第209話 一之瀬流VS一之瀬大斗

 一之瀬家の庭は広い。

 というより、敷地内に道場を構える事が出来る程度なので『だだっ広い』のだ。


 ただ、庭と呼べるように整備されているのはリューの管理している花や植木のある居間の掃き出し窓周辺のエリアだけで、その他は砂利敷きだった。

 大斗とリューはその砂利エリアで対峙した。


 大斗がなぜ庭を指定したのか。

 言うまでもなく、家財を壊さないためだ。

 ということは、つまり……。


「俺とお前。タイマン張って、勝った方の言うことを聞く。武人会おまえらのやり方でいいよ。いや、そっちのほうがシンプルで俺にも合ってる」

 腕をぐるぐる回し、うーんと伸びをして、軽いストレッチをしながら大斗は言う。

 まるでジョギングにでも出かけるのかと言うほどに彼はリラックスしていた。

 リューはそんな大斗をじっと見詰めて動かない。

「……お父さん……」

 思わず口端から零れ落ちる言葉。


 こんな方法を取らなくても。

 いくらなんでも『喧嘩これで解決』は有り得ないのではないか。


 そんな事を、リューは思わなかった。

 全く、微塵も思わなかった。

 むしろ、予想通り過ぎて安心していた。


 父は今も昔も父なのだなと。

 お父さんらしいなと、愛情すら感じていた。


「お母さんにプロポーズした時も同じだったんですよね?」

「……あぁ?」

「プロポーズの代わりに、こんなふうに一対一の勝負を申し込んだんですよね。『オレが勝ったら結婚してくれ』って」

 リューが微笑むと、大斗はバツの悪そうな顔をして呻いた。

「げ、何で知ってんだ? 虎子から聞いたのかよ」

「そうです。 お姉ちゃんは会長から聞いたというか、無理矢理聞き出したそうですけど」

「マジかよ、かなり恥ずかしいんだけど」

「お父さんらしくていいと思いますよ。……私はお父さんのそういうシンプルなところ、好きですよ。お母さんもきっと同じ気持ちだったと思います」

「……フン」


 つまらなさそうに鼻を鳴らす大斗だったが、その表情かおはどこか嬉しそうだ。

「九門九龍とるのは2度目になるか……」

 大斗はふぅぅ、と息を吐く。


 まるで重機が排気する様な響きと勢いの呼吸から、彼の桁違いな肺活量とそれを支える内臓の強靭さは嫌でも伝わってくる。

「加減はしねぇぞ。喧嘩は喧嘩だからな。それなりのものにはしねぇとな」

 そして、彼は構えた。


 拳を握り込み、胸を開いて肘を曲げ、両腕を顔の高さで構えるその姿はまるでゴリラの様に重厚で、その肉体に備える筋肉に全幅の信頼を置いている事は間違い無い。


 父には相当な実力があるのだろう。

 しかし、それを裏付ける証拠モノは無い。

 そもそも、リューは大斗の闘う姿を見たことがなかった。

 リューの知る大斗はで適当で、全然父親らしくない、でも、優しい父親だ。

 そんな父が、対峙した自分を敵と捉えて構えている。


「……お父さんは、本当にお母さんに勝ったんですよね」

「疑ってんのか? つーか、そうじゃなきゃお前はココに居ねぇだろ」

「……お母さんは、強かったですか?」

「たりめーだ。でも俺が勝った。だがな、俺は雪よりもチョットだけ弱かったよ。ほんのちょびっとだけな」

「……?」

「ならなんで勝てたかって? そりゃぁお前、『愛の力』に決まってんだろ。だから、今回も俺が勝つんだよ」


 それを聞いたリューは虎子のを思い出していた。


『大斗は底抜けにバカで不器用なんだよ。だが、だからこそ底抜けに誠実なんだ。誠実なバカだ。あいつはそういう珍しい生き物だ。……雪はそんなどうしょうもなく清々しい大斗バカに惚れたのさ』


 リューはその言葉の意味をようやく理解した。

 自分も母と同じ様に、優しくてちょっと抜けているところがあるが、底抜けに誠実な男に惚れているのだから。


「……だったら私も愛の力で勝利を掴みます。そして、この我儘を通します」

「やってみな。世の中そんなに甘くねぇって事、教えてやるよ」

「……では、行きます!」


 ……ざッ!!

 リューの靴が鳴った。


 その瞬間、限界まで引き絞られた空気はついにはち切れた。

 リューが飛び出したのだ。

 大斗は弾丸のように突っ込んでくる娘にその拳を向け、吠えた。

「来いやぁ! 娘よ!!」





 その頃、蓬莱神社に到着したアキは社務所に顔を出し、常世を探すが……。

「あれ? 居ないな。また銃の試し撃ちにでもいってんのか?」

 神社に常世の姿は無かった。

 その代わり、意外な人物の姿が目に入った。

「……魔琴?」

 境内の一角、ベンチの様に大きな岩が横たわる日陰に腰を下ろす魔琴がこちらに気付き、手を振っていた。

「やっほーあきくん……偶然だね」


 休日の魔琴は瀟洒なドレスを身にまとい、まさに貴族令嬢の佇まいだが、その表情は曇っていた。

「ど、どうした魔琴? 元気無いな……」

 言って直ぐにアキはハッとした。

 その様子に何かを感づいた魔琴は力の無い笑顔を見せた。

「……あきくんは知ってるの? パパとリューのこと」

「あ、ああ。つっても、今日知ったんだけど……」

 図星を突かれた心持ちのアキ。

 だが魔琴にはそんなつもりは毛頭無かった。


「ボクもだよ。なんか知らないところで話しが進んでてさ、昨日の夜にどこかの偉い人のゴーサインが出たとか何とかで、今朝パパから「近い内にリューと会うから」って聞かされてさ……正直混乱してるんだ。なんか、現実感なくてさ。だからお屋敷ウチに居づらくてっていうか、じっとしてらんなくて」

 ハハハ、と笑って見せる魔琴の表情は冴えない。

「だってそうじゃん? リューにとってはガチで親の仇だよ? それに来るのはリューだけじゃないでしょ。フツーに考えたら大斗お父さんも来るでしょ。虎子さんだって……それってキツくない? アウェー過ぎじゃん。ボクなら『ムリだわー』ってなるよ」


 魔琴の瞳が不意に煌めいた。

 彼女の瞳には今にも零れ落ちそうな涙が震えていたのだ。

「パパはそれでも会うんだって。和平の実現には避けて通れない道なんだって。……もしそこで仇討ちとかされても構わないとか言っててさ。自分の首ひとつで少しでも和平に近づけるなら安いものだって……んなわけないじゃんねぇ。安いとか高いとかじゃなくない? ホント、プライド高すぎなんだよ。バカみたい……」


 項垂うなだれる魔琴の瞳から大粒の涙が零れ落ちた。その後を追う様に小さな涙が雫となって、次々に彼女の足元で砕け散っていく。


「ねぇ、あきくん。ボクはどうしたらいいのかなぁ」

「魔琴……」

「わかんないよ……」

 魔琴は零れ落ちる涙を隠そうともせず、彼女らしくなく呻いた。

「ボクには全然わかんないんだよ……」


 アキはそっと彼女の隣に腰を下ろし、少しだけ間を置くように目線を足元に落とした。

 そして魔琴の呼吸が落ち着くタイミングを待ち、顔を上げた。

「魔琴……」

 しかし、用意していた慰めの言葉は形を成さなかった。

 にアキは硬直し、言葉がかき消されたのだ。


 アキの視線の先に、の美しい女性が立っていたのだ。


 いかにも格式が高そうな黒い着物が印象的だが、それよりも目を引いたのがその女性の金色の髪だった。

 そんな美女が、アキを見詰めて佇んでいた。


 かなりの長髪であろうそのブロンドは上品に纏め上げられ、着物の黒と相まって神秘的なまでに美しい。


 これほどまでの美貌はそう居ない。居るとすれば、ただひとり。

「……不死美さん……?」

 呆然とする中、思わず声が出た。

 しかし、彼女は明らかに不死美とは違う。

 明らかに違うが、その美貌は瓜二つだった。



此処ここに居ましたか」

 その声にハッとして、我に返るアキ。

「魔琴……国友さんもいらしたんですね」

 目の前には、平山不死美が立っていた。


「あ……あれ? 不死美さん……?」

 そこにいたのはいつもの黒いドレスと流れるような金の髪が美しい、平山不死美だった。


「い、今そこに……」

 さっきの黒い着物の女性は何処に?

 すぐそこに居たのに。

 その言葉すら詰まる程、アキは混乱していた。


 アキが例の女性を探すように視線を彷徨わせると、不死美も同様に視線を漂わせた。

「……」

 アキから視線を外した不死美は直ぐに辺りの『何か』に気が付き、遁走するそれを目線で追う様な仕草をした。

「……ふふっ」

 そして笑った。

 彼女らしくない、どこか嘲りを含んだ笑いだった。


 だが、彼女は直ぐにその不遜をなかったことにするように、いつもの上品な微笑みを浮かべた。

「魔琴。フーチさんがあなたを探していましたよ」

「……あぁ、黙って出てきちゃったからなぁ」

 ずず、と鼻をすする魔琴。

「ちょっとショックが大きすぎてさ」

 涙の跡に気が付いた不死美は、黒いハンカチを魔琴に差し出した。

「……乱尽さんとリューさんの事、ですね?」

「うん……ボク、リューの気持ちもわかるんだ。パパの言ってることも確かにって思う。だけど、ふたりには会ってほしくない……だって、リューはパパを許さないでしょ? もし許しても、パパがと思うんだよ……」


 それはまさか、腹でも切るつもりだとでも言うのだろうか。


 流石にそれは無いだろうと思いたいが、乱尽の事を何も知らないアキがそう思うだけで実の娘である魔琴がここまで思い悩むという事は、それもあり得るのかもしれない。


 アキが掛ける言葉を見失っていると、不死美はふわりとしゃがんで魔琴と目線を合わせた。

「わたくしは、これも運命だと思うのです」

「……運命?」

「はい。なるべくしてなる。なるようにしかならない。まさに運命だと」


 運命。

 その言葉は、マヤにとって今や絵空事ではない。

 運命の観測者たるマヤの神、須弥山芙蓉宝望天狐の登場で現実味を帯びた『運命』という抽象的な表現は、既に現実世界の動向に影響を与えているのかもしれない。


「……須弥山さまがこれを望んだってこと?」

「いえ。そうは言っていません。しかし、もしそうならこれは我々には必要な運命だという事なのではないでしょうか。或いは、神の与え給うた試練なのかもしれません」

「だから受け入れろって? ……それ、ちょっとキツくない?」

「はい。過酷です。ですが、受け入れるのはあなたではありません。受け入れるのは、我々全員です」

「……わけわかんないよ」

「あなたひとりだけで背負う事では無いと言っているのです。わたくしや、乱尽さん。羅市さん、リューさん、そして国友さん……これはみなの運命、皆の試練なのです。そうは思いませんか? 国友さん」

「えっ! は、はいっ!?」


 置いてけぼり気味だったのに急に名指しされて慌てるアキ。

「しゅみせんさま」のくだりはなんの事かよくわからないが、とりあえず魔琴に笑顔を向けた。

「そ、そうだよ魔琴。リューだって会って話をしたいらしいし、その場で仇討ちとか流石に考えすぎだって。それに不死美さんが言う通りお前だけが背負い込む事も無いだろ? みんなで力を合わせりゃ大丈夫だよ。だからそんなにしょげてんなよ。お前がそんなんだと乱尽おやじさんもテンション下がっちゃうぞ?」

「……うん、そうだよね。ありがと、あきくん……」


 にこりと笑顔を見せた魔琴にほっと胸を撫で下ろすアキ。不死美も一安心といった様子で魔琴の手を取った。

「さぁ、戻りましょう魔琴。フーチさんが心配していますよ」

「うん、そだね。……不死美さん、ありがとう」 

「お礼には及びません。わたくしは、貴方にはいつでも笑顔でいてほしいのです」


 不死美はゆったりと微笑み、魔琴を包み込むように慰めた。

 それはまさに、無償の愛だ。


 不死美は自分の事を『魔女』と呼ぶが、『聖女』とでも呼んだほうが相応しいのではないか。

 そんなふうに彼女の無限大の優しさにアキが感心していると、不意にその笑顔がアキに向いた。

「国友さんもそろそろお戻りなさいまし。そして、見届けるのです」

「え? 見届けるって……?」

「すぐに分かります。それでは失礼いたします」

 不死美がドレスの両裾を軽くつまむとその足元に闇が渦巻いた。

「あきくん、ありがとね! 元気出たよ。 またね!!」

 魔琴は手を振り、不死美は恭しく会釈し、闇とともに去って行った。


 ……魔琴に元気が戻ってよかった。

 アキは純粋に嬉しかったが、魔琴の心配事が消え去ったわけではない。現実の問題は着々と進行しているわけで。


「いろいろと複雑過ぎる……」

 アキがため息をつくと、彼のスマホが鳴った。その長い鳴動は着信だ。

 ディスプレイには一之瀬虎子の名前が表示されていた。

(虎子? 何だろう……)


 アキが通話に出ると、緊張した声色で虎子が言った。

「アキ、いますぐ来てくれ。緊急事態発生だ」

「こ、来いったって何処に?」

ウチだよウチ。とにかく戻れ! 今すぐだ!」

 そして通話は切れたが、アキの動きは早かった。


(戻れって……まさか、さっき不死美さんが言ってたのって、この事か!?)

 アキは一目散に駆け出し、一之瀬家を目指したのだった。

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