第180話 特訓開始!!

 翌朝、午前5時。

 アキと常世は神社の境内で向かい合って立っていた。


 『修行の間はを着用せよ』との事で常世から渡された訓練用の迷彩服は見た目より薄手で、夜明け前の寒さがアキを容赦なくさいなむ。

「さ、寒っ……」


 カタカタと奥歯を鳴らすアキを見て常世は肩をすくめ、「情けないわねぇ」とその貧弱さを一蹴した。

「さ、さ、さ、寒くないんですか、常世さん……」

 常世も同じ服を着ているはずなのだが、彼女は普段と何も変わりない様子だった。

「この程度の寒さで行動不能なんて有り得ないわよ。あと、敬語は禁止って言わなかったっけ?」

「き、急には無理ですよ……」

「そう? じゃあ軽くスキンシップでもして、もっと仲良くなりましょう」

 常世は側に置いてあった大きなバッグから空手の組手稽古で使用するような『面』と『胴』……つまり、防具を取り出した。


「アキくん、あなた東京じゃケンカで負けなしだったんでしょ? その実力、私に見せてくれない?」

 いきなりの申し出にアキは戸惑ったが、彼女の手にした防具を見て「それを使うなら」と頷いた。

「……いいですけど、東京の時の話ですよ?」

「分かってるわよ。仁恵之里ではなんて、言われなくても分かってるって」

「……」


 事実とはいえ、ハッキリ言われると流石に傷付くというか、イラッとしてしまうアキ。

「……本気マジでやっていいんですか?」

「もちろんよ。じゃあ、これを着けてね」

 そう言って常世は手にしていた防具をアキに手渡した。

「え? お、俺が着けるんですか?」

「当たり前よ。訓練前に怪我したら馬鹿みたいじゃないの」


 ……徹底的に舐められまくっているアキ。

『元』とはいえ、東京の地下格闘界アンダーグラウンドで最強王者の座に君臨していたアキのプライドが、その舐め腐った物言いに敏感な反応を示していた。


「……俺はいいです。常世さんが着けて下さい」

 アキの声のトーンがかなり落ちている事から、彼が深く静かに怒っていることは明らかだ。しかし常世はそれすらも逆撫でするように声を弾ませた。

「あらぁ? ホントにいいの? 怪我しても知らないわよ」

「はい。俺も女性を怪我させたくないんで。着けてもらったほうが、こっちも気が楽です」

「優しいのね。じゃあ、遠慮なく……」

 常世は慣れた手付きで防具を着けると、境内の中央にある開けたスペースへと移動し、アキに手招きした。

「こっちへいらっしゃい。ここなら下が土だから、そっちの石畳よりダメージが少なくて済むわ」

 常世は緊張感の無い笑顔を崩さない。

 余程の余裕なのか、それとも単なる挑発なのか……いずれにしてもアキは『元』王者の実力を遺憾なく見せつけてやろうと興奮気味だった。


「ではアキくん。私にあなたのすべてをぶちまけてご覧なさい。全部受け止めてあげるわ……」

 ニヤリと笑む常世の淫靡すら感じる艶笑に惑わされることなく、アキは構えた。

「後悔しても、知りませんよ……」


 ………

 ……

 …


 結論から言うと、アキは常世に全く敵わなかった。

 彼は圧倒的な戦闘能力の差を見せつけられ、そしてボロ雑巾の様に打ちのめされ、一切の見せ場なしで神社の境内に沈んだのだ。

「う、うそだろ……強過ぎる……!」

 もう立つことすら出来ないほどボコボコにされたアキは、微かに呻くことしか出来なかった。



 武力ぶぢからを使うに負けるならまだ分かる。しかし、常世は武人でもなければ識匠でもない。ただの一般人だ。

 にも関わらず、彼女の動きは洗練された一流の格闘家を遥かに凌ぐ素早さと正確さ、そしてその女性的な体からは想像もできないような怪力でアキをぶん殴り、蹴り飛ばし、投げつけ、蹂躙したのだ。

そこに手心の類は微塵も無かった。

(これが、蓬莱流……)


 常世の攻撃は鮮やかさはないが確実性があった。それは正確に敵を倒すために無駄を省き、研ぎ澄ました先にある『強さ』。

 アキは常世の格闘技術に職業プロの技を見たのだ。

 そして、その思いは常世にもぼんやりだが伝わっていた。

(ふぅん、感性センスはまずまずね。でも、他がダメダメだわ)


 アキが消耗しつくして動けなくなるほど激しい戦闘だったが、常世はほとんど息を乱すこともなく余裕綽々で防具を外して「地下格闘のナンバーワンならかしらねぇ」と呟き、最後の最後までアキを舐めきった。

 だが、彼女はアキをある意味認めてもいた。

 だから常世はのだ。


「アキくん。あなたは確かに強いけど、それは『常識』の範疇よ。仁恵之里ではなんの役にも立たないわ。円くんはまだ正武人ではないけど、武人相当の実力を持ってる。だから、このままではあなたは絶対に勝てないわよ」

「……」

「それでもやる? いまゴメンナサイすれば許してもらえるかもよ?」

「……ありえねーだろ、そんなの……」


 アキは吐き捨てる様に言うと軋む身体にムチを打ち、立ち上がってみせた。

「……円に勝てるぐらい、俺を強くしてくれるんだろ? 


 師匠、と呼ばれた常世の瞳が輝いた。

『期待通り』諦めなかったアキの精神力こころは、自分が思っているより逞しいようにも思える。

 彼女は思わずアキを抱きしめたくなったその気持ちをぐっと抑え、力強く頷いて答えた。

「もちろんよ。約束は守るわ」

 と同時に、彼女はほくそ笑む思いでもあった。

(ああ〜、面白くなってきたわぁ……!)





 そしてあっという間に一週間が過ぎ、再び土曜日がやってきた。

 アキのいない一之瀬家ではリュー、大斗、虎子の3人だけで朝食を食べていたが、リューはそれが妙に落ち着かなかった。

(アキくん……今頃どうしてるかな……ご飯、ちゃんと食べてるかな……)


 そわそわと落ち着きのないリューと同じように虎子も落ち着きがなかったが、彼女はそわそわではなくイライラしていたのだ。

「なんかなぁ〜……腑に落ちんなぁ〜……」


 珍しくいらつく虎子。

 彼女が何にイラついているかというと……


「あのあと澄から『アキを怒らないであげて』とか、春鬼からは『国友の気持ちも考えてやれ』とか、まるで私が悪者のようなメールが送られてきたんだよ。……私はアキを鼓舞するために一芝居打っただけなのに!」


 イライラしながらパクパクご飯を食べまくる虎子の姿に大斗は呟いた。

「……ツンデレ? いや、違うな……」

「なに? ツンがなんだって?」

「いや、お前をモデルにして新キャラ出してみようかな、と思って」

「お前の漫画にか? やめとけやめとけ。例え1話だけの登場でも人気が爆発してしまってその連載を中断して私が主役のスピンオフを始める羽目になるぞ」

「……やっぱ、やめとこ」


 何気ない日常。

 いつも通りに過ぎていく日々は変わりない毎日だが、そこにアキがいないだけでリューにとっては彩りが欠けた味気ないものに感じられていた。

(アキくん、頑張ってください! そして、早く帰ってきてくださいっ……!)



 そしてその頃、アキは常世にボコボコにされていた。

「……くそっ! まだ勝てねぇ〜!」

 あれから一週間。訓練に明け暮れ、何度も何度も倒され、倒れ、そして倒されまくったアキだったが、この日もやはり倒されていた。


「でも、今のは惜しかったと思ったんだけどなぁ……」

 倒されはしたものの、アキはすんなりと立ち上がって服の汚れを手で払っている。

 常世はその様子に確かな手応えを感じていた。


 この修行も初日から段々とレベルを上げていき、この頃にはかなり激しい訓練内容になっている。しかし、アキは大した疲労も見せずにむしろ体力的な余裕すら見せていた。

(たった一週間でここまで成長するなんてね……)


「……ねぇアキくん」

 不意に、常世は真剣な眼差しをアキに向けた。

「な、何だよ師匠。いきなりマジな顔して」

「もう一度『雷火』を撃ってみなさい」


 有馬家での以来、常世は『雷火に関しての修行』は行わなかった。

 それはアキの基礎的な能力がそのレベルに達していないと判断していたからだ。

 或いは、このまま雷火の修行まで辿り着けないかもしれないとも危惧していたが、アキはたったの一週間でその条件をクリアしてしまったのだ。

 予想を超えるアキのポテンシャルに、常世は決心した。

 やるなら今だ、と。


「今なら雷火が撃てるかもしれないわ。だから、やってみなさい」

「……うん、俺もそんな気がする」


 そして挑んだ2度目の雷火。

「今度こそ……!」

 アキはこの前と同様にライフルを構え、精神を研ぎ澄まし、そして……!!




 ちゅどッッッ!!



 その爆発は再び、そして以前よりも強く近隣県の地震計を揺らし、その爆発は有馬家の庭からもよく見えた。


 刃鬼は蓬莱山の中腹からもうもうと立ち上る黒煙を眺め、呟いた。

「ウチじゃなくてよかった……」

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