第199話 よいおとしを

 クリスマスを終え、さぁ年末年始! と意気込んで一之瀬家が年の瀬の準備に追われていた12月31日早朝。

 突然、あのがやって来た。


「おーい! 大斗のおっさ〜ん! 居るかい?」

 玄関から聞こえてきたのは有栖羅市の声だった。


 折しも一之瀬家は朝食の真っ最中。

 こんな朝早くから、しかも羅市が訪ねてくるなんて想定外過ぎてアキもリューも顔を見合わせるが……。

「おーい! おっさん、居るんだろ? 早く出てこいよ。じゃねーと引戸とびらぶっ壊してお邪魔すンぞ」


 羅市が玄関の戸をガタガタさせながら言うのでリューは飛び跳ねるように立ち上がった。

「ちょ、ちょっと待ってください羅市さん! ……お父さん、羅市さんが来てますよ? 何かあったんですか?」

「んぁ? ……何もねぇよ」

 大斗は寝起きそのもののだらしない顔とボサボサ頭を気にもせず、半目で味噌汁を啜っていた。

「でも、なんだか急用っぽいですよ? 羅市さんがウチに来るなんて滅多にありませんし?」

「酒が切れてテンパってんじゃねーの?」

「と、とりあえず玄関を壊される前に出ますねっ! 羅市さん、今行きます!!」


 リューは慌てて玄関まで走り、そろそろヤバそうな音をたてる引き戸を開けた。


「すみませんおまたせしました羅市さんっ」

「ようリュー、おはようさん」

 引き戸の向こうにはあわせに暖かそうな羽織姿のの羅市が立っていた。


 普段は浴衣をだらしなく着崩している羅市なのでその姿は新鮮だったが、胸元は相変わらず今にも零れ落ちそうなほどたわわだった。


「ど、どうしたんですか? こんな朝早くに……」

「どーもこーもねェよ。ちっと邪魔すンぜ」

「え? ら、羅市さん?」

「おッ邪魔〜っつーか、大斗、何処だよ?」

 言うが早いか、羅市は履いていた雪草履を放り投げる様に脱ぎ、家の中に入って行った。


「お? いたいた大斗。つーかなンだよ寝起きかよ? やべーぞお前さん」

「はあ? お前こそなんだよ離脱症状か? 酒なら台所にあっからテキトーに持ってけよ」

「そりゃ有り難いけどよ、今はそれどころじゃねーって。ホラ」

 羅市は懐からスマホを取り出し、テーブルの上に置いた。スマホは通話中で、スピーカーモードになっていた。

「は? 何これ? 誰かと繋がってんのか?」

「相手の名前見てみ」

「あぁ? ももい……桃井?……桃井さん!?」


 瞬間、大斗の全身が泡立つように逆立ち、何かとんでもないことを思い出した様な彼の呼吸が荒くなっていく。

「……ッ、ッ、ッ――」

 ついに過呼吸に陥った大斗の吐息を塞ぐように、スピーカーから桃井の声が深く、そしてくらく響いた。


「……先生?」

「は、ハイッ!!」

「どうしてご在宅なんですか?」

「そ、それは、その、……」

「……ご自分が何をなさったか、お分かりですね?」

「ハッ、ハッ、ハイッ!」

「……編集長は大層お怒りです。ジャンピング土下座のご準備を」

「ングッ! イッ、ハヒッ!」

「……あとは羅市さんの指示に従って下さい」

「イ、イ、イエッサァァーッッッ!」

 恐怖に震え直立不動で敬礼する大斗に、蔑むような『音』が止めを刺した。

「……チッ!」


 リューがそっとアキに近寄り、小声で話しかけた。

「今のって、舌打ちですよね……」

「た、多分。俺にもそう聞こえた」

「桃井さんがそんな事するイメージ、全然無いんですけど」

「だよな……」

「よっぽどお怒りって事ですよね……」

「……うん」


 通話は向こうから一方的に切れていた。

 大斗も糸が切れた様にドスンと尻から崩れ落ち、抜け殻のように放心してしまっていた。


「ね、ねぇ羅市さん。大斗さん、今度は何やらかしたんですか?」

 アキが恐る恐る羅市に訊くと、羅市はヤレヤレといったふうに肩をすくめた。


「おっさん漫画家だろ? 今日の朝から『コミケ』とかいう漫画やらアニメやらのイベントに参加してサイン会をやる予定だったらしいんだよ。もちろん桃井さんからの依頼でね。でも、待ち合わせの時間になっても来ねーし、電話しても出ねーしでさ、桃井さんからあたしにおっさんの様子見てきてくれって連絡があったんだよ。あたしは嫌な予感がしたんだけどよ、バチクソ的中だもんな。桃井さんの話じゃあ編集長からのご指名だったんだとよ。そんな大事な用事をすっぽかすなんてなァ……これじゃあおっさんよ、桃井さんの顔にドロ塗ってんのと同じじゃねーか。このお馬鹿がよォ」


 それを聞いてリューの顔が過去一番に青ざめた。

「お、お父さん!! 今年の仕事はもう全部終わったって言ってたじゃないですか! 私も何回も何回も確かめましたよね? それなのに……!!」

 リューはかなり激しく大斗の肩を揺さぶるが、既に大斗は生ける屍。精気を失った瞳はもう何も見ていない。


「ら、羅市しゃあん……」

 リューは藁にもすがるような心持ちで羅市に助けを求めるが、そこでアキが「ん?」と小首をかしげた。

「……そう言えば桃井さん、『あとは羅市さんの指示に従え』とかなんとか言ってた様な……?」

 すると羅市はフフンと笑みを浮かべ、

「そういう事よ!」

 と、その豊満な胸元をバチコーンと叩いた。

親友桃井さんのピンチだからな。ココはあたしが一肌脱ぐってワケよ! つーわけでとりあえず大斗を着替えさせるからリュー、着替えもってこい。で、アキ。お前さん手伝ってやれ」

「わ、分かりました!」


 リューは洗濯籠から大斗の服を取り出し、アキはそれを受け取って大斗に着せるのだが……。

「でも羅市さん、今からで間に合うんですか? 会場って確か有明でしょ? どんだけ急いでも昼過ぎ……下手したら夕方ちょい前に着く感じじゃないですか?」

「はっはっは! この有栖姐さんに死角なしよ。……お、噂をすればだ」


ドンッ!!


 直後、玄関というか庭先から何かしらの衝撃波のようなものが発生し、家全体を揺らした。

 ビリビリと鳴る窓ガラスや軋む柱にアキは地震かと慄くが、リューはその衝撃波に覚えがあった。

「この感じ……もしかして!?」

「お、 分かるかい?」


 直後、開けっ放しだった玄関先から羅市を呼ぶ声がした。

「有栖様! お迎えに上がりました!」

 レレだった。


「おう! すぐ行くからちょっと待っててくれ! オラおっさん! さっさと行くぞ!」

 羅市は未だに放心状態の大斗をひょいと担ぐと、そのままずんずんと歩き出した。


 玄関先では整えられたメイド服姿のレレが背筋をピンと伸ばし、羅市達を出迎える。

「お早う御座います有栖様。リューさん、アキさん」

 流石は平山家の使用人といったレレの風格にアキは感心し、リューはハッとした。

「羅市さん、まさかレレさんにお父さんをビッグサイトまで送って頂くんですか!?」

「へっへっへ、そーゆーことよ」

「えええ、でもさすがに申し訳ないというか、なんというか……」

「遠慮するこたァ無えって。不死美さんもそうしてやれって事でレレを使いに出してくれたんだし、レレだってヤル気だぜ?」

「え、そうなんですか? レレさん」

 するとレレはポンと胸を叩いて力強く笑ってみせた。

「はい! ここで桃井さんに貸しを作っておきたい……じゃなくて、不死美様に桃井さんより私の方が全体的に優れているとお示ししたい……ではなく、困った時はお互い様という事なのです!」

「は、はあ……?」


 よく分からないがレレのスピードなら余裕で間に合うのは火を見るよりも明らかだ。

 羅市は大斗を軽々背負うと、それを合図にしたレレに跨った。

「四の五の言っている場合じゃねーって事よ。つーわけでちょっくら行ってくるわ」


 まるで近所に散歩にでも出掛ける様な感じだが、アキはその様子に違和感しか感じなかった。

「でも大丈夫ですか? はたから見たらめちゃくちゃ纏まりのない3人組なんですけど……」

「あン? がって事かい?」

「だってひとりは海賊みたいなおっさん、もうひとりは着物の美人、さらにもうひとりは箒……っていうかメイド服の赤髪美少女でしょ?」

「あァ、それなら大丈夫っぽいぜ? 現地むこうじゃそういう感じのコスプレがうじゃうじゃ居るらしいから、むしろ馴染むとか何とか、桃井さんが言ってたよ」

「そ、そうなんですか? ……うーん、俺にはコミケがよく分からん……」


 兎にも角にもふわふわと上昇するレレ

 リューは羅市達に手を振り、声を張った。

「お父さんをよろしくお願いします! このお礼はいつか必ず!」

「はっはっは! そんなのいーって事よ。それよりも……」

 羅市は意味深な笑みを浮かべ、言った。

の大晦日だな! 存分に楽しみなよ!」

「……へ?」

「じゃーな少年少女! 良いお年を〜!!」

 

 バンッッッ!! と、衝撃波。


 そして羅市達はソニックブームを残し、飛び去って行った。


「……」

「……」


 急に静けさを取り戻した一之瀬。

 その静かさが余計に羅市のひと言を浮き彫りにした。


「ふたりっきり……っ」

 リューは口端から零れ落ちた言葉をすくい上げる様に口元を抑えると、それを誤魔化すように笑った。

「さ、さぁ、朝ごはん食べちゃいましょうか! 残りの大掃除もしなきゃだし、今日は忙しいですよ〜」

「そ、そうだな。頑張らないとだな!」

「そうですよ、あはは」

「だな、あははっ」


 爽やかに笑い合うリューとアキだったが、やはりどこかぎこちない。

 それは言うまでもなく、ふたりが同じ事を考えていたからだった。


(ふたりっきり……だよな)

(ふたりっきり……ですね)


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