第204話 【誰かの場合】

 少年部の錬成道場は他の道場よりもやや狭いが、ふたりっきりで話をするには十分過ぎる広さだった。


 峰が道場へ入ると、照明は自動で点いた。


 道場は板張りで、その反射が真夜中の道場をことさら明るく灯す。


 床板は日々の鍛錬を物語る様な大小様々な傷跡がびっしりと刻まれていた。

「……」

 『峰』はそれを尊いものを見るような瞳でひとつひとつゆっくり見つめていたが、不意にそれが止まった。


 突然背後に感じた人の気配。

 同時に、後頭部に押し当てられた

 そのふたつが峰を静止させたのだ。


 道場の壁の一部は鏡張りになっていた。

 峰は横目でそれを見ると、自分の置かれた状況を確認することが出来た。


 背後に現れたのは蓬莱常世。

 後頭部に押し当てられているのは、彼女が手にした大型拳銃の銃口だった。


「……」

 峰はそのまま動かない。

 この状況、自発的な行動が全て禁忌タブーである事は火を見るより明らかなのだ。


 ……だが、何故?


 峰が沈思するように瞳を閉じると、背後の常世はそれを合図と解釈したように口を開いた。

「そのままで結構です。質問にお答え下さい」


 ぐい、と後頭部に押し付けられた銃口に鈍い痛みを感じる峰だったが、抗議すら許されない状況だ。

 だから何も言わず素直に、だが微かに頷いた。


「須弥山様。500年もの間、雲隠れをなさっていたあなたが、何故今頃になってお出ましになられたのですか?」

 常世の質問に、峰は少し間を置いて答えた。

「……それは、和平のためだと言ったはず」

「和平? 本当にそれだけですか?」

「……」

「他に何か目的があるのでは?」

「……」

「お答え下さい。須弥山様」

「……」

「……答えろ」


 低く冷たい常世の声に、それでも峰は怯まなかった。

 そういった心の機微は、その場に漂う空気でわかるものだ。

「……チッ」

 だから常世は舌打ちをした。

 は効果がないと理解したのだ。


「……あまり乱暴はしたくないのですが」

 常世は銃口を峰の後頭部から右上腕へと移した。

「少し痛い思いをしたほうが、良い声がでますかね?」

 そんな脅しが通じる相手か……それを確かめてみたい。

 その気持ちを自覚した途端、彼女の背筋がゾクゾクと擽られるように泡立った。

「……試してみましょう」

 そして口端を吊り上げ、引き金にあてがった指先に力を入れ……た、その時。


「私は舌打ちなんて下品な事はしないわよ。さん」

 常世の背後から、常世の声がした。


 そしてその常世の常世の後頭部に、常世の手にした大型拳銃の銃口がぐりりと押し付けられたのだ。


「さぁ、今度はあなたが答える番よ。あなたが何者なのか、何が目的なのか……それにそのの事とか、色々とね」

 そしてそれまでの声色とは全くの別人のような冷たい声で吐き捨てた。

「両手を頭の上に組んで、跪け」


 それを受けて常世はほんの少しだけ息を吐いた。

「……」

 ため息のようなそれはどこか諦念を思わせるような、またどこかに嘲笑を思わせるような、不愉快を誘うような吐息で――。

 瞬間、その常世が動いた。


ッ!!」

 素早く身を捻り、目掛けて手にしていた銃の銃身でもって乱暴に殴り付ける奇襲の裏拳バックナックル


 しかし、その拳は空を切り、彼女は宙を舞った。

 軸足が吹き飛ぶような勢いで弾かれたのだ。

「っ!?」


 それはが放った足払いだった。

 足払いの速度とローキックの威力を合わせたような、足底を掬う様な彼女の蹴りによってバランスを崩すと言うより大袈裟に転倒するような勢いもそのままに、倒れた常世はもうひとりの常世によってうつ伏せの状態で腕を後ろ手に回され、完全に組み伏されてしまった。


なら、この程度の拘束なんて難無く抜けられると思うけど? ニセモノさん」

「……なんで私が偽者なの? あなたこそ偽者でしょう!」

「私と『峰さん』はもうお友達なのよ。だからあなたのように『須弥山様』なんて、他人行儀に呼ばないわ。それは峰さんも気が付いてると思うけど? ねぇ、峰さん」

 常世に問いかけられた峰はこくんと頷いた。


「……くっそ! クソクソクソッッ!」

「私はそんなふうにベタな悔しがり方もしないわよ」

「チクショ〜! もうちょっとだったのにぃ! むかつく〜!!」


 無様なほどの悪態を付く

(やけに子供ガキっぽいわね……知能が低い鬼のたぐいなのかしら?)

 はそんな事を考えながら偽物の右腕を極め、銃を取り上げてその背中に乗るようにして偽物を完璧に制圧してしまっていた。


「さて、とりあえず……あなた何者? 誰の差し金かしら?」

 常世は偽常世の長い髪を鷲掴みにし、乱暴に引っ張り上げた。

「うげっ!? い痛ッ!痛だだだッッ!? 何すんのよ!?」

「あら? カツラじゃないのね……」

 常世は何本か抜けてしまった髪の毛にフッと息を吹きかけ虚空にそれを散らすと、視線を鋭くして偽者に問うた。

「手の込んだ変装かと思ったけど違うようね。……もしかして『魔法』で私に変身してるとかかしら」

 同時に、常世はそうとは悟られないように峰の様子を横目で窺った。


(……か……)

 魔法、の一言に峰が激しく緊張したのを常世は見逃さなかった。

 その表情よりも息づかいや気配と言ったモノのほうが敏感に反応している。

(虎子の言っていた様に、峰さんと不死美さんには何か因縁めいた関係モノがあるのかしらね……)


 そんな常世の心中を見透かすように、偽常世はククク、と笑った。

「……やっぱりアンタは厄介だね。勘が良すぎる。御館様おやかたさまが気になさるわけだぁ」

「……え?」


 ……一寸、沈黙が流れた。


「……やばっ!」

 偽常世はそう声を漏らしたが時既に遅し。常世がそのを聞き逃すわけがない。

「……御館様? あなた、まさか……!」

 常世の知る限り、『御館様』という呼称を使うのはしかいない。

(マリー姉妹!? でも、これは変装なんていうレベルじゃない……それに、この感じは……!)


 その場に漂うのは魔法の気配では無い。

(宝才!?)

 マヤの王たる峰の宝才が辺りに染み出しているのかと思っていたが、もしそうでなく、そしてこのであったとしたならば。


「……『飛鳥あすかの宝才』!?」

 常世の声が震えた。

「どうしてあなたが飛鳥の宝才を!?」

 その声色が可笑しかったのか、偽常世はさも愉快そうに笑った。

「きゃははは! 正解ピンポーン! さっすが蓬莱の巫女さま! つーか勘が良すぎてウゼーわ……というわけでごめーんルイ、作戦しっぱーい!」

「……!?」


 常世は偽常世の耳にワイヤレスイヤホンが挿れられていることに気が付き、それを抜き取るとイヤホンからはマリー・ルイの笑い声が響いた。

「きゃははは! だっさぁマリオン!」

「うっさいなぁ〜! まさか巫子さまがこんなに強いなんて知らなかったんだもん! 何この腕力! ゴリラじゃん!」

「きゃははっ! まぁ、しゃーないよっ! さっさと撤収しちゃいな〜!」

「言われなくてもそうするよっ!」


 常世はある種、呆然としていた。

 それは何故マリオンが『飛鳥の宝才』を使えるのかという疑問、そしてなぜ自分たちが錬成道場ここへ来るという情報が漏洩していたのか、併せて彼女達の目的、その裏で手を引く者の存在……。


 様々な疑問疑念が波状に襲ってくるが、特に急激に濃さを増す新たな宝才の気配に常世の背筋が凍る。

「……っ!?」


 その発生源は自らの手許だった。

 偽者の腕を拘束している自分の手の先。

 正確には、偽者の手許だった。


 偽常世マリオンは手首の拘束が僅かに緩んだ隙にその準備を終えていたのだ。


 その指先は中指と親指が強い力を拮抗させ、それらが今にも弾かれそうな格好だった。

 そのさまを一言で言えば、彼女は指を鳴らそうとしていたのだ。

(は、蓮角の宝才!?)

 その声にならない声が期待以上のモノだったのか、偽者マリオンはいやらしい笑みをその顔にべったりと貼り付けていた。


「……峰さん!」

 なぜ、どうして、等という疑問を放り投げ、常世は峰に向かって飛び掛っていた。

「!?」

 峰は驚いて反射的にそれを避けようとしたようだが、常世はなりふり構わず彼女に抱き着き、そのまま床に伏せ、彼女を守る様に覆いかぶさった。

 そして峰を絶対に離さないという確たる意思を自分の心に刻み込んだ。


 ――例え記憶を操作されようと、彼女は私が絶対に守護まもる――!!


 そして。


『パチンッッッ!!』




 そんな何が弾ける乾いた音とともに、常世は


「……ここは……?」

 常世は顔を上げ、あたりを見回す。

「少年部の錬成道場……?」

 そして、何故か峰を抱きしめていた。

「……峰さん……?」

 呼びかけても返事はない。

「峰さん? 峰さん! ……峰さん」

 常世は峰の体に外傷が無く、呼吸も正常であることを確認し、それ以上の呼びかけをやめた。

 彼女は深く眠っているだけのようだった。

「……」


 何故ここにいて、何をしている?

 どうして峰を抱きしめ、床に伏せていたのか。


 常世は上着の下に忍ばせたショルダーホルスターから拳銃を抜き、弾倉を確認した。

(発砲はしていないようね……)


 辺りにも特に争った形跡はない。

 ならば尚の事、謎は深まる一方だ。

 しかし――。

があったことは確かね。それがなにか、分からないけど……)


 そして1つだけはっきりとしたことがある。

 それは、峰が『保護対象』であるという事だ。

 でなければ、自分が峰を守るように伏せていた理由が無い。

(……とにかくここを離れたほうが良さそうね)

 常世は深く眠る峰を抱きかかえ、錬成道場を後にしたのだった。



 そしてそれを物陰に隠れ、気配を消して窺っていたマリー姉妹。

 常世が足早に去っていったのを確認し、大きなため息をついた。


「ハァ〜、まさかあそこで抱き着くとはねぇ。お陰で須弥山様に何も出来なかったよ」

「身を挺して守る的なヤツ? ホント、勘がいいねぇ。巫女さま」

 ルイはやれやれといったふうに肩を竦め、マリオンの肩を励ますようにポンポンと叩いた。

「まぁ、記憶操作は上手く行ってるみたいだし? またチャンスはあるよ!」

「だね。でも今回は御館様にも内緒の作戦だったからミスっても良かったけど、もし御命令の作戦をミスったら……」

「お仕置きされちゃうねぇ〜!」

っわぁ〜〜!」


 クククッと笑い声を押し殺すと、彼女達は夜の闇と同化するようにして姿を消したのだった。

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