第三部 私の大切なあの人へ

第205話 春色革命

 雪に覆われた仁恵之里に少しずつ緑が戻る頃。

 桜の開花が特に遅い、この山あいの里にも確実に春がやって来ていた。



 春は出会いと別れの季節。

 それは、『別れ』から先にやってくる。


 今日は仁恵之里高校の卒業式。

 武人会からは有馬春鬼が卒業生として出席し、アキ達後輩は彼を送り出す側として様々な想いを胸に抱いていた。


(ちなみに春鬼は4月から有馬流の道場がある京都に移り住み、大学生として新生活を送ることが決まっている)


 成績優秀・文武両道。性格も良くて面倒見の良い唯一無二の完全美青年パーフェクトヒューマンの卒業を在校生(主に女子。一部男子も)は涙ながらに祝い、そして


 何でもいい……記念になるものを……になるものをゲットするのだ!!


 と、多くの生徒がを狙っていたのだ。


 ある者は古式に則り『制服の第2ボタン』を。(ちなみに仁恵之里高校の制服はブレザーだが……)


 またあるものは形式にとらわれず、奪える……もとい、ゲットできるものであれば彼の使いかけの消しゴムであろうと自転車のサドルであろうと、何でもいいと。


 そんなふうに、春鬼は卒業式の最中からありとあらゆる方向から狙われていたのだ。


 その様子は少し離れた在校生席から見ていたアキにもバチバチに感じられた。

(すげぇ緊張感だ……有馬さん、あの殺気の中でよく平気な顔してられんなぁ)


 アキも既に武人会の正武人。末席と言えど場の空気を自然に察知出来るほどには成長していた。


 四方八方から放たれる殺気はそれほどに春鬼への想いの多さ、大きさ、深さを物語る。


 特に、澄にとって春鬼の卒業は感慨深いものだろうとリューは式の最中も澄の事を気にしていたが、当の彼女は別段変わった様子もなく、むしろ淡泊な印象すら感じさせていた。


「まぁ、春鬼が抜けて仁恵之里のイケメン枠がひとつ空いちゃうかぁ。誰か補充要員いないかな〜」

 なんて、冗談を飛ばす余裕すら有った。


 本当は寂しいのに。

 寂しかったら、そう言えばいいのにね。

 ……と、魔琴は澄の小さな背中を見つめて心の中で呟いた。

(ま、そんなトコも澄のカワイイとこなのかもね)



 澄は卒業式の実行委員だった。

 会場の設営や撤収を行う、どちらかと言えばみんながやりたがらない役を彼女は進んで引き受けていた。

 それは春鬼のため。というより、何かをしていないと落ち着かなかったのだ。

 それには理由があった。



 式が終わり、澄は会場である体育館の片付けに参加していた。

 校舎内はもちろん、中庭や武道場……あらゆるところから歓声や笑い声、泣き声なんかも聞こえてくる。

 卒業生達が学校生活最後の日を惜しむように過ごし、また在校生は先輩達の門出を祝っている。そんな声だ。

 そんな声に、澄と一緒に撤収作業をしている数人の女生徒達はそわそわしていた。


「……あとはあたしがやっとくからさ、皆はもう行きなよ」

 澄がそう申し出ると、皆はどうしようかと顔を見合わせた。

「いいって。みんな、お目当ての先輩いるんでしょ? 最後だしさ、お話したり、写真撮ったりしたいでしょ。だから、いいよ」



 そうして澄はこの広い体育館にひとりきりになった。

 計画通りだった。


 パイプ椅子を片付け、壇上を普段通りに戻し、黙々と撤収作業をこなしていく澄。

「さ、コレでラストっ……と」

 ゴミを片付け、最後の作業を終えると同時に澄を呼ぶ声が体育館に響いた。

「澄」

 体育館の入口から彼女を呼んだのは、春鬼だった。


「……来てくれたんだね」

 澄はゆっくりと春鬼に近づく。

「約束だったからな」

 春鬼もまた、澄に向かってゆっくりと歩を進める。

「……卒業、おめでとう。春鬼」

「ああ。ありがとう、澄」

 段々と近くなっていく澄の小さな足音と、春鬼の静かな足音。

 誰も居ない体育館はふたりだけの舞台のようだった。


「……春鬼、人気者だからね。『有馬先輩! 写真撮って〜』とか『なにか記念になるものくださ〜い!』とか、そんな感じで大変で、ここには来れないかと思ったよ」

 そんな、何気ない会話。

「随分追いかけ回されたよ。でも、こうして約束は守ることができた」

 それなのに、どこか張り詰めている。

 澄の決意がそうさせているのだ。


「来てくれてありがとう。春鬼」

 ふたりは体育館のちょうど真ん中で向かい合う形になり、立ち止まった。

「……それで、呼び出してまで用事とはなんだ? 家に帰ってからではだめだったのか?」

 春鬼が問うと、澄は真っ直ぐに彼を見つめて言った。

「うん。だめ。今じゃないとだめなんだ」

「そうか。で、なんだ?」

「あのね、どうしても伝えたいことがあってさ」

「ほう。 どんな?」

「……ちゃんと聞いてほしいの」

「聞くが?」

「もうちょっと屈んでってこと。身長差考えてよ」

「屈む?」

「いいからもうちょい近づいてよ」

「……こうか?」

「そうそう」


 春鬼が言われるがままに身を屈めて澄の顔に近付くと、澄は彼の頬にそっとその小さな両手を添え、なんの迷いも無くその唇を奪った。


「っ!」


 一瞬よりも長く、一秒よりも短いその接吻キスはそれでも確かな感触をお互いの唇に残した。

「……好きよ、春鬼」


 そっと囁く澄はいつになく明瞭としていて、春鬼はいつになく動揺していた。


「いつか返事を聞かせてね」

 ぱっと花の咲いた様な笑顔を見せると、澄は赤くなった耳を隠すようにして走り去ってしまった。


「…………っ」

 春鬼はしばらくその場でどうしたらよいかわからずあわあわしていた様だが、彼よりもあわあわしていたのはリューとアキだった。


 体育館の片付けを手伝うために来たふたりだったが偶然にも程がある、とんでもないものを見てしまった。


「み、み、見たか、リュー……」

「はい! み、み、み、見てはいけないものを見てしまいました……!」

 澄が出ていった扉とは別の扉の陰でリューとアキはガクガクブルブルと戦慄していた。

「まさか澄があんなに大胆な先手を打つなんてな……」

 ううむ、と唸るアキ。リューも息を飲んでいた。

「シュン兄さん、もうすぐ京都に行っちゃいますから……その前にちゃんと伝えたかったんですね」

「そっか……あいつ、やるなぁ」

「はい。すごいです……」


 すごい勇気だと、リューは思った。

 あの強がりで天邪鬼な澄が、あんなにも素直に、真っ直ぐに自分の気持ちを伝えるなんて。


 リューは感動にも似た感情を抱くとともに、アキの横顔をちらりと見やって心の中で呟いた。

(私も見習わなきゃですね……)




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