だと虎子は感動していた。


 まさに一瞬。その一瞬にして距離を詰めたリューは既に次の技を放っていた。

「九門九龍・大山だいせんッ!!」


 それはゼロ距離からの蹴り上げ技。

 ボクシングのアッパーカットのような蹴り上げだが、リューの踏み込みが浅い!


 刃鬼は思わず声に出していた。

「ダメだ!!」

 それでは当たらない!

 リューの踏み込みのタイミングが早すぎるのだ。

 これでは空振りしてしまう!!


 ……バチッッッ!!


 弾ける様な音だった。

 空振りするはずの攻撃が命中する音……ではない。

 乱尽の顔面を襲ったのはリューの蹴り足ではなく、そのだったのだ。


 リューは『大山』の威力で、足元の玉砂利を乱尽の顔面目掛けて蹴り飛ばしたのだ。


 ショットガンのように放たれた大小様々な小石は容赦無く乱尽の顔面を襲い、その視界を奪う。

 彼女の狙いは最初からこれだったのだ。


 卑怯な戦い方にも思えるだろう。

 しかし、リューはそう思っていない。

 虎子は勿論、刃鬼も、巌も、澄も、相手側である留山でさえも……誰もが理解していた。


 『武術』とはこういうものだということを。


 そしてそれは乱尽も同じだった。

 だから彼はそれを噛み締めていた。

 心の奥底に仕舞い込んだ思い出が蘇り、胸に暖かなものを感じていた。

(これぞ九門九龍……まるで、龍姫と闘っているようだ……)


 過ぎ去りし日を想い、戦友を、親友を想う。

(……藍之丞よ……)

 500年の時を経て。

 そして12年の時を経て。

 乱尽のはようやく再始動したのだ。

「呂綺家宝才……『独歩どっぽ』ッッッ!!」


 それは彼らしからぬ、張り裂けるような大声だった。

 同時にリューの動きが止まった。

「!?」


 何故か。

 その理由を、乱尽と魔琴だけが知っていた。


 からだと。


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