第213話 明日のために、その1

 アキは走った。とにかく走った。


 急いでいたから?


 いや、違う。

 では何故?


 正直、自分でも分からなかった。

 体が勝手に『全力疾走』を選択したのだ。

 その時彼の脳裏に蘇っていたのは、蓬莱常世とのある日の修行だった。



「いいことアキくん、逃走も重要な戦術の1つ。逃げる時は脇目も振らずひたすら走るのよ。というわけで、今日はより実践的に……」

 常世はおもむろにマシンガンを手にし、アキの足元に向かって乱射!

「さぁお逃げ子猫プッシーちゃん! さもなくば蜂の巣よ! ハァーッハッハ! ハーッハッハッハ!!」



 その高笑いと銃声がしばらく耳から離れなかったアキ。しかし、その時の修行が今に活きたのだ。

(わけわかんねーけど、あん時よりも怖かった……!)

 無我夢中で走り続けたアキはいつの間にか学校へ到着。校門の脇にへたり込み、ゼェゼェと息を切らしまくっていた。


「な、なんなんだよ……わけわかんねー……」

 なんの前触れもなく、突然消えた峰。

 得体の知れない闇から覗き込むような不死美の視線。

 そして自分と、本能的に感じた『恐怖』。


 何が怖くて逃げ出したのは上手く説明が出来ない。だが、ひらすら怖かったのだ。

 何もかもが意味不明だったが、何よりもわからなかったのが峰の一言ひとことだった。

「藍之丞さんと、の力だって……?」


 それは聞いたこともない単語だった。

 だから殆ど記憶にも残らなかった。

 思い出そうとしても、その手掛かりすら見つからない。

(人の名前じゃ無かったよな……場所の名前?)

 ものすごく気になるが、今はそれどころではない。

 一刻も早くリューと魔琴(と自分)の事を教師に伝えなければ……と、校舎に入った途端、アキは生徒指導の教師と鉢合わせてしまった!

「……げっ!」

 ヤバイ奴に見つかった。

 アキは思わず息を飲んだ。


 その背が低い割にやたらと体格の良い生徒指導の教師は全校生徒から『昭和の指導わざ現代いまに伝える教師界の伝説レジェンド』と揶揄される、今時珍しい熱血教師だったのだ。


(やば……絶対に詰められる……しかもかなりの長尺で!!)

 その教師の指導というか説教は長いことで有名で、話の最後は必ず感動的な感じを強要してくる面倒くさい男だった。


 アキは「終わった……」と、絶望し、長時間の説教からの反省文提出を覚悟したが、教師の反応は予想外なモノだった。

「大変だったなぁ国友。一之瀬と呂綺は大丈夫か?」


「え?」

 と、2度聞き気味なアキに、生徒指導は続けた。

「武人会から連絡があってな。大体だが、何があったのか聞いたよ。あいつらもお互い家庭の事情が複雑だからな、仕方がない」

「ぶ、武人会から?」

「正確には、武人会の芙蓉先生だよ」

「芙蓉先生が??」

「ああ。そういうわけだから、別に遅刻や無断外出扱いにしたりしないから安心しろと、後で一之瀬達に伝えていてくれ。もちろん、お前もな」

「は、はぁ……」

「まぁ、取りあえず教室へ戻れ。担任にも話はついてるから」

 生徒指導はその野生動物的な体をのしのしと揺らしながら去っていった。

「……マジで? 芙蓉先生が学校に連絡を?」


 いつ、どのタイミングで?

 忽然と姿を消したあと、武人会へ戻ったのか?

 俺の全力ダッシュより早く、しかもここからもっと離れた武人会本部から???


 どう考えてもそれは無理だ。可能性があるとすれば、平山不死美の魔法でワープさせてもらった……ぐらいのものなのだが、あの後にふたりが合流したとも考えにくい。

(そういえば芙蓉先生と不死美さんが一緒にいるところって殆ど見ないな。ていうより、先生が不死美さんを避けてる様な気も……)


 ……まさか、峰が忽然と居なくなったのもだったりするのか?

(いや、それは無いかぁ)

 ……そんな事を考えるのは野暮だと彼はかぶりを振り、とにかく事なきを得そうな流れにホッと胸を撫で下ろした。

(まぁ、とにかくこれで一安心……あとはリューと魔琴の話が上手く纏まればいいんだけどな)




 結局、彼女達が学校へ戻ってきたのは昼休みだった。

 ふたりは手を繋ぎ、まるで仲の良い子供のように帰ってきた。

 魔琴の目は泣き腫らして真っ赤に腫れていたが、表情は明るかった。

「いっぱい泣いたらお腹すいちゃったぁ!」

 と、笑顔を見せる魔琴。

 リューもいつものように微笑んでいたが、その顔には微笑み以外の感情も見え隠れする。


 彼女達の間でどの様な対話があったのかは分からない。しかし、互いに自分の気持ちを包み隠さず真摯に話し合えた事はふたりの様子から見て取れる。


 皆で楽しく食事をするこのいつもの光景が、これからもずっと続くと信じたい。

 アキはいつも以上にリューや魔琴、澄達との時間を大切に思うのだった。



 そうして様々なところで来るべき日に備える仁恵之里の人々。


 仁恵之里最強の自宅警備員兼漫画家と称される一之瀬大斗も例外ではなかった。


 ゴールデンウィークは出版社や印刷所も休みに入るので4月は締め切りが早く、作家たちは所謂いわゆる【ゴールデンウィーク進行】と呼ばれる変速締め切りに追われるのが毎年恒例となっている。


 もちろん大斗も担当編集者・桃井に毎年殺されかけるのだが、今年に限って大斗はきちんと締め切りを守り、全ての原稿を耳を揃えて桃井に手渡したのだった。


その際、大斗が一瞬見せた真剣な顔が桃井には気がかりだった。



 桃井はその後、たまたま東京出張に来ていた有栖羅市と待ち合わせて酒を飲んだ時に、その出来事を彼女に話した。


 それは4月の最終日。世間はゴールデウィークで浮ついていたが、桃井は先述の奇跡の様な出来事と大斗の意味深な表情かおに胸騒ぎを覚え、いまいち連休気分に浸ることが出来ないでいた。


「……っていうことがあって。あの大斗さんが締め切りをあんなに完璧に守るなんて、何かとんでもない事が起こる前触れなんじゃないかって思うんです」

 桃井がグラスに唇を寄せながら言うと、羅市はカラカラと笑った。

「はっはっは、そりゃあ確かに天変地異の前触れだよなァ。大地震が起きるのか、はたまた季節外れの雪でも降るのか……」

 言って、羅市は笑顔を少しだけ寂しそうに俯かせた。

「……か」


 その悲しげな瞳に胸がざわめく桃井。

「……羅市さん」

「ン?」

 羅市は取り繕う様な顔でなんでもないとアピールするようだったが、そんな事で誤魔化される桃井みつきではない。

「何か知ってるんですか?」

「何かって、何をだい?」

「大斗さんに何かあるとか……」

「ん~、例えば再婚とか?」

「そうなんですか!?」


 がたん、と椅子を鳴らして立ち上がる桃井。

「あ、相手はまさか、不死美さん……!?」

「ンなわけ……なくは無いかもね」

「どっちですか!」

「冗談だよ冗談。まァ座りなって」

 掌をひらひらとさせ、羅市は少しだけ儚げな笑顔を見せた。

「……大丈夫。なんも無ェよ。連休が終わればみんないつも通りさ。いつも通り大斗のおっさんは締め切りを守らねェし、子供達ガキンチョらはうるさくてかなわねぇし、お前さんは恋に仕事に大忙し……だから大丈夫。お前さんは何も気にしなくていいんだよ」

「……」


 羅市が自分を安心させようとしてそう言っているのを、桃井は分かっていた。

 そして、羅市が何かを隠していることも。


 それだけに、その口ぶりは『お前は関係ない』と言われているようで、少し寂しかった。



 羅市はしんみりとしてしまった空気を仕切り直す様に、手にしていたグラスを一気に空けて桃井をじっと見つめた。

「な、なんですか羅市さん……」

「あのさ、いっぺん訊いてみたかったんだけど」

「何をです?」

「お前さんさァ、あんなの、どこがイイわけ?」



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