第194話 ずっとあなたが好きだった

 決闘翌日。

 昨晩からの雪は早朝にはんだものの、やはり積雪は多かった。


 こんな朝は有馬流の門弟たちが雪かきをするのがしきたりなので、帰り支度を済ませた円を見送るために刃鬼と澄、そしてアキの付き添い(アキはあれから眠ったままなので)として有馬家に泊まったリューと虎子が門の前に来る頃には、すっかり雪かきは終わっていた。


「お世話になりました」

 円は刃鬼に深く頭を下げた。

 そこには一宿一飯の礼はもちろん、武人会の一員として、そして正武人昇格目前にしてに応えられなかったひとりの識匠としての謝罪でもあった。


 普段から気位が高く、少し横柄な円がこんなふうに真摯な態度だと余計に誠意が感じられるというものだ。

「いいんだよ。僕たちは家族みたいなもの。このくらいは当然さ」

 だから刃鬼は笑顔でそれを制し、彼の肩を励ますようにポンポンと叩いた。

「またおいで。いつでも歓迎するよ」

「……はい」

 円は涙声で応え、もう一度頭を下げた。


「まどか……」 

 澄が囁く様に彼を呼ぶ。

「澄……」

 円はどこか不安げな澄の瞳をまっすぐに見て言った。

「僕は許嫁だのなんだの、そんなもの関係なく、澄が好きだよ」

「……」

 澄は何も言わずにそれを最後まで聞き、受け取った。

 そして、胸の奥に大事に仕舞った。

 円はその仕舞われた想いがもう実らないことを承知の上で、心からの告白をしたのだ。

 だから、これでいいと納得していた。

「……僕は、澄が幸せになってくれればそれでいい」


 彼は満足そうに笑んでいたが、澄はやはり不安そうだ。

「……なんだ? その心配そうな顔は。あのな、僕はこれでもモテるんだぞ? なんせエリート街道まっしぐらなんだからな!」

 そう言って円が普段通りの強気な態度を見せると、澄は幾分安心したように表情を崩した。


 そこへ有馬家の車がやってきた。

 運転席に藤原が座っている事に気が付いた澄。藤原がぺこりと会釈すると、円がそれに応えて会釈した。

 つまり、藤原は円のためにここへ来たのだ。


「……武符術で帰らないの?」

「ああ。国友との戦いで力を使い果たしたみたいなんだ。完全回復にはもう少しかかるから、今は無理せず新幹線で帰るよ」

「じゃあさ、コレ……帰りに食べてよ」

 澄は円に風呂敷で包んだ小さな箱を手渡した。

「おはぎだよ」


 おはぎは澄の得意料理だ。

 むしろ、まともに作れるのがおはぎだけという説もあるが、そのおはぎの美味さは仁恵之里では有名だった。

 自分のために早起きし、この小さな手でひとつひとつ丁寧におはぎを丸めてくれたのかと思うと、円の瞳が熱くなった。


「ありがとう」

 円はこの涙は零すまいと必死に堪え、泣き顔を無理やり笑顔に変えた。

「じゃあな、澄」

 円は澄に背を向け、その場を去る直前。

「…………春鬼さんになら、安心しておまえを任せられるよ」

 円は振り返らずに、そう言い残した。

「えっ?」

「……」

 円は唖然とする澄をそのままに、車へと向かった。

(円、まさか最初から全部気づいて……!)


 「ま、まど……」

 澄は『何か』を言い掛け、めた。

 それがどんな言葉かは自分でも分からない。分からなかったが、どの様な言葉であれもう意味をなさないだろう。そしてそんなものは単なる不純物にしかならないだろう。

 それが分かっていたから、澄はそれ以上何も言わなかった。


 そして藤原が円を出迎えるように後部座席に回ってドアを開け、円が座席に着く直前。

「リュー」

 円がリューを呼んだ。


「はい、なんですか?」

「お前のカレシ、強かったぞ」

「…………ふぇっ!? な? はぅ、え、えっと……」


 不意打ちのイジリに赤くなってあわあわするリューを見て可笑しそうに笑う円。

(ま、国友が澄とつきあってないことなんて最初から分かってたんだけどな……)


 そのくらい、リューとアキの仲はでは有名なのだ。

(じゃあなんであのままの流れで国友と決闘までしたんだと言われれば……自分でもよく分からないな)


 それはまるで姿の見えない何者かにコントロールされているような感覚だった。

(というより、そうなることが決まってたみたいな……妙な感じだったな。なんていうか自分の意思とは関係なく、思考に靄がかかったような……)


 ふと、円の視線に『芙蓉』の姿が映った。

 芙蓉が円に向かって会釈すると、彼はつられたように頭を下げた。

 その瞬間、それまで考えていたことが忽然と消え去り、何を考えていたのかすら思い出せなくなってしまった。

(……まぁ、いいか。どのみち結果は変わらないんだから……これもってやつかな)


 円は自分を笑うように、ふっと軽く笑った。

「……国友によろしくな」

「は、はい! 伝えます! 円も、お元気で!」

「ああ、じゃあな」

 そして円は軽く手を振り、車に乗り込んだ。


 虎子はその様子に目を細めつつ、横目で芙蓉を見た。

 芙蓉は静かにそこに佇む。

 ずっとそこにいたような存在感すらある。

「……」

 虎子は芙蓉に、これといった反応はしなかった。

 リューや澄たちも芙蓉についてノーリアクションな事から、彼女が『最初からそこに居た』という事にのだろうと理解していたのだ。


 円が座席に着き、ややあって車は静かに出発した。

 澄は手を振りながら車が見えなくなるまで円を見送り、それを見詰めるリューはなんだか切ない気分だった。

「……澄」

 小さな澄の背中がどこか寂しそうに見えたリュー。

 励まそうと声をかけるが、澄はくるりと振り向いてニヤリと笑った。

「な、なんですか?」

 予想と裏腹な澄の笑顔にたじろぐリュー。

「リューさぁ、さっきの、否定しなかったね?」

「っ!!」


 早速リューをイジる澄は元気一杯で、リューの心配なんて初めから必要なかったんだよ、とでも言いたげだ。

 でも、それも外見だけ……内心は複雑な心境なんだろうと、リューは分かっていた。


「やっぱりぃ、リューはアキのこと彼氏だって認識なんだぁ〜」

「ちょ、す、澄……からかわないで下さい!」

「あら? やっぱ否定しないんだぁ」

「え、だ、だ、だからそれは……もう、澄ったら……」


 刃鬼はそんなリューの横顔に一抹の不安を覚えたが、どうしても伝えなくてはいけない事だと気を取り直し、彼女に声をかけた。

「リュー、ちょっといいかな?」

「は、はい? なんでしょうか」

「ここじゃ、ちょっと……僕の執務室で話をしたいんだけど、いいかな?」

「構いませんが……そんなに大事なお話なんですか?」

「うん、まぁ、かなり……」


 どんな話なんだろうかとリューは緊張するが、刃鬼の表情に切迫感は無い。むしろ不安そうな、心配そうな表情だ。

(な、何なんでしょうか……余計に怖いです!)


 咄嗟にリューは虎子を見た。彼女の指示を仰いだのだ。

 すると虎子はこくんと頷いた。

 それは姉として、と言うより師としての「命令」に近い頷きだった。


 それを受け、リューは刃鬼に視線を戻して頷いた。

「分かりました……」


 そして刃鬼とリューは屋敷の方へと歩いていった。

 澄もそれに続いたので、門の前には虎子と芙蓉のふたりきりとなった。


 彼女達はしばらくそのまま特に会話などせず、黙って門の前で竚んだ。

 ふっと風が吹き、芙蓉の白い長髪がさらさらとなびく。

 雪の照り返しが芙蓉の白い髪に反射して眩しいくらいだ。

 光の束のようなそれは、まさしく神々しい。


芙蓉ふよう みねか……『峰』、と呼んでいいか?」

 沈黙を破ったのは虎子だった。彼女の言うそれは、芙蓉のフルネームだ。

「……」

 しかし、『峰』は答えない。

「それとも須弥山芙蓉宝望天狐……縮めて天狐てんことでも呼ぼうか?」

「……」

 これにも答えないと思ったが、

「……『峰』がいい」

 と、小さな声で彼女は答えた。

「では、峰。昨日は悪かったな」

「……?」

「髪だよ髪。引っ張って悪かった」

「……構わない」



 昨夜、虎子と峰はをしていたのだ。

 その際、虎子は峰の白い長髪を鷲掴みにしていた。虎子はその事を言っているのだ。


(いや〜、久し振りにマジになってしまった。結構抜けていたけど……まぁ、あれだけ髪あるし、大丈夫かな……)

 虎子は昨夜、峰の髪を思いっきり鷲掴みにした際に感じた『ブチブチブチ!!』という感触を思い出し、とても申し訳ない気分だった。


 はぁ、とため息をつき、反省する虎子。

(しかし、まさか峰の能力がだったとは……)

 虎子は虚空に目をやり、思考を巡らせる。


 思い出していたのはだった。


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