第216話 もういいから

 これは一之瀬家と呂綺家の問題だ。

 だから武人会はその場所を提供するだけで、その他には関与しない。


 刃鬼はこの会見に於ける武人会の立ち位置を明確にしていた。


 だからリューと乱尽達を庭に面した日当たりの良い、会見に適した広い和室に案内すると自分は下がり、警備もその部屋には一切つけなかった。


 刃鬼は警備の中枢を担う設備を搬入し、急拵えとはいえ司令本部となった自らの執務室に戻った。

 執務室には数人の警備員が監視カメラや計器類を睨み、不測の事態に備えている。

 その傍らには峰の姿もあった。

 彼女は医療キットを持ち込んでおり、彼女もまた不測の事態に備えるとともに、をとっていた。


(ついにこの時が来たんだね……)

 刃鬼は窓から会見場となった部屋を見詰めて、今はただ沈黙を守っていた。




「随分と大胆ですな」

 留山は会見の部屋を遠くに望む位置にしつらえられた控室の外にある喫煙スペースで紫煙をくゆらせて言う。

乱尽かれが豹変するかも知れませんよ?」

 留山は紫煙と共にそう言うが、彼の側で同じ様に紫煙をふっと吹き出した巌がむふぅと笑った。

「虎子とリューが居るんだよぉ? かえってあの部屋が一番安全さぁぁ。警備なんぞ、むしろ足手まといにしかならないよぉ」

 言って巌は灰皿に灰を落とし、留山はその灰をちらりと見やった。


 巌が指に挟んでいるのは煙草ではなく、護符だった。そして立ち昇る紫煙は煙草のそれでは無い。

 留山はその薫りより、気配で察知していた。

 それがだと。

(鎮痛効果の護符か……面白い使い方をする)


 察するに、巌の具合はかなり悪い。

 根本的な治療ではなく、痛み止めでやり過ごさないといけないような状態だということだ。

「……」

 留山はその事について何も触れず、2本目の煙草に火をつけた。

「何事も起きなければ良いのですが」

「……同感だねぇぇ」

 巌も同じく2本目の護符に火をつけ、留山と同じ様にリュー達の居る部屋を眺めていた。



 控室の中では澄とレレがソファで向かい合って座っていたが、特に会話は無い。テーブルの上のコーヒーカップからは薄っすらと湯気が立っていたが、そのうちの1つは手付かずの状態だった。

 フーチはソファに腰を下ろすこと無く、大きな窓から主人の居る部屋を眺めている。

 部屋に入ってからずっとだ。

 レレはそんなフーチにため息をついた。

「フーチ、せっかくのお茶が冷めるわよ」

「……」

 フーチはその呼びかけには答えず、視線を外に向けたまま問うた。

「護法さん」

 突然名前を呼ばれたものの、澄は慌てる様子もなく「なに?」と短く答え、顔を上げた。

「あなたがここにいるのは、我々の監視ですか?」


 不躾な問いかけに不快感を表したのはレレだった。

「……フーチ、失礼よ」

 しかし、フーチは構わず続けた。

「お答えください護法さん。我々がこの場で無差別な暴力を振るわぬよう、監視されているのでは?」

「フーチ! いい加減にしなさい!」

 レレは立ち上がって声を荒げたが、澄は涼しい顔だった。

「まさか。あたしがここにいるのはとして、だけだよ」


 意外な返答にフーチの眉がぴくりと動いた。

「……友人?」

「そ。魔琴の友達として、リューの友達として、あたしはここで待ってるだけよ。それで、全部終わって『あー終わった終わった。さぁ、甘いモノでも食べに行こっか?』ってさ、そんなふうになるのをここで待ってるだけ」

「……」


 フーチは何も言わなかった。ただ、無礼な事を口にしてしまったという後悔はその表情から見て取れる。

「……申し訳ございませんでした。失言をお詫びします」

 フーチは深く頭を下げて謝罪するが、澄は特に気に留める様子も無かった。

「別に? んなことはどーでもいいからさ、フーチさんもこっち来てお茶しよ?」

「ですが……」

「大丈夫。何も起きないよ」

 澄は呑気にお茶菓子のクッキーをひと口かじり、自分に言い聞かせるように繰り返した。

「大丈夫だよ……」



 一方、会見の会場となった広い和室ではテーブルを挟んで呂綺家と一之瀬家が向かい合って着席し、沈黙していた。


 いざその時になるとこの様に沈黙が流れがちなものだが、この場のそれは質が違う。

 その重苦しい空気に必死に耐える魔琴は、この刺すような感情が全て父親に向けられている事に窒息しそうな苦痛を感じていた。


 しかし、それは無理もないことだ。

 目の前の男は親の仇。妻の仇。家族の仇。

 澱のような怨嗟の対象そのものなのだから。


 沈黙を守る大斗。

 同じく、少し目を伏せて何も言わないリュー。

 アキは場の空気に押し潰されないようにするのがやっとだった。


 乱尽もそうだった。何も言わない。

 言えないというのがもっとも近い感情なのだろうが、このままでは何も話が進まない。

 この状況を、魔琴は父のためにもなんとかしなくてはと焦っていた。

(ボクもボクに出来る事を……!)

 魔琴自身も言葉に詰まっていたが、意を決して沈黙を破ろうとしたその時だった。

「だめだ」

 そんな否定的な言葉で口火を切ったのは虎子だった。


「やはり無理だ。お前を目の前にして冷静でいられるものか……」

 虎子の膝で、握り込まれた拳が微かに震えていた。

 いや、震えていたのは拳だけではなく、声もだった。


「……私はリューに全てを託した。だから私はこの場で何も言わないと決めていた。だが、駄目だ。やはり耐えられない」

 その怒りがまるで目に見えるようだった。空間が歪むような怒気が虎子から滲み出している……。

「私から大切なものを奪い、殺し、犯し、破壊したお前を私は許せない。今この場で殺してやりたい。私から全てを奪ったように、お前からも全てを奪い、壊してやりたい……」


 徹底的な拒絶。

 自分に向けられたものではなくても、魔琴にとっては我が事の様なもの。

 吐き気を催す厭悪えんおに耐えるしか無い彼女と同様に、乱尽も微動だにせずただひたすらにその罵詈雑言を浴び続けていた。


 リューは俯き、沈黙していた。

 それもまた、耐えているように魔琴の目に映った。


 虎子は刺し殺すような視線を乱尽に向けたまま、その怒気だけはほんの少しだけ緩めた。

「……だが、そんな事をしてはお前と同じだ。私はお前の様になりたくない。そんな事では未来は無い。だから……っ!?」

 虎子の言葉が急停止した。

 乱尽が立ち上がったのだ。


 !!


 それだけで、眼前で刀を抜かれたような危機感。

 反応が一瞬遅れた虎子は即反撃、或いは迎撃の判断を迫られたが、それは無意味だった。

 彼は立ち上がると、目の前のテーブルを横に押し退けたのだ。


 意味不明な行動を呆然と見守るしかない虎子。

 しかし、乱尽は粛々と行動した。

 テーブルを退かし、障害物の無くなった虎子の正面に正座すると彼は言った。

「私に出来ることはこれしかない。今更何をしようが、何を言おうが、私の罪は消えないが……」


 彼は背筋を伸ばし、それをゆっくり前に倒した。

 両手をやや前方両脇につき、頭を深く下げ、額を畳に擦り付けた。


 それは、土下座だった。

「……済まなかった」


 それを目にし、魔琴の瞳に涙が滲んだ。

 奥歯がカチカチと音を立て、全身が震えた。

 そこに呂綺家の誇りは無かった。

 父は、全てを捨てて謝罪したのだ。


 ……

 ……カチ

 カチカチ……


 魔琴の奥歯の音よりも、はっきりと聞こえるその音は虎子の歯の鳴る音だった。

「……な、何を……お前は、何を……!」

 始めは困惑。しかしそれは直ぐに憤怒へと変わった。

「そんな事で……そんな事で!! お前はそれでもか! 恥を知れ!!」

 虎子は立ち上がり、これまで見せたことのない様な激怒で声を荒げた。

「お前の様な男に雪は! 鵺は! さくらは! ……藍殿は!! うわあああああっ!!!」


 虎子は完全に取り乱していた。

 これまで何百年も恨み、呪い、復讐を誓った怨敵のあまりに惨めで不甲斐無い姿に絶望したのだ。


 あんなにも強く、あんなにも愛した夫を殺した悪魔の様な仇敵の、これ以上無く弱々しい姿……虎子が切望した呂綺乱尽との決着が、こんなものであるはずが無いのだ。

「殺してやる!!」


 牙を剥き、怒りに身を任せて乱尽へ襲い掛かる虎子を、大斗は彼女に飛び掛かって止めた。

「やめろ虎子! 落ち着け!!」

「放せ大斗! はなせえええ!!」

 暴れる虎子を必死に抑える大斗。アキもそれに加わり、必死に虎子を止める。

「落ち着いてくれ虎子! 頼む……頼むよ……!」

 リューの為にも……!

 アキは心の中でそう叫んだ。


 そんな修羅場の中でも乱尽は額を畳に擦り付け、謝罪をめない。

 そんな時、リューが顔を上げた。

「……乱尽さん!」


 目に涙を溜め、今にも泣き崩れ落ちそうなリューはすっと腰を上げた。

「もういいです! お顔を……」

 もう十分だ。

 もうこれ以上は……。

 リューは乱尽に顔を上げさせるために彼に駆け寄って……





 『『『ズンッ!』』』


 ――鈍い音。


 リューがのだ。



 それは聞き慣れた、踏み込みの低く鈍い音だった。

 




「!?」

 予期せぬ出来事に虎子が、大斗が、魔琴が、そしてアキが目を見張る。

 リューは未だに土下座をやめない乱尽をそのままに、彼の目前で激しく踏み込んだのだ。


 踏み込んだ左足は畳にめり込むほどに彼女を激烈に支え、文字通り垂直に振り上げられた右足の、その踵がつちの様に振り下ろされるのを待っている。


 虎子がに気が付いた時には、もう全ての準備は完了していた。

 それは、『九門九龍』だったのだ。


 誰も予想できなかった。

 なんの予兆も、脈絡すらなく、始まってしまった。

 のだ。


 その場の全員が、時間が止まってしまったかのような錯覚を覚えた。

 それ程の決定的な瞬間。

 それはリューにとって、人生そのものを賭した一瞬だった。


 そして、リューの口から決意を込めた声が破裂する。


「……九門九龍・『水口みなくち』ッ!!!」




 ドッ!!

 ゴッ!!

 オオオッッッ!!!



 まるで地震だ。

 地震のように低く鳴り響く破砕音。

 地震の様な激しい振動ゆれ

 地震を凌ぐ破壊力。


 全力で振り下ろされた規格外の踵落とし、『九門九龍・水口』は乱尽の後頭部を一切の容赦無く打ち抜き、踏み潰したのだ。


 リューの頬には涙の跡が見えた。

 しかし、その顔に悲痛の二文字ふたもじは無い。

 あるのは覚悟のみ。

 リューは確信をもって行動したのだ。


 ――つまり、『奇襲』。


 これまでの全てはこの一撃の為、これから始まる戦いの為の擬態だったのだ。



 『水口みなくち』の威力を受け止めきれなかった畳は激しく陥没し、そのまま床板すら突き破り、乱尽の頭部は肩口まで床下へとめり込んだ。


 一瞬を何倍にも引き伸ばしたような時間感覚は光を乱反射して舞い散る埃すらはっきりと映し出す。


 そんな集中力の極限にあったからこそ、リューは気付けた。

 目の前できらきらと踊る埃が急激に軌道を変えたのだ。

 それらは空気の流れに押し流され、霧散していく。

 舞い散る微粒子を押し退け、空気そのものを斬り裂くように突き出てきたものは、乱尽の尖った足先だった。


 ッ!!


 咄嗟に構えた右腕に鈍い衝撃と、鋭い痛み。

 リューはそれを防御うけざるを得なかった。

 まさかの反撃だったのだ。


 乱尽の上半身は『水口』によって床を突き破り、大きく前屈するような格好だった。しかし彼はそれを前転と捉え、その勢いのままに蹴りを繰り出したのだ。

 だから避けきれなかった。

 奇襲を奇策で反されたのだ。


 受けた右腕と受け流した衝撃から体勢を戻し、リューは次の行動に移る。

 だが、それよりも先に乱尽は行動を起こしていた。


 パッと、リューの目の前に何かが唐突に覆い被さった。


バチィッッ!!


 破裂するような音と痛みが顔面を襲った時に、ようやくそれが乱尽のてのひら、つまり『張り手』だと気がついた。


 それは所謂いわゆる『掌底突き』のたぐいではなかった。

 打ち付けた衝撃もそのままに、彼はリューの顔面を強烈に拘束クラッチして、まるで砲丸投げの選手の様な構えをとったのだ。


 狙いは庭に面した大きな窓。

 正確にはその手前にある雪見障子に向かっていたが、いずれにしても結果は変わらなかっただろう。


 乱尽の勢いは更に加速していた。

 踏み込みの力が腰の捻りにより体内でさらに加速し、リューの顔面を鷲掴みにした右手に託される。

 同時に、乱尽の中で起爆したがリューの顔面で炸裂する!

「……呂綺家宝才・『とがり』!!」


 ブァチッッッ!!!


 落雷の様な激しい音と目に見える紫電が放たれた瞬間、リューの体は障子も窓ガラスも激しくぶち破り、庭へと弾き飛ばされて行った。



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