第197話 私は心からあの人を

 そして時間は元の流れに戻る。



 円を見送り、虎子と峰が門の前で何かを話しているのを横目に、リューは屋敷の中へと戻った。


 刃鬼からリューに、直接話があるというのだ。



 だが、当の刃鬼はそれをできれば話したくないと思っていた。

 内容うんぬんではなく、自分がその役をやりたくなかったのだ。

 本当のことを言うと、虎子からリューにを話して欲しかった。


 だからそれを虎子に告げると、

『いやいや、そこは会長である刃鬼おまえが言うべき事だろ~っつーかリューが納得しなかったときにはっきりとモノが言える会長という立ち位置のお前以外誰がやるんだよ。大体、やりたくないからって私に振ってくるのやめてもらえませんか?』

 と、ひろ○きっぽく断られてしまったから仕方がない。


(胃が痛い……)

 刃鬼は深呼吸をしてから執務室の扉を開けた。

「ここで話そう。ささ、入って入って」

 刃鬼はリューを執務室奥の応接スペースへと案内し、リューは言われるがままにソファーに腰を下ろした。


 途中までついてきた澄はここでサヨナラといった感じでリューに手を振っていたが、その様子は何処か応援するような、頑張って! 的な表情だった。

(……澄は何かを知っているんでしょうか??)



「何か飲む? リューはコーヒーより紅茶だったね」

 刃鬼はどこかよそよそしく聞くと、内線電話を厨房へ繋ぎ、コーヒーと紅茶を注文した。

(会長の様子がおかしいです……)

 リューも刃鬼のそわそわ感を肌で感じていたが、もうこの段になってしまえば後戻りはできない。

 刃鬼の緊張につられそうなリューだったが、彼女はそれをぎゅっと噛み締めて《その時》を待った。



 程無くして飲み物がやってきたが、刃鬼とリューはよそよそしい空気のままだった。

「……」

「……」

「あの、会長」

「な、なにかな?」

「……」

「ど、どうしたの?」

「アキくんの事ですか?」

「っ!」

「お話って言うのは、アキくんの事なんじゃないんですか?」

「そ、それは……」


 的中だった。

 刃鬼は考えていることのど真ん中を射抜かれたような気分に息を飲む。


「……実はそうなんだ、リュー」

 刃鬼は観念し、身を乗り出すようにほんの少しだけ浅く座りなおした。

「話っていうのは、アキくんの事なんだよ」

「……はい」

「今回の決闘、アキくんは円に勝った。会則に則った正式な決闘で、アキくんはあの蘭円を相手に真正面から挑み、勝ったんだよ」

「はい」

「これは並大抵の事じゃない。リューならわかるよね?」

「……はい」


 刃鬼は立ち上がり、デスクの上に飾ってあった若き日の仲間たちを収めた写真立てを手にした。


 写真の中の自分刃鬼、大斗、雪、そして秋一郎は肩を寄せ合い、笑っている。


 今は亡き戦友とも

 その息子が、運命の輪の中に飛び込もうとしている。 

 そしてその背中を押すのは、紛れもなく自分だ。

 それでいいのか……刃鬼はずっと迷っていた。

 しかし、それすらもまた運命なのではないか。

 抗えない運命……『宿命』だと、今はそう思う。

(秋一郎……)

 刃鬼は写真をじっと見詰め、そして覚悟を決めた。


「リュー、単刀直入に言うよ。アキくんは『来年1月1日を以て正武人に昇格』が決定したんだ。理由は正武人昇格の最有力候補だった円を正規の決闘で下した事と、他の武人からの推薦だ」

「……推薦?」

「護法先生と虎子、そして会長の推薦だ」

「それは……それは、それは」

 リューはふっと表情を崩し、

「武人会TOP3の推薦とは……すごいですねぇ」

 と笑った。


 刃鬼の予想とは裏腹なリューの表情に、彼は今が好機と畳み掛けるように言った。

「アキくんは秋一郎の影響も何も関係無く、実力で正武人の座を勝ち取ったんだ。それはとても立派な事で……」

「勝ち取ったかどうかは、わかりませんよ」


 リューの言葉はどちらかと言うと否定的ではあったが、声色は穏やかだった。


「……すみません。言葉が足りませんでした。正しくは、『勝ち取りたかったかどうか』ですね」

 リューはいつものように穏やかに、でも少し困ったような笑顔をしていた。


「アキくんはそれを知ってるんですか?」

「いや、まだ寝てるからね……目が覚めたら、常世さんから伝えてもらうよ。彼の師匠だからね」

「そうですね。……それにしても、常世さんがアキくんのお師匠さまだなんて。春には考えもしませんでしたね」

 リューはクスクスと可笑しそうに笑った。

「……私はアキくんがどんな判断をしても、それを応援します。本当を言うと、アキくんが戦うのは反対だったんですが、今回の決闘で考えが変わりました。アキくんは秋一郎おじさんの抱いていた想いというか、意志というか、そういうものを受け継いでいるんじゃないかって、そんなふうに思うんです。根拠はないんですけどね」


 リューはとても落ち着いていた。

 刃鬼が考えていた様に取り乱したり、頑なになったりはせず、とても柔軟に事の成り行きを見つめていたのだ。


「会長はそれを聞いた私が『アキくんが武人なんて断固反対!』って大騒ぎしちゃうかもって思って、わざわざこうしてお話をしてくださったんですよね?」

「……お見通しか。まいったなぁ」

 刃鬼がバツの悪そうな苦笑を浮かべると、リューは刃鬼に深く頭を下げた。

「ありがとうございます、有馬会長。でも、私は大丈夫ですよ。アキくんはすごい人です。私は、アキくんを信頼しています。だから、大丈夫なんです」 

 リューの優しく穏やかで力強い笑顔に、刃鬼は胸が熱くなる思いだった。

「……成長したねぇ、リュー」


 勇次との武人対決、そして魔琴との奉納試合、そしてアキと円の決闘。

 リューは数々の経験を経て、驚くほどに成長していた。

 武人としても、もちろん『人間としても』だ。


(いつの間にか大きくなっちゃって……僕らの取り越し苦労だったね、虎子……)

 刃鬼は少しだけ自分を笑うような笑顔を浮かべ、コーヒーカップに口をつけた。

 リューも同じ様に紅茶を一口飲み、唐突に姿勢を正した。


(……?)

 突然ピンと張り詰めた空気に刃鬼が首を傾げると、リューは真剣な顔と声で言った。

「有馬会長。実は、私からもお話が……」

「な、なんだい突然?」

「話というか、相談というか、お願いというか……」

「うん? 遠慮せず、なんでも言ってごらん」

 それを聞いたリューは一度深く呼吸し、決心したように口を開いた。


「私、呂綺乱尽に会ってみようと思うんです」

「………………」


 え?


 少し遅れて、刃鬼の間の抜けた声が執務室に静かに木霊こだました。


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