第195話 神は望む
それは昨夜の出来事。
アキの容態は落ち着いていたものの、念の為医務室で峰の診察を受け、今は深く眠っているという。
リューは「心配なので私も医務室で寝ます!」と言って聞かなかったが虎子が「ベッドはひとつ、だがそれがいい!!」とか「姉として私は一向に構わんッ!」等と適当にイジってリューを赤面させ、なんとか諦めさせた。
(相手を想う気持ちは尊く大事だが、コントロールは重要だ……若者は往々にして突っ走ってしまう)
かく言う私もそういうトコあったなーと思いつつ窓の外に目をやれば、雪がちらつき始めていた。
時刻は零時を回り、流石の武人会本部も静かだ。
こんな静けさの中、虎子は「芙蓉」に会うために医務室へ向かっていた。
(流石にもういないかもしれないが、まだ探していないのはあの部屋だけだ……)
そして医務室へ向かう途中、長い廊下の正面から刃鬼が足早にこちらへと向かって来ていた。
「よう刃鬼。まだ仕事か?」
「や、やあ虎子。も、もう仕事は済んだよ。こ、これから屋敷に戻って休むつもりなんだ。ハハハ」
刃鬼はどこか慌てているというか、ソワソワしていた。
「……ん?」
その時、刃鬼の
「なんだよ刃鬼、なんかよそよそしくない?」
「べ、別に?」
「ん? そのバインダーは何だ?」
「コレはアキくんの……いや、何でも無いよ! ただの資料だよ! 資料!!」
「怪しいな……武人会の裏帳簿か?」
「違う違う! そ、そんなことよりキミこそこんな時間まで何をしてるんだい?」
「私か? 私は芙蓉……」
虎子の唇が中途半端な状態で止まった。
刃鬼の背後に『峰』が立っていたのだ。
この長い廊下、突然現れるにしては手の込んだ仕掛けがあったとしても無理がある。
「……彼女に用があってな。じゃあな刃鬼、オヤスミ……」
虎子はすれ違いざまに刃鬼の肩をポンとたたき、その手をそのまま峰に向け、にこやかにその手を振った。
「よう、お疲れ。アキが世話になったな」
峰は特に何も言わなかったが目礼するような態度を示した。
虎子はちらりと背後を見やり、刃鬼が去って行ったのを確認してから言った。
「……お前が今、ここに居るということは私の言いたいことが分かっていると解釈しても差し支えないよな?」
「……」
芙蓉は答えない。
虎子はそれを了承の沈黙と捉えた。
「話してもらうぞ、いろいろとな……」
ふたりは本部のロビーへと移動した。
何処かの部屋が好ましいが、虎子としては出来るだけ広い場所が良かった。
その方が万が一の事態に対応しやすいと考えていたからだ。
誰かに聞き耳を立てられる恐れもあったが、虎子は可能な限り広範囲に渡って気配を探り、辺りに誰もいないことを確認。もし、誰かが近づいて来ても自分の敏感さならすぐに気がつけるという自信もある。
「ここでいいか?」
虎子が訊くと、峰は頷いた。
だからふたりはソファーに並んで座り、何気ない会話をするように話を始めたのだった。
「……とは言え、こうしていざ話をしようとなると、逆にその糸口が見えないものだな」
「……」
「実はな、本部に戻ってすぐにお前の事を調べさせてもらった。私はこれでも刃鬼と同程度の権限を与えられているんでな、武人会のデータベースをちょいとばかり覗かせてもらったんだ。なぁに、基本的な情報の範疇さ。スリーサイズと体重は見てないから、個人情報うんぬんとカタイことは言うなよ?」
「……」
「……やりにくい奴だなぁ」
虎子はため息をつき、ズボンのポケットからちいさなメモを取り出し、内容を読み上げた。
「名前は『
「……羨望? 私などそんなモノに値しない……」
意外にも『峰』は反応を示した。
ただ、それは謙遜というより拒絶に近かった。
(ほんの冗談のつもりだったが……頭が良すぎてジョークのわからない手合いかな?)
虎子はいつものおふざけのつもりで言ったのだが、峰の反応は真剣だった。
(だとしても、この自己肯定感の低さは気になるな。これほどの美貌を持ちながら、しかも……)
『神』なのに。
虎子はふぅ、と強めのため息で気持ちを切り替えた。
「なぁ峰。私とお前は500年前に関係があったはずだが、私はお前の事を名前以外はほとんど覚えていない。『ああ、そう言えば神っぽいヤツがいたなぁ』程度の記憶しかないんだ。なぜお前が突然現れ、しかも皆が皆お前の嘘のプロフィールを頭から信じて、私だけがその輪から外れているのかも分からない。お前はなんのためにこんな事をした? お前の目的は何だ?」
「……目的? 目的は、和平の実現……」
「では、なぜ平山と別行動をする?」
「……」
峰は答えなかった。
この流れで言葉に詰まる理由は無いだろう。
ただ、虎子には峰の閉ざされたその薄い唇よりも屈辱に潤む瞳の方が気になった。
「……私の記憶ではお前は『神格』だったはずだ。それは確かか?」
「そう。でも、それは過去の話……」
「過去の話? よくわからんが、だからといって平山がお前の『頭を撫でる』のは不自然だ。私がお前ならブチギレる場面だぞ」
「……」
峰は答えない。
その伏し目がちな瞳を更に伏せ、今にも泣き出しそうだ。
「……もしかして平山の事、嫌い?」
「……」
「絶対誰にも言わないから。言ってみ?」
「……」
「どうした? もう眠い?」
「眠くない」
「コーヒー飲むか?」
「飲まない」
「紅茶の方がいいか?」
「どちらかと言えば」
「紅茶派か。マヤは紅茶が好みなのか?」
「わからない」
「マヤと言えば平山も紅茶が好きだからな……そうだ、あいつの好きな銘柄はなんだったかな?」
「……」
「……」
「……」
「……悪かったな。この話はもうやめよう」
虎子は苦笑いで場の空気を誤魔化し、ソファに背中を預けて再びため息をついた。
今度は深く、静かなため息だった。
(平山に関しての質問には答えなかったな……)
虎子にはそれが偶然とは思えなかった。
不自然にすら感じていた。
不死美と峰の関係性も謎だ。
何であの時、不死美はあんなにも峰を見下した態度を取ったのだろうか。
そもそも、自分達の神格相手にそんな事が許されるのか? 普通なら有り得ない事ではないか。
(分からない……分からない事だらけだ)
虎子がその姿勢のまま腕を組んで目を瞑っていると、峰は呟くように言った。
「……確かに言えることは、私はヒトとの共存……和平に賛成。突然お前たちの前に現れた事に上手く説明は出来ない。今が好機だと、今しかないと思ったから……その為に人々の記憶を操作したのは申し訳なく思っている」
それだけ言うと、峰は再び口を閉ざした。
だが、息が少し上がっている。明らかに呼吸が深いのだ。
その様子を虎子は訝しんだ。
(なんか、すごく一生懸命喋ってるな……)
とはいえ、妙な
(言葉を選んでいるのか? だとしたら何故?)
次から次へと湧いてくる疑問。虎子はこの問題の整理には相当な時間と労力が必要だろうと考えるだけでため息がでたが、同時に気がついたこともあった。
「……記憶を操作したと言ったな?」
「言った」
「お前、マヤの神だよな?」
「先程、それは過去の話だと」
「でも、マヤはマヤなんだよな?」
「それがなにか」
「宝才は使えるのか」
「使える」
「お前が皆に使ったのは蓮角の宝才じゃないのか……?」
峰はふっと顔を上げて虎子を見た。
虎子から突如湧き上がった殺気に反応したのだ。
「宝才は夫婦の契りを交わすことで共有できる能力だ……その契りとは、シンプルに言うと1つになることだ。心も体も1つに……つまり、アレだよ、アレ。そうだよな?」
「……龍姫?」
「つーことは、お前はアレか、藍殿とアレをしたのか?」
「してない」
「嘘を言うな……そうだ、思い出したぞ。山で感じたあの記憶にかかった靄のような感じは蓮角の宝才特有のモノだ。お前が使ったのは蓮角の宝才だろう!」
「龍姫、お前はなにか勘違いをしている」
「あ、わかったぞ……お前は神という立場を利用して嫌がる藍殿を無理矢理……!」
「待て」
「……こンの泥棒猫め!!」
実は嫉妬深くて独占欲の強い虎子は藍之助の事になるとつい頭に血が上ってしまい、我を忘れてしまいがちだった。
「くそう! 何が神だ! わざわざ出てきて何をするかと思えばNTR宣言か!? どんだけ捻くれた性癖だ貴様! 何が和平だ! 正反対の事をしておいてどの口が抜かすかぁぁぁ!」
怒り狂った虎子は深夜だろうがお構いなしに怒号を上げ、峰に飛び掛かってその真っ白な髪を鷲掴みにした。
「や、やめ……痛い痛いっ」
「うるせー! 私の心の痛みに比べれば……藍殿の苦悩に比べればこんなものはぁぁ!!」
ソファーは転げ、テーブルは吹っ飛び、突如始まった真夜中のキャットファイトに気が付かない武人会の面々ではない。
騒ぎに気が付いて飛んできた常世と刃鬼が慌てて止めに入った。
「ちょ、何してんのよ虎子! やめなさい!!」
「な、何が起きたっていうんだい!? とりあえず芙蓉先生を放せ、虎子!!」
「邪魔すんなぁ! 触んなぁ! ……私はなぁ、わたしは……うわああん!!」
ついに泣き出してしまった虎子。
騒ぎを聞きつけ、どんどん人が増えてきたが、虎子は構わず衆人環視の中で号泣した。
「虎子!? な、なんで泣いてるの? ホントに何が起きたっていうの?」
「蓬莱ぃぃ、聞いてくれぇ……この白髪の泥棒猫がなぁ、わたしの藍殿をなぁ、無理矢理押し倒して……」
「なんでもない」
そう言ったのは峰だった。
「……なんでもない。だから皆、戻りなさい」
するとどうしたことだろう。
それまで騒然としていたギャラリーたちが何事も無かったかのようにその場を立ち去り始めたのだ。
「な、何だと……?!」
流石の虎子もこの異様な光景に慄く。
そして常世や刃鬼までもがそそくさと退散していくではないか。
「え、おい蓬莱、刃鬼!?」
虎子の呼びかけも虚しく、彼らはあっという間にひとり残らずいなくなってしまった。
そして元の通り、誰もいなくなったロビー。
峰はソファーとテーブルを元に戻し、元のように座った。
「龍姫。お前は勘違いをしている。お前の考えているような事は無いから、安心して……」
「こ、これは……」
明らかな記憶操作だ。認識の改ざんと言ってもいい。こんな事が出来るのは……
「これが私の宝才」
峰は小さいながらも、確かな声色で言った。
それを確かめるように、確かなモノにするように、宣言するように、彼女は言った。
「『
「ほうぼう……?」
峰は頷いた。
「これは、願いを叶える宝才……」
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