第210話 娘が最近言うことを聞かなくて

 アキが一之瀬家に到着すると、家の前には人集ひとだかりが出来ていた。

 皆、一様に庭の方を見てざわついている。


「うわ、何だこりゃ!? ……ちょ、すいません! 通して下さい!」

 アキはとにかく庭の方へと出るために人垣をかき分けて前進。

 何とかそれを抜けると、その先頭にいた虎子と常世の姿が目の前に飛び込んできた。

「虎子! え? 師匠も!?」

「アキ、来たか」

「あら遅いわよアキくん。これが訓練の時だったら精神注入棒ケツバット10発よ」

「厳し過ぎないっ!? つーかなんで師匠がここに? それに何だよこの騒ぎは??」

「アレを見てみなさいな」

「?…………はぅあっ!? なんじゃこりゃ!?」


 常世が指を指す方は一之瀬家の庭だが、まるでハリケーン通過後の様に荒れ果ててしまっているではないか!

 そしてその爆心地的な場所にはリューと大斗の姿が。

 ふたりはまさに満身創痍。互いにボロボロの状態でうつ伏せに倒れていた。

「あ、あのふたり……やっぱり喧嘩になってたのか!?」


【リューも大斗さんも『話し合う』って言ってたけど、なんだかんだで結局で語り合うことになるんじゃないか……いやいや、それはさすがに無いかぁ】


 そんなふうに考えていた時期がアキにもあったが、やっぱりそうなってしまっていたのだ。

「と、虎子……あいつら、ピクリとも動かないけど大丈夫なのか?」

「私が駆けつけた時にはまだ動いていたが、もはや指先すら動かせないか……相当な激闘だった様だからな。そうなんだろう? 蓬莱」

 すると常世は恍惚とした表情で回想する。

「ええ、凄かったわよ〜。私は偶然通り掛かったから観られたけど、まさに死闘だったわ。まるで怪獣同士の対決みたいにあたり一面灰燼に帰す勢いでね」

「いやいや、止めようよ!? むしろなんで止めなかったんだよ!」

「どうして止めるのよ。あのふたりがこの状況で喧嘩りあってる理由なんてひとつしか無いじゃない。ねぇ、虎子」


 こんな状況なのに何処か穏やかな瞳を虎子に向ける常世。虎子は「まったく……」と呆れたようなため息をつくが、その瞳もまた優しげだ。

「言葉に出来ないなら肉体で語るしかあるまいよ。やはり親子は似るものだな」

 そして倒れたふたりを指差し、にやりと笑んだ。

「さぁ、どちらが我儘を通し切るかな……?」


 もう勝負はついたのではないかと思っていたが、それは違った。

 観衆の誰もが彼らに近づいてない時点で気が付くべきだった。

 ここからが本当の意味での、最後の勝負だったのだ!


 ……ぴくり。

 リューの指先が動いた。

 同じように大斗の指先も動く。


 ぐ、ぐ、ぐ……

 リューの体が動く。大斗も動く。

 お互いギシギシと軋む音が聞こえてきそうな程、残された僅かな力を振り絞って立ち上がろうとしている。

(こ、これってまさか『最後に立っていたほうが勝ち』ってやつなのか!?)


 バトル漫画ではよくある流れだがしかし、そのビジュアルの説得力と積み重ねられた歴史がこの先にある決着の絶対を揺るがさない。

 それを肌で感じた観衆からはリューと大斗に向けて盛大なエールが送られ始めた。


 リュー! 立てぇ〜!!


 大斗〜! 立つんだァ〜!!


 鬨の声のような声援は、大斗の背中を僅かに強く押したか。

 先に立ち上がったのは大斗だった。



「おおおおおっ!!」


 歓声が大斗を祝福するように湧き上がった。

 と、思いきや。


 ぱしっ!!


 鋭い音とともに大斗の足が掬われた。

 リューが彼の足元を右掌で鋭く掬い上げたのだ!


 大斗の巨大は軽々宙空に浮き、即座に落下。

 背中をしたたかに打ち付けた彼の腹に追い打ちというか止めとばかりにリューが両足を揃えてドスンと飛び乗った。


「うきゅっ!」

 鈍い悶絶の声を上げた大斗は直ぐに白目を剝いて失神。


 言葉を失う観衆が見守る中、リューはゆっくりと顔を上げ、そして胸を張って叫んだ。

「か……勝っちゃいましたもんねーーー!!」


 堂々のダブルピースで宣言するリューに観衆が震えた。

 これはまさしくあの伝説と名高い第21回天下一武道会決勝の再現ではないか!

 ここまで完璧な勝利を誰が覆させられようものか。


「……勝者、一之瀬流!!」

 特に立会人でもなんでも無いが、虎子がそう宣言すると観衆は盛大な歓声と拍手でリューを祝福し、その事実がリューの勝利を確定させた。


 常世も惜しみない拍手を送っていたが、その顔はどこか浮かない。

「もう、後には退けないわね」

 虎子はその言葉に厳しい表情で頷き、呟いた。

「……これも運命なのかもしれないな」

「そうね。でも、これはリューちゃんが自ら切り拓いた運命よ。が創ったものではないわ」

「……私もそう信じているよ」


 そして虎子がリューに歩み寄ると、リューはよろりとバランスを崩して虎子の胸に崩れ落ちてしまった。


「おっと……気を失ってしまったか……」

 リューは既に限界を遥かに超えてしまっていた様だ。そんなリューの頭を虎子は優しく撫で、そして彼女を抱き上げて観衆に向けて声を張った。

「さぁ、見世物はおしまいだ! 解散解散!」


 すると観衆達は「いいモノを見た」だのなんだのと言いながら撤収。虎子はリューを抱きかかえ、家の方へと歩き出した。

「私はリューの手当をしてくるよ。大斗はまぁ、そのへんに退かしておいてくれ、アキ」

「え、なんで俺!?」


 すたすたと去っていく虎子に突っ込むも自然にスルーされ、仕方なく大斗を抱えようとするアキだったが、そのあまりの重量に即座に諦めた。

「なんだこの人、重いとかいうレベルじゃねぇぞ?!」

 まず腕や首といったパーツが太過ぎる。

 しかも分厚い筋肉のせいで上手く腕が回せず、単に抱えるにも難儀するのだ。


(リュー、こんなモンスターみたいなおっさんと殴り合ったのかよ……)

 普段の大斗からは想像も出来ない怖気おぞけに震えるアキ。常世はふう、とため息を付き、大斗の両足首を担架の柄のように抱えた。

「あー重っ! ほら、アキくんも腕持って。引きずってもいいから、とりあえず退かすわよ」

「わ、わかった」


 それ、いちにのさん! とふたりは大斗を雑に持ち上げ、それでも完全には持ち上がらなかったのでずるずると引きずることになったが、これでとりあえず邪魔にならない所までは持っていけそうだ。

「……つーか、大斗さんもよくやったよなぁ」

 アキが感心すると、常世はきょとんと首を傾げた。

「よくやった? 何を?」

「だって、いくらゴツくても大斗さんは武人会の武術家じゃないだろ? それなのによくリューをあそこまで追い詰めたよなって……やっぱり、リューも普通の人間相手だと全力は出せなかったのかな」

「……まだまだおケツが青いわねぇ、アキくん」

「は? なんでだよ??」

「リューちゃんは本気だったわ。もちろん大斗さんもね。むしろ、リューちゃんが『よくやった』のよ」

「はぁ? このおっさん、そんなに強いのかよ? そりゃ腕力は凄そうだけど……」

「それくらい一発で見抜けなきゃダメよ。そんなんじゃ、訓練もイチからやり直しかなぁ」

「それはマジで勘弁して……」


 大斗を物置の前まで運び、やれやれと言う感じで常世は服の汚れを払った。

「まぁ、何にしてもこれで状況は大きく進展するわ。あとは呂綺乱尽あっちがどう出るかだけど……」

 そして彼女はアキの肩にそっと手を添え、まるで願い事を口にするようにして言った。

「……リューちゃんを支えてあげてね、アキくん」


 アキは正直に言って不安だった。

 虎子がそうであったように、常世も自分に大きな期待を寄せている。

 果たして、自分はその期待に答えることが出来るのか。

 そして期待される様な出来事が起こるのか?

 だとすればそれは何なのか……。


 様々な不安が寄せては返すが、それでもリューの為に出来ることは何でもしたいと思っているのも率直な気持ちだ。

 それに、不安な気持ちはリューの方が何倍も、何十倍も大きいはず。

 だからアキは力を強く頷き、答えた。

「ああ。任せてくれよ、師匠」


 すると常世はふっと笑顔を見せ、それこそ何かに願うように言った。

「これからもずっとよ。……姫様がいなくなっても、ずっとリューちゃんを支えてあげて……」


 涙の滲んだ常世の瞳に、アキはもうひとつの不安を意識せずにはいられなかった。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る