第178話 今日からあなたは

『岐阜県 震度3』


 その地震速報は東京の漫画雑誌編集部にいた桃井のスマホにも届いていた。

(震度3……岐阜だけ? やけにピンポイントな地震ねぇ)


 仁恵之里は大丈夫かな? と思いつつ「まぁ仁恵之里なら何が起きても心配ないかぁ」と思い直して彼女はひとりでくすくすと笑った。


 が、しかし。

 仁恵之里……の、武人会本部に限っては全然大丈夫じゃなかった。


 アキの『暴発』は弓道場の屋根を吹っ飛ばす程の威力だった。

 当のアキは大きな怪我こそなかったが、着ていた服はボロボロになってしまっていたし、道場の備品も爆風で滅茶苦茶になってしまっていた。


 銃口を向けられていた澄やリュー、そして出入り口に殺到して結局逃げ遅れた武人達は澄が咄嗟に展開した籠目守りに守られ、間一髪で無傷だったが……澄が吠えた。

「あ、あ、危ねー!! 殺す気かぁ!!」


 如何に百戦錬磨の武人と言えども肝を冷やしたアキの(暴発した)『識』。

 しかし、最も肝を冷やしていたのは刃鬼だった。

「きゅ、弓道場が……」

 茫然自失で屋根が吹っ飛んだ射場に崩れ落ちる刃鬼。

 そこへちゃっかり逃げおおせていた虎子、常世、巌の3人がしれっと戻ってきた。


「いやいやぁぁ、すごいねぇぇ」

 巌は感心するように唸り、常世はどことなく邪悪な感じで微笑んでいた。

「想像以上だわ……」

 虎子はそんな常世に耳打ちをした。

「蓬莱、イケそうか?」

「ええ。彼の識は指向性さえ持たせれば、立派な武器になると思うわ」

「うむ、そうか……」


 虎子は乱れまくったアキの髪や服を手早く整え、彼の肩に力強く手を添えた。

「アキよ。やはりお前には素質がある。蓬莱のもとで技を磨き、澄のために戦え。それはお前になら出来る。そしてお前にしか出来ない事だ」

「……」


 しかし、アキの表情は暗かった。

「……無理だよ」

「何?」

、見ただろ? こんなんじゃ戦えないって……」

「何を言っているんだ。 初めから上手く出来るわけがないだろう? これからその技を磨いていけばいいじゃないか!」

「いや、でもさぁ……」 

「そのために蓬莱が力を貸してくれると申し出てくれているんだ! 何が『でも』だ? 出来ない理由を探すな! 言い訳がましいぞ!」


 語気が激しくなる虎子。それを受け、アキの語気も荒くなった。


「お、お前みたいに強いヤツには分からねーだろうよ! 相手は戦車並の強さなんだろ? 普通に考えてそんなやつに勝てるわけねーだろ!」

「やってみなくてはわからないだろう! それとも何か? お前は円に恐れをなしたとでも言うのか?」

「当たり前だろ! お前たち武人と、俺みたいに普通の人間はなにもかもレベルが違いすぎんだよ!」

「……貴様! それでも男か! 仲間のために戦えんで、何が男か!!」


 虎子の怒声はその場の空気を飲み込み、誰一人として彼女を止めることが出来なかった。


「アキ、お前は東京の夜の街で無敗を誇っていたそうだな」 

「……もう随分前の話だよ……」 

「お前に挑んだ者たちの事を考えた事はあるか?」

「俺に……?」

「埒外の強さを誇る無敗の王者に挑む。そこには不安や恐怖もあったことだろう。当然、お前に挑む者たちもの奴らがほとんどだったのだろうが、それだけに敗北がその身の破滅に繋がっていた者もいたのではないだろうか。そんな奴らをお前は一方的に打ち負かし続けたんだ……そうか、なるほど。それでは勝負に対して筈だ。お前は勝利に鈍感になり、敗北に敏感になっているんだよ。常勝に慣れ、いつしか『勝てる相手としか戦いたくない』……そんな風に考える様になってしまったのではないか?」

「そ、そんな事……!」

「では今の姿は何だ? 円に恐れをなし、お前は戦わずに済む理由を探している! 違うか!!」

「っ……!」


 アキの言葉が詰まった。

 それが何を意味するか……虎子は聞くまでもないというような顔で鼻を鳴らした。

「……つまらん男だな」


 鬼に対しては別にしても、これほどに虎子が激昂するのは珍しい事だった。

 誰もが一様に沈黙し、そのあまりに辛辣な物言いに澄は当事者として胸が痛かった。

「虎ちゃん! もういいよ……もうやめて。アキは関係ないもん。全部、あたしが悪いんだし……」

 アキを庇うような澄の姿に虎子は肩をすくめ、深いため息をついた。

「私は帰るぞ」


 え、とリューが短い悲鳴のような声を漏らすと、虎子は険しい表情でリューを横目で見た。

「リュー、大斗によろしく伝えておいてくれ」

「え!? 帰るって、ホントに帰っちゃうんですか?」

「ああ。また来週に会おう」

「ちょ、お姉ちゃん?!」


 振り返ることなく去っていく虎子をリューは追いかけようとしたが、巌がそれを止めた。

「今は、そっとしておいてやろうぅぅ」

「で、でも……」

 そしてアキを見やるが、巌は静かに首を横に振った。

「彼もねぇぇ」


 アキは項垂れ、とても声を掛けられる状況ではない。巌は澄にも目配せし、澄もその意を汲んだ。

「アキ、ホントにごめんね……」


 静まり返ってしまった弓道場。

 屋根も吹き飛び、風を遮るものもなく、寒さは厳しさを増していく。

 刃鬼は一旦全員を元の部屋に戻すことにしたが、今のアキにはとても声をかけられなかった。

 リューは何もできない自分がもどかしかったが、今は何もしないことが最善なのかもしれないとも思っていた。


 そうして静かに弓道場を後にする武人達。

 弓道場には無力感に立ち尽くすアキと、それを静かに見つめる常世だけが残された。


「アキくん」

 暫しの沈黙を破るように、常世はアキに声をかけた。

 すると今度はアキが沈黙を破り、常世の顔を見た。

「常世さん、俺に蓬莱流を教えて下さい」


 これは意外だった。

 常世はある程度の説得が必要かと思っていたが、アキは自ら動き出したのだ。

(良くも悪くも単純ねぇ。そんなところも藍之助さんにそっくり)

 そしてアキの瞳の奥底に燃える闘志の炎に、虎子の策略を見た。

(あらら、作戦通りじゃないの。これを見越していたのね、虎子ひめさま……)


 アキの闘志の源は虎子に対する対抗心か、それとも純粋な克己心か……いずれにしても、アキがその気になったことには違いない。

 常世はうん、と大きく頷き、右手を差し出した。

「やるからには秋一郎さんの息子と言えども手加減は一切しないわよ。途中で辞めるのも許さない。でも、私についてこられるなら、あのキノコ頭なんか軽くぶっ潰せるくらいに強くしてあげるわ。覚悟はいいかしら?」

 アキは強い意志を秘めた瞳で常世を見つめていた。

「お願いします!!」

 そしてアキは常世の手を取った。


 すると常世はふっと微笑み、力強く宣言したのだった。

「今日から、あなたは私の弟子です」

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