第165話 祭り囃子が聞こえる

「うるさい! うるさい!! うるさいッッ!!!」


 リューの声とは思えない、凄まじい大音声だいおんじょう……。

 彼女は立ち上がり、観衆を鋭く睨みつけていた。


 衝撃波のようなその声は観衆の野次を一発で刈り取り、舞台に降り立った虎子の足をも止めた。


 突如として水を打ったような静けさの会場に、リューの怒声が響く。


「魔琴が何かしたんですか!? 魔琴が何をしたんですか!! 魔琴の事を何も知らないくせに……なんでそんな事が言えるんですか! 魔琴は……魔琴は何も悪いことなんてしていない! 魔琴は何も悪くない!!」


 リューは全てを吐き出すと崩れるように膝を付き、歯を食いしばって涙を流した。

 それは親友を侮辱された、怒りと悲しみの涙だった。


 そんなリューを見詰め、魔琴は胸の奥底からせり上がってくる今までに感じたことのない熱を感じていた。


 リューは自分のために怒ってくれた。 

 身を挺して守ってくれた。

 そして、自分のために泣いてくれている……。


 それを想い、魔琴は泣いた。

 その衝動は波のように押し寄せ、魔琴はぼろぼろと涙を零していた。


 会場はまるで無人の様に静まり返っていた。

 そんな静寂の中、虎子の足音が静かに響く。


「……リュー」

 ゆっくり歩み寄る虎子に、リューは泣きながら言った。

「最後まで、できませんでした……」

「……え?」

 鼻をすすり、だが涙を拭うことなくリューは続けた。

「私は……仁恵之里の武人として、最後まで、ちゃんとできませんでした……ごめんなさい……未熟者で、ごめんなさい……」


 とめどなく流れるリューの涙。

 それは虎子も同じだった。


「……いや、お前は最後までやり遂げた。最後まで、立派にやりきった……!」

「お姉ちゃん……」

「素晴らしい戦いだった。リュー……お前は、私の誇りだ……!」


 虎子はリューを抱きしめ、そしてリューは虎子を抱きしめ、ふたりは泣いた。

「よくやった……よく頑張った! お前は、私の自慢の妹だ……!」

「お姉ちゃん……お姉ちゃん!!」


 これまでふたりで歩んだ十余年。

 その年月が報われた瞬間だったのだ。


 羅市も舞台へ上がり、未だに仰向けで涙を流す魔琴の下へと向かう。

「……ごめん姉さん。敗けちゃった」

 自分を見下ろす羅市に、魔琴は涙を流したまま微笑んだ。

「どんな気分だい?」

 しゃがんで魔琴の顔を覗き込む羅市の表情は、優しかった。

「わかんないよ……こんなの初めてだもん」

「そっかそっか、そりゃ結構」

 羅市は魔琴の涙をそっと拭い、笑った。

「そうやってガキは大人になっていくんだよ」

 そして羅市はゆっくりと魔琴を抱き起こし、まるで実の姉の様に彼女の頭を優しく撫でた。

「……いい喧嘩だった」

 ニカッと笑み、白い歯を見せる羅市。

 その潤んだ瞳から、一粒の涙が零れ落ちた。

「……姉さん……!」

 それは、魔琴が初めて見る羅市の涙だった。


 羅市の目線が不意に背後に逸れた。

 魔琴はそれにつられる様に振り返ると、そこにはリューがいた。


「……魔琴……」

 満身創痍のリューはもう立って歩くことが出来なかった。だから四つん這いでゆっくりと魔琴に近付いていた。


「……」

 リューは何かを言葉にしようとしたが、出来ない。

 それは、最早言葉に出来るような感情ではなかったのだ。

 それは魔琴も同じだった。

「リュー……!」


 ふたりはどちらからともなく抱きしめ合い、まるで再会を喜び合う親友同士のように涙を流した。



 パチパチパチ!


 どこかで拍手の音がした。

 澄だった。


 澄はボロボロと涙を流しながら、その小さな手をこれでもかと打ち、ふたりの健闘を称えていたのだ。


 するとその拍手に刃鬼の拍手が重なり、それは春鬼へ、勇次へ、麗鬼へ……繋がるように次々に伝播し、やがて人間側の観客全員による拍手喝采へと変化していった。


 しかし鬼側からはそれを良しとしない唸りも上がった……が、それもほんの一瞬。

 そちらの方へ向けて羅市がひと睨みしただけで抗議は簡単に引っ込み、即座に鬼側からも称賛の拍手が巻き起こったのだった。


 もちろん桃井も例に漏れず、号泣しながらリューと魔琴へ全力で拍手を送っていた。

「ううう! ふたりとも……良かった! 良かったぁぁぁ! ね、大斗さん! 大斗さん……?」

 大斗は先程障壁に吹き飛ばされた際に頭を強く打ったらしく、白目を剥いて失神していた。

(こ、この人はこんな時に……!)

 しかし、このドラマティックな結末の前にはもうどうでもいいかと桃井は大斗を捨て置き、隣にいた不死美とこの感動を共有しようとしたが……。

「ひ、平山さん! その手、どうしたんですか?!」

 不死美の右手から真っ赤な血が滴っている事に気付き、思わず声を上げた。


 どうやら爪が剥がれている様だったが、今この状況でどうしてそうなるのか全くわからない。

「だ、大丈夫ですか? でも、なんで……」

「大事ありません」


 不死美はその手を隠し、その事自体が無かったかの様に微笑んだ。

「……素晴らしい試合でしたね。わたくし、感動してしまいました」

「え、ええ……そうですね……」

 どこか心が籠もっていない様に聞こえた不死美の言葉に妙な違和感を覚えた桃井。

「……本当に、素晴らしい試合でした……」

 不死美はそう呟くと、くるりと踵を返して舞台のふたりに背を向けるように、何処かへと歩き出してしまった。

「え? 平山さん?」

 桃井がその事に気が付いた時には、不死美の姿は既に消え去っていた。



 一方、武人会の座席から澄がに立ち上がり、舞台へ駆け上がっていた。

「リュー!! 魔琴!!」


 もちろんふたりの健闘を直に称えたかったからなのだが、澄がふたりに抱きつこうとしたところを羅市に止められてしまった。

「おいおい、ちょい待てよ、澄」

 ひょいと抱きかかえられてしまった澄。

「うわっ! なによ離してよ羅市さん!」

「まあまあ、よく見てみ」

「……?」


 羅市に促され、未だに抱き合いながら泣いているふたりを見ると……ふたりとも目を瞑り、寝息を立てていたのだ。

「……寝てんの?」

「そうなんだよ」


 リューと魔琴は座ったまま抱き合っていたのだが、いつの間にか眠ってしまっていたのだ。

 お互いが支え合う様に、お互いを癒やし合う様に、ふたりは眠っていた。


 虎子はその様子を尊く思い、静かに見守っていた。

「それほどの死闘だったということだな」

「器用な奴らだなァ」

 羅市が笑うと、虎子も笑顔を見せた。

 澄も微笑んだ……のも束の間、何かを思い出した様に声を上げた。

「……アキは?」


 そうだ、アキは? と虎子たちが辺りを見回すと、アキは舞台の柵の側でぶっ倒れていた。

 刃鬼はそんなアキを抱き抱え、救護班が用意した担架に優しく横たえた。

「一番の功労者だってのに、可哀想に……」


 そしてリューや魔琴もアキと同様に救護班の手によって救護室へと搬送され、今年の奉納試合は異例中の異例とも言える大団円の結末を迎えたのだった。






 激闘の熱気冷めやらぬ会場の廊下をひとり歩くのは不死美。 

 彼女の歩みの毎に鳴る靴の音が廊下に響くが、それが不意に止まった。

 彼女の行く手を遮るように、留山が立っていたのだ。


「……怪我は大丈夫かな?」

 留山に言われ、不死美の右手が疼いた。

「問題ありません」

「それはなにより……しかし、まさかキミのが破られるとはね」

 何処か嘲るような留山の物言いに、不死美の瞳に影が差した。


 留山は自慢の顎髭を擦りながら、謎解きを楽しむ様に続ける。

「魔法を打ち消すだけではなく、その術者にまでダメージを与えるとは。これは藍之丞にも出来なかった芸当だ。やはり、アキくんは……」


 留山は一呼吸置いて、言った。

「ちよも」

「留山!」

 不死美は叫ぶように、彼の言葉を遮った。


 不死美の声が廊下に反響する。

 それほどに、彼女の声は大きかったのだ。


「……留山。を出すのはやめて下さいまし」

「しかし、これはもう確かな事だと思うが?」

「それでも、聞きたくありません」

「うむ、分かった。済まなかった、不死美」

「……失礼します」


 不死美はそのまま留山には一瞥もくれず、廊下の先へと消えていった。

「……やはりキミもそう思うんだね、不死美」

 留山は顎髭を擦り、思案するように虚空へと視線を投げたのだった。

「では、作戦変更と行こう……」



 不死美は俯き、まるで行き場を失ったかのように廊下を進む。 

 試合が終わり、その役割を果たした異空間が閉じていくに連れて廊下の照明も消えていく。


 徐々に闇が広がる。


 あかりが区画ごとに消えていくのだ。

 不死美の後を追う様に次々に消えていく灯り。そして最後の灯りが消え、その闇と不死美の闇が重なり、何も見えなくなった。


 その闇の中、不死美の脳裏に金色の光が浮かんでいた。

 それはまさに黄金の糸の様な……自らのと同じ、金の髪。


 それは留山が言いかけた、その名を持つ者。


 それは今は亡き、もうひとりの魔女。



 その暗闇に蓋をするように、不死美は呟いた。


「お姉様……!」





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