第二部 九人目の武人

第168話 武人の朝は早い


 仁恵之里祭り・奉納試合。


 あの激闘から数ヶ月……。

 季節は流れ、仁恵之里にも冬がやってきた。


 そんなある冷え込みの厳しいある朝。澄は寒さとはまた別の理由で震えていた。

「あうううぅ……」

 目覚まし時計が鳴るまではまだ時間がある。二度寝を決め込もうと布団を被り直してみたものの、震えは止まらない。

「なんコレ……めっちゃイヤな予感がするぅぅぅ……」

 決して病気由来ではないこの悪寒は、澄の本能が放つ警告メッセージだった。

「なんか、とんでもないことが起きそうな……」



 それは正しい予感……いや、直感だった。


 その頃、東京のとある大学病院にひとりの少年がやってきていた。


 病棟の受付で彼は立ち止まり、若い女性看護師に身分証を提示する。

「……!」

 看護師は身分証をひと目見て息を飲んだ。

(仁恵之里武人会の会員証?!)

 こんな子供が、こんな早朝に……という疑問はこと武人会に関しては無意味だろう。


 その彼の顔つきは中性的で、あどけなさも適度に残した美少年とも言えた。

 そして関東では進学校として有名な私立高校の学生服を身に着けているので、彼が高校生であることは間違いない。


 身長、体格共にごく平均的な高校生男子の粋を出ていないが、その凛とした雰囲気が神秘的でミステリアスな印象を彼に与えていた。


 しかし、そんな彼にも気になる点が一つだけあった。

 それはその個性的な髪型……所謂いわゆるマッシュルームヘアが、彼には事だった。


 韓流スターに見られる『マッシュヘア』とは一線を画すそれはまさにのようなそのフォルム。

 美容師のミスかそれとも本人の注文オーダーミスかを疑うほど、それは『きのこ』だったのだ。


 勿体ないなぁ、もっと他にあるだろ……と、受け付けの看護師が微妙な顔をしてしまうほど、そこだけが残念だった。



「……『あららぎまどか』さん、ですね?」

 看護師は提示された身分証と目の前の少年の顔を検めるように、交互に眺めた。


「はい」

 少年は短く答えると、目つきを鋭くした。

のお加減は?」

 その妙な気迫に気圧される看護師。

「こ、ここひと月はとても安定していますよ」

「そうですか。では、直ぐにでも病室へ」

「ご、ご案内いたします……」


 なんという気迫だろうか。

 女性看護師はこの少年から並々ならない覚悟のようなものを肌で感じる心持ちだった。

(それにしても、こんな子がどうして護法先生に……)

 不可解な点はあるが、彼が【武人会本部発行】の会員証を提示した時点で彼がただの少年ではない事は確かなのだ。


「……こちらです」

 看護師は病室までまどかを案内すると、足早にその場を去った。

 自分には関係のないことであると同時に、この病室にはあまり近づきたくなかったのだ。


 円はその病室から漂う強烈な『識』の気配に息を呑む。

(あの看護師は敏感だな……)

 小走りでその場を離れる看護師の背中を一瞥し、円は再び病室の引き戸を見つめた。


(禍々しさすらあるこの気配……流石は護法家護符術のトップだ。こんなに濃密な識の気配では、並の人間ではてられてしまうな……)

 その引き戸のノブに貼り付けられた護符に向かって円は人差し指を向け、それを素早く『刃で斬るように』横へスライドさせた。


 すると護符は2つに両断され、即座に霧散。

 彼はドアノブを握り、病室へと入った。


 病室は個室だった。

 薄暗く、心拍数や脈拍を記録する機械のモニターの灯りが唯一の光源だった。

 というのも、電灯はおろか光の入る窓という窓は護符で目張りされ、一筋の光すら遮っていたのだ。


 円はベッドの上に横たわる大きな円筒形の物体に話しかけた。

「ご無沙汰しております、護法先生」


 円筒形の物体……その表面にはびっしりと護符が貼り付けられ、ある種の『棺』のようにも見えた。

 大きさは2メートルを優に超え、幅も1メートルはあるだろう。

 その正体不明の物体に様々な計器から延びるケーブルは繋がれており、それぞれの計器はつまりその棺の中の『何か』をモニタリングしているのだ。


『……円かぁぁぁい……』

 その円筒形の棺から、呻くような声が響いた。

『久しぶりだねぇぇ……』

「はい。五年ぶりです」

『こんな辛気臭いところに何をしに来たんだいぃぃ』

「先生。僕は今日、16歳になりました」

『ほうぅ? それはおめでとうぅぅ。それで? プレゼントでもねだりに来たのかいぃぃ?』

「プレゼント……そうですね。頂戴できるのなら」

『何が欲しいのかねぇぇ?』

「……ご息女を……『澄』を、頂きたく存じます!」



 沈黙。

 薄暗い空間に計器類の音だけが静かに響く……しかし。

『エフッ!』


 その短い声は、どこかで聞いたことのある……アルファベットの『F』をそのまま読んだような、しかしそれが『笑い声』だと分かる『F』だった。


『……そうかぁぁ、そういうことかぁぁぁ』

「先生。僕と澄の結婚のお許しを!」

『待ちなさぁいぃ……』

「もう待ちました。何年も、何年も……僕はこれから仁恵之里に向かいます。そして!」

『ならばぁ、俺も行くッッ!』

「……っ!?」


 瞬間、窓に目張りされていた護符がばらばらと剝がれ始め、円筒形の物体からも護符が流れ出るように剥がれ始めた!

 計器類は一斉にアラームを発し、看護師や医師が病室になだれ込んで声にならない悲鳴を上げた。

 それはもう泣こうが叫ぼうがどうにもならない状態だったからだ。


 彼らの目の前には一人の少年と、一人の筋骨隆々でしかもやたらとデカい『老人』が居た。

 老人はその長い白髪と白い髭、そして年季の入った皺が刻まれた顔の様子から『老人』と分かるだけで、その体つきは若者にも勝るとも劣らない見事な筋肉達磨であった。


「ぶふぅぅぅ……」

 老人は大型の重機が排気するように息を吐くと、ゆっくりベッドから降り立った。

 医師たちは止めようとするが、誰もが足が竦んで動けない。

 それほどの重量感と圧倒感がその老人にはあったのだ。


 しかし円は別段態度を変えることなく、その老人にそっと語りかけた。

「先生、お体に障ります。そのままお休みください」

 しかし、老人はふふ、とそれを鼻で笑った。

「もうこれ以上は何をしても無駄さぁぁ……。どのみち一年ももたぬ命。ならば、最後の最後ぐらい楽しまねばねぇぇ」

「……」

「心配無用さぁ。それに、キミと澄がどうなるかをこの目で見届けたくてねぇぇ」

「それでは、結婚のお許しを頂けるのですね?」

「決めるのは澄さぁぁぁ」

「……そのために仁恵之里へ?」

「もちろんそれだけじゃないよぉぉ。護法家護符術総帥として……いや、ひとりの人間、『護法 いわお』として、やらなければいけないことがあるんでねぇぇぇ」


 その老人……護法巌はクローゼットから着流しを取り出し、それを身に着けると未だに震える医師たちに頭を下げた。

「先生方ぁぁ、今日まで世話になったねぇぇ。私はねぇ、これから仁恵之里へ向かうよぉぉ」

 医師の一人が震える声で巌に問うた。

「い、今からですか? しかし護法先生、どうやって……」

「このベッドを頂いていくよぉぉぉ」

「……はい?」


 巌はついさっきまで自分が寝ていたベッドを軽々と持ち上げると、広い窓に向かってそれを構えた。

「仁恵之里はこっちの方角だねぇぇぇ。三十分で着くかなぁぁ?」

「護法先生、おやめください」

 円は冷静だった。

「そんなことをしても『お前は桃白白タオパイパイか!』と突っ込んでくれるのは恐らく虎子だけでしょう。澄はきっと呆れます」

「……洒落のわからないところは変わってないねぇぇ」

「洒落になっていませんので」


 巌はベッドを下すと護符を一枚出現させ、もう一度医師たちに頭を下げた。

「では、失礼ぃぃ」


 そして巌が護符で弧を描くように振るとキラキラと眩い星模様が同じく弧を描き、気が付くとそこに巌と円の姿はなかった。


「……え?」

 医師たちは呆然と、突如消えたふたりを探すように視線を迷わせたが、その頃には巌と円は既に仁恵之里に居た。


 護符術による瞬間移動――!


 だからそれと同時に仁恵之里の全武人に衝撃が走った。

 途轍もない大きさの気配の唐突な出現……しかもそれがふたつという突拍子も無い事態に、彼等武人の本能が反応したのだ。


 折しも朝食時。

 リューはその濃密な気配に箸を止め、一点を見つめた。

 何事かとアキはリューを見やるが、彼女は微動だにしない。

「どした? リュー」

 アキが声を掛けると、リューはようやく反応を見せたが、その表情かおにはまるで信じられない物事へ直面したような、そんな驚愕が見て取れたのだった。


の、お帰りです……!」


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