第206話 賽は投げられた

 そして4月。

 アキ達は3年生になった。

 高校3年生といえば、人生の大きな選択を迫られる時期でもある。


「進路調査って言われてもねぇ……」

 その日の夕食後、アキは居間で新年度初日早々に配られた進路調査票を前に唸っていた。

 これまではまだまだ先だと思っていた今後の進路を決めなければならない。高校3年生というのは、そういう時期なのだ。


「人生の岐路みたいなモノを実感させられますね」

 リューは食後のお茶をお盆に乗せ、アキの前に静かに置いた。そして自分の前にも。お茶は2つだけだった。

「……大斗さんのは?」

「仕事部屋へ持っていきました。締切が近いので、居間でくつろぐ余裕もないって……」

 リューの表情が曇った。

 聞くまでもなく修羅場なのだろう。

「そうなの? 昨日まで余裕こいてなかったか?」

「私も何度か注意したんですけどね……大丈夫大丈夫って言ってたのに、全然大丈夫じゃなかったみたいで」

「夏休み最終日の小学生じゃん……」

「大きな小学生ですよ」


 ハァ。と深いため息を吐き、リューは自分の進路調査票を取り出してアキと同じ様に目の前に置いた。

「それはそうと、アキくんはどうするんです?」

「進路か? うーん……むしろ、皆はどうなのかなって思ってさ」

「みんな? 澄や鬼頭くんの事ですか?」

「そうそう。俺達もだけど、みんな武人会の武人だろ? だから、そういう場合はどうするのかなって。武人会の活動とかもあるだろうし」

「お姉ちゃんから聞いた話だと、昔はみんな武人会に就職して里を守りながら役場に務めたりしたそうです。おばあちゃんがそんな感じだったそうです」

「おばあちゃん……へぇ、そうなんだ」


 アキは虎子の過去の記憶で彼女の人生の追体験をしているので、その『おばあちゃん』……つまり、一之瀬鵺の事を知っている。

(そういえば虎子は鵺さんに進学を勧めるべきだったとかなんとか言ってたな……)

 とはいえ何十年も前の話だ。事情も環境も今とは違うだろう。


「……現代いまはどんな感じなんだ?」

「会長は特に決まりみたいなものは無いって仰っています。進学でも就職でも、場所も自由だって。現にシュン兄さんも京都の大学に進学しましたしね」

「そうか、有馬さんが良い例か……でもさ、仁恵之里の事はどうなるんだろ。主力の武人が抜けると色々と問題があるだろ? いや、もちろん有馬さんの事をとやかく言う訳じゃなくてね」

「そうですね……それは確かにその通りなんです。だからシュン兄さんも2年生の夏頃までは仁恵之里に残るつもりだったそうなんですが、会長とお姉ちゃんが「やりたいことをやれ」って説得したらしくて。仁恵之里の事は自分おとな達に任せろって……絶対に和平を実現させるから、お前は何も心配しなくていい。だから、自分の未来は自分で決めていいって。特にお姉ちゃんが強く説得したそうです」

「虎子が……そっか。鵺さんの時の事、心残りだったんだな」

「え? 心残り? 誰がですか?」

「い、いやいや、何でも無いよっ」


 虎子らしいな、というよりそれが会長や虎子、常世といったの総意なのだろうとアキは腑に落ちる心持ちだった。

 そのために和平を実現させ、子供達の未来を守る……彼等ならそう考えるだろう。


 1年にも満たない時間だとはいえ、今日まで仁恵之里の大人達の背中を見てきたアキにはそれがよく分かった。

(大斗さんはある意味悪い見本かもだけど……)


 リューは調査票の選択肢の上でペン先を旋回させるようにしてううん、と唸った。

「……アキくんはどうするつもりなんですか?」

「俺? 俺は特にコレっていう目標とか今んとこないけど、大学には行ってみたいかな……リューはどうなんだよ。なんか目標とか、やりたい事とかあんの?」

「私ですか? 私は……」


 リューはちょっと恥ずかしそうな瞳でアキをちらりと見やり、なにやら口籠っている。

「ん、なに? わたしは?」

「……笑わないですか?」

「笑う? それってリューのやりたいことを聞いてってこと? ないない。笑わないよ」

「じゃあ、言います……私はお料理が好きなので……将来はそういう仕事がしたいと思っています」


 リューは恥ずかしそうに、というより意を決してといった感じでそう言った。

「それは例えば……調理師とか、料理人とかいう感じか?」

「はい。専門的な学校で勉強して、どこかのお店とかで修行して、いつかは仁恵之里でお店を出せたらいいなって……」


 言いながらリューは赤くなり、恥ずかしそうにしている。夢を語っている自分に照れているのだろうけど、アキは胸に暖かなものを感じていた。

「いいじゃん。すげぇイイと思うよ」

「……ホントですか?」

「うん。リューらしいっていうか、なんていうか、マジでイイよ。リューは料理も上手いし、店出したら大繁盛間違いなしだよ」

「え、あ、あ、ありがとうございます……えへへ」


 目茶苦茶嬉しそうにふにゃっとした笑顔を見せるリューに、アキの胸が高鳴った。

(……か、可愛い……)


 いつも朗らかなリューだが、こういった無防備な笑顔を見せることは滅多にないのだ。

 アキが隙をつかれたようなクリティカルヒットに戸惑っていると、リューは「よーし!」と気合を入れて『進学』の二文字を丸で囲み、パッと晴れやかな笑顔を見せたのだった。

「夢に向かって、頑張りますっ!」




 一方その頃、マヤの住まう異界『カルラコルム』では平山邸でとある会合が開かれていた。


 参加者は平山家当主・平山不死美。

 有栖家当主・有栖羅市。

 呂綺家当主・呂綺乱尽。

 裏家当主・裏留山


 かつて栄華を誇ったマヤも既に以上の4家を残すのみ。そしてもうじきこの異世界も『魔界現象・コカツ』というブラックホールに酷似した現象によって闇に食い尽くされ、無に帰すのだ。


 平山不死美の見立てでは、このカルラコルムは遅くとも1年以内……早ければ半年程で消滅する。


 だからこそ人間界への移住を前提に和平を実現する必要がある、というのはマヤの共通認識であったが、その為に彼らの神である『須弥山芙蓉宝望天狐』が長きに渡る沈黙を破って突然姿を表したという事は大変なイレギュラーでもあった。


 事の次第を知るのはに立ち会った不死美と、天狐本人からそれを知らされた羅市。そして不死美から詳細を聞いた留山の3人。

 この場では乱尽だけがまだ何も知らなかった。


 だから不死美は各家の当主に招集をかけ、これまでの経緯を乱尽に説明すると同時に今後の対応を協議することにしたのだ。


 乱尽は不死美からの説明を受け、先ずは安堵したようなため息をついた。

「……須弥山様がご無事であらせられた事は何よりだ」

 と、主君とも言える天狐の無事に胸を撫で下ろす乱尽。 そんな彼を羅市はじっくりと観察するような瞳で見つめていた。


 乱尽は目の前のコーヒーカップに手を伸ばし、それを一口啜ると不死美にやや鋭い視線を投げた。

「しかし、何故須弥山様はカルラコルムにお戻りになられないのだろうか」

 何かを探るような視線。しかし、不死美はそれを素通りした。

「さぁ? わたくしにもそれはわかりません。ただ、須弥山様は須弥山様のやり方で和平への道を模索なさるのだと、わたくしは考えております」

「そういう事ではない。再臨なされたのにどうして我らを招集せず、単独で行動をなさっているのか、という事を言っているのだ。我々には須弥山様をお守護まもりする使命がある。それに……」

「神様のなさる事ですから、我々のような凡百の民草の理解を超えた理由がおありなのでしょう」

 するとそれに呼応するように留山が意味ありげな笑みを浮かべた。

「乱尽。無粋な詮索は止そうじゃないか。須弥山様には須弥山様のお考えがおありなのだろう。それに、女神レディーに対して邪推は無礼にあたろうというものさ」

「……」


 留山はともかく、不死美の物言いを乱尽は訝しんだ。

 どこか嘲るような、軽んじるような口調とその内容は不遜にも感じられるのだ。


 乱尽は不死美に悟られないよう、右隣に着席していた羅市に視線を投げた。

 羅市は腕を組んでソファの背もたれに体を預けて遠くを見るような目をしていた。


 ……彼女がそういう目をするときは何か考え事をしている時だ。特に、深く考えている時ほど視線は遠い。

 そんな遠い瞳が不意に乱尽へと向いた。


「……」

 それは一瞬の邂逅だった。

 一瞬だから、すぐに離れ離れになる。

 そうになるように、羅市は意識していた。

 それは自分と同じく、不死美に気取られない為……だと、乱尽はそう信じた。

(やはり羅市にも思うところはあるか……)


 しかしそれは今、確かめることではない。

 だから乱尽はそれ以上なにも言わなかった。


「……それと、もうひとつ大事なお話しが」

 不死美は姿勢を正し、乱尽を見詰めた。

 それは自分に関する事柄であると言われなくても理解した乱尽。

「何か?」

「一之瀬流さんが、あなたとお会いしたいと仰っているそうです」


 空気が一瞬で張り詰めた。

 羅市は息を飲み、留山の瞳が鈍色に光る。

 不死美はじっと乱尽を待ち、その乱尽は視線を手元に落とした。


 その様子を、後に羅市は決断を迫られているようだったと表現したが、実際は違った。


 乱尽は既に決断していた。

 彼はいつか来るであろうこの日が来たという事実を噛み締め、感謝すらしていたのだ。


「承知した」

 だから彼は迷うこと無く返答し、この時点でリューと乱尽の運命の歯車はようやく噛み合ったのだ。


 そう、それは運命だったのだ。

 まさに、神のみぞ知る運命。

(……絵に描いた様な運命ですこと。ということであれば、まずはと参りましょう)

 不死美はその運命の流れを傍観することに決めたのだった。

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