第200話 これからもずっと

 ふたりっきり……。


 そんな心ときめくパワーワードをあえて意識しないようにしつつ、アキとリューの大晦日は慌ただしく過ぎていく。


 夕方には大掃除も終わり、あっという間に夜が来てしまった。

「今年も一年、ホントに早かったですねぇ……」

 リューはしみじみ呟いた。


 夕食を終え、風呂に入り、居間のこたつでふたり揃ってお茶を啜りながらもうすぐフィナーレという紅白歌合戦を眺めながら、この一年を思う。


 アキが仁恵之里に来て8ヶ月。

 この8ヶ月はこれまでの十数年の人生よりも濃密で、賑やかだった。 

「うん、あっという間だったな……」


 それまでの生活とは真逆の、騒がしい毎日。

 そしてそれを愛おしく思う今。

「……ありがとうな、リュー」

 ふと、アキの口からそんな言葉が零れ落ちた。


「えっ?」

 リューは少し驚いた様子でアキの方へ振り向く。

 その拍子にまだ少し濡れている前髪が揺れ、その向こうで潤む彼女の瞳にアキの胸が高鳴った。

「い、色々と、ホントに世話になっちゃってっていうか、助けてくれて、あの、ありがとうって……」


 無意識に出た感謝の言葉だった。

 照れ臭くて誤魔化そうかと思ったが、しなかった。

「リューがいてくれたから……今、俺はこんなに毎日が楽しいんだ」


 耳が熱い。頬も熱い。

 自分のすべてが真っ赤になっている自覚があるアキはリューの顔をまともに見られないが、それはリューも同じだった。

「い、いえいえ、私なんて、私こそ、アキくんがいてくれたから、ですよ」

 リューも赤くなって照れ笑いをしたものの、どこかで冷静な自分を感じていた。

「……アキくんがなら……」


 リューはアキの決闘翌日、刃鬼のオフィスでの出来事を思い出していた。


『呂綺乱尽に会いたい』

 刃鬼に自らの思いを告げたリュー。

 その真剣な表情に、刃鬼は彼女の言葉の重さを感じていた。


 刃鬼はリューの『乱尽に向ける感情』を知っている。

 それは彼女の過去を知る者として、そして武人会会長として納得し、当然と捉えていた。

 しかし、それを良しとしない虎子の葛藤も知っている。刃鬼もまた、その葛藤を感じるひとりであった。


「ろ、呂綺乱尽に??」

 慌てる刃鬼の声が上擦る。

 しかしリューは至って冷静だった。

「はい」

「で、でも、なんでいきなり……」

「いきなり、というわけではありません。奉納試合の後からずっと考えていたんです。魔琴のお父さん……いえ、が呂綺乱尽なら、私が認識している『呂綺乱尽』とは大きく違っているんじゃないかって。むしろ、私は彼をよく知りません。だからそれを確かめたいんです。我儘を言っているのは承知の上です。でも、どうか……!」


 リューの真摯な瞳に気圧される刃鬼。

 その純粋で潔白な心意気に、彼女の『真剣』を見ずにはいられなかった。


「……きみは魔琴を救った。それはある意味僕らを救ってくれたと言ってもいいと、僕個人は思ってるよ」

 刃鬼はコーヒーカップに口をつけ、少しだけ唇を湿らせた。

「人と鬼……永らく続いた怨嗟の輪を、きみは断ち切ったんだ。和平や共存に向けて必要不可欠だったそれを、誰も成し得なかった絵空事みたいな困難を、きみは乗り越えて見せた。だからきみの希望は我儘なんかじゃない。きみには、それを言う権利があるだろう」

「では……」

「武人会会長として、きみの意見は尊重したい。もちろん、その実現に協力を惜しまないよ」

「会長!」


 パッと鮮やかさを取り戻したリューの表情かおだったが、刃鬼はそれを留めるように両手を開いて一旦冷静に、と言うふうに彼女を促した。


「ただ、じゃあ今すぐ! とはならないよ。お互い準備があるし、そもそも先方に説明をして許可を得ないと。リューには申し訳ないけど、その辺は大人の事情が山積みなんだよ」

「そ、そうですよね。すみません……」

「いやいや、きみのせいじゃないよ。あと、この事は誰かに相談したかい?」

「いいえ。まだ誰にも」

「それは良かった。では、僕がいいって言うまでこの事は誰にも言わないでほしいんだ。本当に実現出来るかどうかも不確かな事だし、実現するにしてもいつになるかのタイミングも分からないからね。いいかな?」

「それは構いませんが、お姉ちゃんにも相談してはだめですか?」

「そうだね。そうしてもらえるかな?」


 むしろそれが一番怖いんだよね……と、優しい刃鬼は決して口にしなかった。

(虎子が知ったらろくな事にならないよ……5対5の試合形式でやれとかわけの分からない事を言いかねないし……)


「分かりました」

 リューは刃鬼の悩みを知ってか知らずか、素直にその条件を聞き入れ、刃鬼は唐突に降って湧いた難題に胃が痛くなる思いだった。

(でも、奉納試合という大仕事を最高の形で成し遂げたリューに僕が出来る恩返しだ……絶対に実現させるぞ!)



 そしてそれから1週間も経っていないが、リューは誰かに相談したくて相談したくてたまらない気持ちを必死に抑えていたのだった。

(うぅ……他の人の意見も聞きたいです……)

 しかし律儀で真面目なリューはその気持ちを必死に抑え、これからも刃鬼との約束を守るつもりだったが……。


「アキくん」

 リューは思わず彼の名を呼んでいた。

「ん? なに?」

「あの、その……ら、来年は、すごいことが起きると思います」

「へ? すごいこと?」

「そうです。……ええと、その、か、革命的な何かです」

「そ、そうなの?」

「……多分、ですけど」


 リューは寸前で踏みとどまった。

 やはり約束は破れない、と彼女の矜持が勝ったのだ。


 その時、部屋が急に静かになった。

 紅白歌合戦が終わり、『ゆく年くる年』に切り替わったのだ。

 日本各地の神社仏閣の年越しを生中継するこの番組。先程までの華やかな音楽はあっという間に厳かな除夜の鐘の音に変わってしまっていた。


「お、いよいよだな」

 アキは時計をちらりと見て、少し戸惑った様な笑みを見せた。

「あと15分で俺も武人会の武人なのか……明日武人会の新年会で所信表明的な事するんだろ? 何もかもに実感無ぇなぁ」

「……そうですね。まさか、アキくんと一緒に戦うことになるなんて……」


 思いもしなかった訳ではなかった。

 どこかでそんな気がしていたのは事実だ。

 しかし、それも今になって思えばの事。

 ……或いは、こういう運命だったのかもしれない。

 いや、そう言うしか無いのかもしれない。


 リューはアキの手をそっと握った。

「リューっ?」

 突然の暖かな感触にアキの声が裏返りそうになるが、リューは落ち着いていた。真剣だったのだ。

「……アキくんは私が守ります。だから、心配いりませんよ」

 そしてその手から力を抜き、引き戻そうとしたリューの手を、今度はアキが握り返した。

「アキくんっ?!」

「俺もお前を守るよ」

「……っ」

「頼りないかもしれないけど、頼ってくれよ」

「アキくん……」

「俺、頑張るからさ……な?」

「……はい」

 アキもまた、真剣だったのだ。


 ふたりはいつの間にか身体ごと触れ合いそうな程に近付き、見詰め合っていた。




 その様子を、虎子は庭から窓ガラスに張り付いて覗いていた。

(な、何をしているんだあのふたりは……カーテンが邪魔でよく見えん!)

 カーテン越しに見えるのは、身を寄せ合うふたりのぼんやりとした姿というか『影』。

 ふたつの影はやがてひとつになり、その様子が虎子の心を最高にざわつかせた。

(いきなり出現してサプライズあけおめでもぶちかましてやろうと思ったが、タイミングを外した……っていうか、そんな事やれる状況じゃないだろ! せめて声だけでも……)

 虎子は窓ガラスに耳をピタリと付け、盗み聞きの態勢をとる。その様子にかつて武神と謳われた武術家の威光は皆無であった。


 そんな虎子の事などつゆ知らず時刻は刻々と過ぎ、ついに年越しの瞬間が迫って来た。

「アキくん……」

 リューは繋がれたままの手をちらりと見やり、おずおずと呟いた。

「このままでいいですか?」

 そして意を決した様にアキに問うた。

「このまま、で新年を迎えたいんです……」


 リューは不安だったのだ。

『呂綺乱尽と会う』

 それが実現したらこれまでの何もかもが変わってしまうかもしれない。

 或いはそこですべてが終わってしまうかもしれない。

 自らの望みのせいでこれまでの武人会の努力が、仁恵之里の全ての人々の努力が無駄になってしまうかもしれない。


 今はまだ止まっている物事が、年が明けた瞬間に動き出してしまう様な気がして、彼女は怖かったのだ。


「そうすれば、私も頑張れます……」 

 リューの消え入りそうな声に彼女の不安を見たアキは、その原因を知る知らないに関わらず、自然にリューの手を優しく握り返していた。

「……いいよ。一緒に頑張ろう」

「アキくん……」



 暖かなふたりのその様子は、覗き見&盗み聞きをしている虎子には全然違って受け取られていた。

(え!? もう繋がってんのか!?)

 リューは確かにそう言った。 

 虎子には確かにそう聞こえた。


『このまま繋がっていたい』、と!


 カーテンに映る影は確実に重なっている。

 外にいる虎子から見てアキが手前、リューが奥にいるような……見ようによっては、まるでアキが胡座あぐらのように座ったままリューを背後から抱き抱えているように見えてしまうのだ!

(マジか!? あの姿勢でか!! いやちょっと待ってよ大斗のアホがやらかしたせいでふたりがやらかしてしまっているのか!?)


 大斗のやらかしを事前に知っていた虎子。もちろんアキ達がふたりっきりである事も分かっていたが、それでもこれは……!

(『私は一向に構わんッ!』 とか言ってはみたものの、実際にになってみると全然構わんくねーし……)


 まさか手を繋いでいるだけとは知らない虎子の発想はどんどん飛躍していく。


「……あぁ~嘘だろマジかよ、展開が思ったよりも早すぎる……つーかもう家に入れないだろこんなの。蓬莱んとこでも行くか? いや、あいつ大晦日の夜は神社にいると参拝客の相手が大変だからとか言って毎年刃鬼んとこに居るからな、私も刃鬼の家にお邪魔するか? いや、しかしこっちも気になる……」


 虎子が庭先で頭を抱えていると、突然玄関の引戸が開いた。

「お姉ちゃん?」

「へ? え? ヒイィッッ!? リュー!?」


 玄関先ではリューとアキが揃って顔を出し、尻もちをついた虎子を珍獣の様に眺めていた。


「やっぱ虎子か。 誰か外でブツブツ言ってんなぁと思ったら……つーかそんなとこで何してんだよ?」と、アキ。

「な、何してんだってお前たちこそナニしてんだ? じゃなかったのか??」

「え!? み、見てたのか?」

「み、み、み、見てたんですか??」

 一気に赤くなるウブなふたり。


「いやいや、見てないけどやっぱりそうなのか!? でも繋がってたにしてはお前たち、なんで服を着てるんだ? アレか? 着衣きたまま派か?」

「服ぅ? 手ぇ繋ぐだけでなんで脱ぐ必要があるんだよ」

「……手?」

「よくわかんねーけど寒いから早く家ん中入ろうぜ」

「そうですよお姉ちゃん。ささ、早く早く」

「え、あ、ああ」

 わけも分からないままリューに手を引かれ、家の中へと入る虎子。

「お帰りなさい。お姉ちゃん」

「お帰り虎子〜」

「お、おう。ただいま……」

(私は何かとんでもない勘違いをしていたのか……?)


 虎子が居間に入ると、リューが「あっ」と声を上げた。

「どうしたリュー?」

「年が明けちゃってます!」


 部屋の時計は既に午前零時を回っていた。

 テレビからは新年を祝うレポーターの声が聞こえてくる。

 いつの間にか新年を迎えていたのだ。 


「あけましておめでとうございますっ!」

 リューが突然声を張った。

 いつもの笑顔でふたりを見るリューに、先程までの弱々しさはない。

 アキはその様子に安心し、彼も声を張った。

「あけましておめでとう! 今年もよろしくな!」


 虎子の勘違いは度を越していたものの、ふたりの心はしっかりと繋がり、それは絆としてこれまで以上にふたりを強く結びつけるだろう。

 虎子はリューとアキからそんな力強さを感じていた。

「……あけましておめでとう! 今年も1年、精一杯頑張ろう!」

 虎子も大きな声でそれに応えた。



 今年は大きく物事が動くだろう。

 仁恵之里にとって運命的な年になる。

 遠い昔から仁恵之里を見つめてきた虎子には分かるのだ。

 今年はそんな1年になると。


 そして、同時に彼女は確信していた。


 今年が自分にとって、最後の年になる事を。


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