第166話 この夏にさよならを
3日後。
夏休み終了を目前に、アキは仁恵之里総合病院のベッドの上でリューの剥いたりんごを頬張っていた。
「美味しいですか?」
「うん、うまいよ」
実に美味しそうにりんごを食べるアキを見て、リューは嬉しそうに微笑んだ。
「美味しく感じるようになればもう大丈夫です。予定通り、明日退院できそうですね」
「もう退院してもいいぐらいだよ。退屈でしょうがないし」
「だめですよ。お医者さんの言う事は聞かなきゃ。じゃないと、始業式に出られませんよ?」
「あー、もう夏休みも終わりかぁ……俺、こんなに濃ゆい夏休み、初めてだよ」
「そうですね。色々なことがありましたね……」
リューは立ち上がり、りんごを置いていた皿を片付けた。
その様子に3日前の死闘の影は既になく、あれだけ酷かった怪我も顔に少しだけ痣が残っている程度だった。
その痣も明日には消えると澄は言う。
それは
「つーか、あんなにボロボロだったのにもう普通に歩いてるもんな。武力ってスゲーな」
「いえいえ、これも日頃の修行の賜物ですよ」
リューはにっこり微笑み、荷物を纏めた。
「私はこれから武人会本部に行きますね。また明日、お父さんと迎えに来ます」
「ん、本部に?」
「というか、有馬家ですね。澄と約束があるんです」
「ふぅん。澄によろしくな」
「はい。……ところで、あの、アキくん」
リューは妙に畏まり、ベッド脇のパイプ椅子に腰を下ろした。
「ん? どした?」
「……奉納試合のときは、本当にありがとうございました」
「え? ああ、アレね。いやぁ、俺も正直よく覚えてなくてさ。なんか俺が籠目守りを解除したらしいけど……ぶっちゃけ覚えてないんだよね、あん時は必死すぎてさ。ははは」
「アキくんが頑張ってくれたから今、この時があるんです。そうでなければ、私は今頃……」
リューの表情に影が差す。
アキはそれを察し、彼女の肩に優しく触れた。
「やめろって。俺が何かしなくても、リューは大丈夫だったさ」
アキはリューに『もしもの結末』を考えてほしくなかった。それに、そんな悲惨な結末は無かったんだから、考える必要も意味もないと思っていた。
「……アキくん……っ!」
リューの胸が高鳴る。
今だ! と、彼女の心の声が叫んだ。
「あの、アキくん……」
「なに?」
「あの、その、わたし、私は……ですね」
「うん?」
「……アキくんが、ええと、す、す」
「す?」
「……スマホ」
「は?」
リューはスマホを取り出し、アキと並んで自撮りをした。
「……え?」
思わずピースサインで写真に収まったアキは何がなんだかわからない顔でリューを見るが、リューは真っ赤な顔でニッコリと笑っていた。
「こ、この写真を魔琴に送ってあげようと思って。アキくんは元気だよーって……いいですか?」
「……ど、どうぞ」
「では、私は行きますね!」
「お、おう。気をつけてな」
「はいっ! では、また明日……」
そして病室を出ていったリュー。
アキは一人になった病室で、リューの若干おかしかった様子に小首を傾げたのだった。
そしてその後。
リューはそのまま有馬家へと向かい、澄と一緒に広い庭の一角で一斗缶を前に、肩を並べて座っていた。
「……自分でやりなよ」
澄はリューに数通の便箋を手渡した。
それは奉納試合の日、リューが控室に残したアキや澄に宛てた手紙……『遺書』だった。
リューは頷くと手紙を受け取り、それをじっと見つめた。
「……中は見たんですか?」
冗談のように訊くリューに、
「ばーか」
澄も冗談のように答える。
「見るわけ無いじゃん」
しかし、その言葉は真剣だった。
リューは手紙を揃えてそっと一斗缶の中に置き、澄は丸めたいつくかの新聞紙を同じように缶の中に入れた。
そしてリューはマッチを擦り、その手紙を燃やしたのだ。
ぼう、と燃えていくその役を果たさずに済んだ遺書。
ふたりはその炎が消えるまで、それをじっと見つめた。
「……帰ってきてくれて、ありがとう」
澄は涙目で言うとリューの胸に顔を埋め、リューは何も言わずに澄の頭を優しく撫でた。
澄はそのまま、囁く様にして言った。
「もうこんなことしちゃ、ダメだからね」
「……はい」
リューは静かに、だがしっかりとその言葉に応えたのだった。
同じ頃、蓬莱神社の応接室では虎子と常世、そして不死美と乱尽がそれぞれ並び、向かい合って座っていた。
その間を隔てる様に置かれたテーブルには数枚の書類があり、常世はそれを検めていた。
「……問題ありませんね」
常世はそう言うとそれらを纏め、側にあった封筒に収めた。
「お手数おかけします」
そう丁寧に頭を下げる不死美を、常世は慌てて制した。
「いえいえ、とんでもない。これはお互いの為でもありますし……」
常世はちらりと乱尽に目線をやった。
彼は静かに正面を見詰めていた。
その視線の先には、野生動物さながらに眼光鋭い虎子。
ふたりはテーブルを隔て、昭和のヤンキーさながらの激しいメンチの切り合いを繰り広げていた。(というか虎子が一方的に、だったが……)
「……今回の奉納試合、素晴らしい結果になりましたね」
不死美は場を和ませようとしているのか、嫋やかに笑んで言った。
「リューさんのご成長には目を見張る物がありました。強く、逞しく、優しく……これも姫様の御指導の賜物ですね」
「……私の力など知れているさ」
リューを褒められ多少は和んだか、虎子は乱尽から視線を外し、目の前に置かれていた煎茶を啜った。
「リューの強さは彼女の資質だ。特に精神面……いや、『こころ』の強さは私の及ぶところではない。そういう意味では、私はもうリューに教える事は無いどころか、敵わないよ」
「……お変わりになりましたね、姫様」
「お前は変わらないな、魔女」
ピリッ……!
空気が張り詰めたと同時に常世が割って入った。
「ハイハイそこまで。ここはみんなの神社です。喧嘩なら他所でやってくださいね。先日もどこかの誰かさんが派手にやらかしたお陰で参道の石畳は粉砕するわお賽銭箱はバラバラになるわの大惨事があったばかりなので」
常世のジトっとした視線が虎子に突き刺さると、虎子はバツが悪そうに大人しくなった。
その様子に不死美はクスクスと笑うと、改める様に姿勢を正した。
「兎にも角にも、今回の案件がマヤと人間とのさらなる友好の礎となることを願っております」
すると虎子は真摯な表情で乱尽に問うた。
「……本当にいいんだな? 乱尽」
乱尽は小さく頷き、言った。
「我々は友好を望んでいる。過去はどうあれ、未来を見据えるべきだ」
「概ね同意だ。だが、私はお前を許さない。それだけは忘れるな」
「……
「ほう? 言ったな?」
身を乗り出す虎子の服を摘んで動きを止めた常世。そのままニッコリ笑うと、それだけで全てを察した不死美は同じように微笑んで目礼した。
「では、失礼いたします」
直後、闇が瞬間的に広がって不死美と乱尽を彼らの世界へと連れ帰っていった。
「……虎子」
困ったような顔の常世に、虎子は難しい表情で自分自身へため息を漏らす。
「済まん蓬莱。しかし、
「それは分かってる。でも、彼の言う事も一理あるわよ」
「……ああ。『未来』については私も同じ気持ちさ」
「きっと、これが最善なのよ。むしろ、私はこの状況に運命的な物を感じるわ」
常世はテーブルに置かれた先程の書類の入った封筒に目をやり、微笑んだ。
「まさに運命……あの子がいい結果をもたらしてくれる。私はそう信じてるわ」
「……そうだな」
ひゅう、と涼しげな風が通っていく。
季節の移ろいを感じさせるそれは、季節だけではなくこの仁恵之里そのものの変化を報せるような、そんな爽やかな風だった。
「ところで虎子。お賽銭箱の事なんだけど……」
「はい。ホントすみません。もうしません。勘弁してください」
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