第167話 ようこそ仁恵之里へ
そして夏休みが終わり、新学期初日。
アキとリューは学校へと続く長い長い坂を並んで
夏休みの間、有馬道場での稽古で体を鍛えていたアキはこの長い坂がそれほど苦にならなくなっている事に驚いた。
「まぁ、あんだけ鍛えりゃあな……」
ほとんど回復していたのに昨日まで病院で退屈をしていたアキ。久しぶりの運動で気分が良くなり、思わず歩みも軽くなる……。
すると、背後からリューが彼を呼んだ。
「アキくん、待ってください……」
リューは額に汗を滲ませ、この坂を辛そうに上っていたのだ。
「ご、ごめんリュー……やっぱり、まだ怪我が治ってなかったか……」
「怪我は大丈夫なんですけど、体力がまだ戻らなくて」
「ホントごめんな。普通に生活してるから、もう完全復活かと思ってたよ……」
「私もまだまだということですね」
そう言って、リューは苦笑した。
「……ほら、カバン持ってやるよ」
「いいんですか? ありがとうございます」
いつものリューなら遠慮しそうなものだが、リューは素直にアキの言う事を聞いた。
元気なように見えて、それほどまでに彼女は消耗していたのだ。
「……やっぱ休んだ方が良かったんじゃないのか?」
アキは言うが、リューはぷるぷると首を振った。
「だめですよ。ただちょっと体力が落ちてるだけです。これくらいで休んでいては……っ?!」
ふらり……リューの体がふらついた。
「リュー!?」
アキはとっさにリューを抱きとめた……が、
「あ、アキくん……!」
「大丈夫か?」
「は、はい。大丈夫ですけど、あの……」
リューが何かを言い淀んでいる。
何故かと周りを見れば、登校中の他の生徒達が冷やかすような視線でリューとアキを見つめているではないか。
そしてその中でもひときわ小さな女子が何かを訴えかけるような顔でスケッチブックをこちらに向けている。
「ただの変態じゃなかったのね……」
スケッチブックにはそう書かれていた。
「澄!? こ、これは! その、ちが!」
慌てるアキをしり目に澄はスケッチブックに『いつものことです。どうかスルーにご協力ください』と書いてそれを天高く掲げた。
みんなそんな事は分かっていたらしく、やれやれと言った感じで普段の落ち着きを取り戻したのだった。
「おはようございます。澄」
『オハヨー! リュー。体は大丈夫?』
と、スケッチブックに書く澄。
「はい。しばらく激しい運動は無理そうですが、学校に来るくらいは大丈夫ですよ」
『あんまり無理しないようにね。あと、アキは変態行為を自重するように』
澄はアキの鼻先にスケッチブックを突きつけた。
「してねーし! 大体お前はいつもいつも俺を犯罪者にしたがりやがって! なんの恨みがあるんだよ!」
『面白いからやってんだよー!』
澄は『わっはっは!』と言った風に声を出さずに笑い、校舎の方へと走り去った。
「この、待ちやがれ……っ」
と、アキは澄を追おうと思ったが、止めた。
「……ふん。あとでみっちりしばき倒してやるわ」
リューを置いていくわけにもいかないしな……そう考え、アキはリューと一緒に学校へ向かう事を選んだ。
「リュー、ゆっくりでいいぞ。無理しなくてもいいからな」
「はい。ありがとうございます、アキくん」
そう言うリューの顔は、とても嬉しそうだった。
教室に着くまでにリューは大勢の生徒に声をかけられた。
「試合、すごかった! おめでとうリュー!」
「カッコ良かったぜ一之瀬!」
「感動しました……一之瀬先輩!!」
そのすべてがリューの健闘を称えるものだった。
それらにリューは感謝で応えたのだが、アキにだけぽつりと呟いた。
「そんなつもりはなかったんですけどね……」
リューは何処となく悲しげに目を伏せた。
「別に褒めてもらったり、喜んで貰ったりするために戦ったんじゃないんです……」
戦う理由は人それぞれだろう。リューが何のために戦ったのか、アキには想像しかできない。
本当は、何を思って戦ったんだろう。
しかし、それを訊こうとは思わなかった。
リューにはリューの『理由』がある。
それは彼女だけのものなのだから。
「でも、俺はリューが無事で、本当に嬉しいよ」
アキが言うと、リューの瞳がじんわりと潤んだ。
「アキくん……」
すると澄がダッシュで現れ、
『あ! またアキがリューを泣かせるようなセクハラ行為を!!!』
と書かれたスケッチブックでアキを小突き回した。
「お前は少し大人しくしてろ!」
アキは澄を追いまわし、リューはそれを見ておかしそうに微笑んでいる。
いつもの日常だ。
いつもの日常が帰ってきたのだ。
狂気の夏を終え、今まで通りの毎日が帰ってきたのだ。
……と、アキは油断していた。
始業式は終業式と同様、体育館で行われた。
長時間の起立は体に負担がかかりすぎるとの理由で、リューは椅子に座って式に参加していた。
校長の話が終わり、さぁホームルーム。
終わったら帰って本でも読むかな……
アキはぼんやりとそんなことを考えていたが突然、壇上に刃鬼が現れた。
「えっ!?」
当然、体育館は騒然となった。
「お!親父!?」
「お父様!?」
春鬼と麗鬼が同時に小さく叫んでいる。
ざわ・・・ざわ・・・・!
突然現れた武人会会長。
全校生徒はもちろん、特にこの学校の武人たちは全員が唖然とした。
「え~……仁恵之里武人会会長、有馬刃鬼です。突然ですが、今日は皆さんにとても大切なお話があります」
この仁恵之里では知らない者がいない超有名人・有馬刃鬼がわざわざ出向いて何を?!
全校生徒は固唾をのんで刃鬼の次の言葉を待った。
「先日の奉納試合をご覧になった方も多いと思います。今回の奉納試合はその内容、結果とも非常に素晴らしいもので、未だかつてない感動的なものであったと、私個人は思っています」
きっとみんながそう思っていたことだろう。
熱い視線がリューに集中し、リューは恥ずかしそうに体を縮みこませていた。
「今回の奉納試合の結果を受け、仁恵之里武人会と所謂『鬼側』の代表である『マヤ』御三家は協議を行いました。ご存知の通り、我々人間と鬼とは長きに渡る争いを放棄し、共存を目標とした和平を実現すべく交渉を進めています。今後、お互いのさらなる友好を発展させることを目的として、我々は彼らの『親善大使』を受け入れる事になりました。今日は、その親善大使のご紹介を致します」
壇上の刃鬼の傍、舞台の端で、何か固い物が床を打つ音がした。
かつ、かつ……その音は少しずつ舞台上へ近づいていた。
「ということで、これよりその『親善大使』からご挨拶があります。……それではどうぞ!」
そう言って刃鬼が壇上を離れると、舞台の袖からまず何か棒の様なものが見えた。
それは松葉杖だった。
そして怪我をした右足にギプスを巻いた、ひとりの少女が壇上に姿を現した。
その少女に武人一同は勿論、全校生徒……特にアキ・リュー・澄の三人は言葉を失った。
壇上に現れたその美しい銀髪の少女は、まさに花の咲いた様な笑顔で声を張ったのだ。
「親善大使の呂綺魔琴です! よろしくお願いしますっ!!」
そこにいたのは、紛れもなく魔琴だった。
「今日から仁恵之里高校に『1年生』として編入するんで、そこんとこヨロシクお願いします!!」
澄が一番最初に声を上げた。
「ま! ままままま!!魔琴ォ!?」
そして次に男子生徒が沸いた。
『おおおおおお!』
と、大歓声とガッツポーズで喜びの声が上がったのだ。
実は魔琴の余りの可愛さが評判になり、奉納試合の直後から武人会には問い合わせが殺到していたのだ。
あの子の名前は?
あの子の年齢は?
あの子、インスタとかやってないんですか?
……武人会の電話は鳴りやまず、同様の問い合わせは武人会広報部の業務を圧迫していった。
そこで刃鬼はマヤの御三家を武人会へと呼び、協議した。
魔琴を親善大使として人間界へ派遣し、仁恵之里高校の生徒として生活をさせてみてはどうかと提案したのだ。
不死美 「わたくしは賛成です。魔琴にとってもいい機会ではなくて? 乱尽さん」
羅市 「おもしれえじゃねえか。『可愛い子には旅をさせろ』だぜェ? 呂綺の旦那」
乱尽 「……魔琴の了解を得る」
そう言って乱尽が魔琴に連絡したところ、彼女は即座に闇とともにその場へ現れ、用意してあった書類にサインをした。
「やったああああ!!! よっしゃああああ!!! イヤッホオオウウウ!!!」
歓喜の声を上げ、魔琴は畳の上を転がって喜んだ。
「よし! めでてえ! めでたい時は酒に限るぜ! 呑め魔琴!!」
羅市はいつもの瓢箪をとりだすが、刃鬼はとりあえずそれを止めた。
「あの、人間界では未成年の飲酒はNGなんで……」
先日、常世が神社で確認していた書類は仁恵之里高校編入のための書類だったというわけだ。
「人間とマヤが共に生きる世界か。かつて私が目指し、挫折した夢……」
虎子は呟く。
果たして可能なのだろうか。
自分が成しえなかった夢……
「あの子達なら出来るんじゃないかな? あの子達は、強いから……」
常世は虎子の横で、虎子と同じ風景を見て囁いた。
彼女達は高台にある神社から一望できる、仁恵之里の美しい景色を見ていたのだ。
「というわけで、これからよろしくお願いします! 呂綺魔琴でしたっ!!」
魔琴の挨拶が終わると男子生徒の野太い歓声と喝采が響く。
それを満足げに見つめた魔琴は深呼吸。そして、こらえていたものを爆発させるように声を上げた。
「あっきく~~~~ん!!」
ざっ!!!
と、全校生徒(特に男子)の視線がアキに集中!
魔琴は壇上から飛び降り、松葉杖をついているにもかかわらず猛スピードでアキに突進し……、
「あぁっ! リューにやられた足が動かない! うまく歩けないから転んじゃう! 不可抗力!!」
と言ってそのままアキの胸に飛び込んだ。
「どわぁ!! お、おい魔琴???」
「あっきく~ん……あ、ボクは1年生だから、『国友せんぱ~い』だねっ!!」
魔琴はアキの胸で猫のようにごろごろやっている。
そんなアキを見る男子生徒の視線が本当に痛い……!
「こら! そこの白髪! いきなり無茶苦茶やってんじゃないわよ!」
澄がやってきた。
ああ、またはじまるのか……アキの眼前で繰り返される、このバトル。
「でたな小学生! 白髪白髪ってボキャブラリーの少ないこと! さすがゆとり! さすが身長140センチ!」
「142センチよ! くうぅ〜!!! 後輩のくせに生意気な!!! 体育館裏に来いやぁ!!」
「ふん! 澄なんて片足でも十分だよ! なんならここでやってもいいけど?」
「吠えたな!! 地獄であたしに詫び続けろ! 魔琴ぉぉぉ!!!!」
澄が護符を抜いた瞬間にリューが澄に抱きついた。
「あははは~まったく仲がいいですね~ふたりとも~あはははは~~!」
リューは手慣れた動作で澄の手から護符をひったくった。
「ぐううう! 魔琴……! 今日はリューに助けられたね!」
「はん! 今日のところはリューに免じて水に流してあげるよ!」
そうして澄も魔琴もなんとか収まったようだ。
「……魔琴」
リューと魔琴は向き合った。
あの死闘を経て、ふたりは友として再会を果たしたのだ。
「リュー……」
魔琴の瞳はもう攻撃的なものなど一切宿していない。
あるとしたら、それは友愛の念のみだろう。
リューの瞳も同様。友との再会を喜ぶ瞳だった。
「ようこそ仁恵之里へ!」
そう言ってリューは右手を差し出した。
「うん! ありがとう!!」
魔琴はその手を取った。
澄もアキも、春鬼も勇次も麗鬼も刃鬼も、そのほかの全員も、固い握手を交わすふたりを笑顔と拍手で見守っていた。
「……ところでリュー」
魔琴はリューの耳元まで寄って囁いた。
「あきくんに『好き』って言えた?」
からかうような、そんな口調。
それは本当に魔琴らしくて、それは女の子同士の普通の会話。
そう、彼女達は、今は普通の女の子なのだ。
「え!? ……その、ま、まだ……です」
魔琴はその返答に一瞬驚いたような表情を浮かべたものの、すぐににんまりとした笑みを浮かべた。
「ってことはぁ、ボクにもまだチャンスはあるわけだ!」
「え? ま、魔琴??」
「……わわっ! リューにやられた足首やら脇腹やら諸々が痛くて立ってられない! あきくん支えてぇ〜!」
魔琴はわざとらしく転んでアキの胸に飛び込んだ。
「うぐ! ま、魔琴?!」
「つーわけで末永くよろしくね~! あきく~ん……ごろごろ」
「ま、魔琴!アキくんから離れてください!」
「なんでぇ~? 別にいいじゃん。それにボク負傷者だもん。うまく立てな~い」
「松葉杖があるでしょう!」
「あきくんがボクの杖になってよ~」
「ま……魔琴~!」
騒がしくもほほえましい、新しい日常。
アキはこの騒々しさに愛おしさを感じていた。
リューや澄や虎子、魔琴や春鬼、仲間達。
さまざまな人と出会い、信じられない事ばかりの仁恵之里での生活。
戸惑う事ばかりだけど、アキはすでに仁恵之里の事が大好きになっていた。
ずっとこのままでいられたら。
この平穏を大切にしていきたい。
アキはそう思っていた。
その様子を箒に跨り、はるか上空から見つめる黒い影があった。
平山不死美だ。
「ふふふ、楽しそうね、魔琴」
不死美は彼らの新しい日常を微笑んで見つめていた。
レレは箒の姿のままなので声だけだったが、それでも彼女も喜んでいるのがよく分かった。
「マコちゃん、本当に嬉しそうですね! 良かったですね、不死美様!」
「そうですね。今後が楽しみです」
そして不死美は爪が割れたままの指先をぺろりと舐めて、呟いた。
「本当に、
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