第164話 せめて最後はキミの手で

「殺せ!」


「殺して!!」


「その鬼を殺せぇ!!!」


 爆発的に噴出したそれは怨嗟だ。

 積年の恨み。過去からの厭悪。

 これは復讐の好機なのだ。


 それら憎悪の全てが魔琴に向けられ、その期待の全てがリューに託されている。


 鬼側はそれに抗議するような唸りを上げているがそれはポーズでしかなく、その実は自分達とは天と地ほどの身分差がある魔琴が殺される無様を期待する外道が大半であった。


 四方八方からなだれ込んでくる究極の負の感情にリューは真っ青な顔で震え、魔琴は観念した様なため息をついた。

「……ま、そうなるよねぇ」



 虎子は震えるリューに恐怖した。

まずい……!)


 リューの様な純真な人間が、この悪意と殺意に汚染された空気に耐えられる訳がない。このままでは容赦のない憎悪に侵され、彼女の心が潰されてしまう!


 虎子は柵を越え、すぐさま助けに入ろうと舞台へ飛び込むが……


 バチッッ!


 瞬くように星模様の光が迸り、激しい衝撃が虎子の体を跳ね返してしまった。

「ぐっ!?」

 虎子の突入は舞台を囲む籠目守りの障壁に弾き返されてしまったのだ。


「澄! 籠目守りを解除しろ! もう勝負はついたはずだ!!」

 試合終了とともに舞台を囲む籠目守りは解除されるはず。虎子はそう思っていたが、澄は涙目で答えた。

「やってるよ! でも、できないの!!」

「な、なんだと……?!」

 澄は護符を握り締めて指先で印を結ぶが、何も起こらない。その事実が澄を余計に追い詰める。

「なんで……なんで解除できないの!?」

 澄は何度も何度も籠目守りの解除を試みるが、一向に解除の気配すらない。

「うそ! うそでしょ!? こんなのうそだよ……!!」


 その間も地鳴りのような怨嗟はリューと魔琴に降り注ぎ続けていた。


 リューはどうしていいのか分からずに恐れ慄き震えていたが、魔琴はどうするべきかを心得ていた。

「リュー、手をかして?」

 魔琴はリューの両手に手を伸ばし、それを優しく握ると自分の首元へと誘導した。

 そして緩く開いたリューの掌を自分の首に嵌め込む様にして、そのまま内側に向かって力を入れたのだ。


「ま……まこと……っ?!」

 リューはその時になって初めて、自分の両手が魔琴の首を締める格好になっていることに気が付いた。

「まぁ、仕方ないよね。奉納試合って決まりだし」

 魔琴はリューの手が自分の首を締め込むように、少しずつ力を入れていく。

「みんなこうだったんだよ。ヒトも、オニも。ボクだけ例外って有り得ないっしょ」

 そして魔琴は、少し苦しそうに笑った。

「ボクはいいんだよ。リューになら……」


 リューを知る者ならこの危機的状況をひと目で理解できた。

 であれば、手をこまねいているはずがない。


 大斗や桃井も舞台へ登ろうとしたが、やはり障壁に弾き返されてしまう。

「リュー!!」

 大斗の大きな体が障壁に突っ込むが、それ以上の力で跳ね返されて背後に吹っ飛んでいく。

「リューちゃん!!」

 桃井も同じよう特攻し、同じように弾き返されてしまったが、彼女の体は羅市によって受け止められた。

「ら、羅市さん!」

「……下がってな」

 羅市は一歩前へ出て浴衣の腕をまくり、拳を握った。

(早まるんじゃねェよ、魔琴!)

 そして思い切り息を吸い込み、雄叫びを上げた。

「うおらあああ!! 有栖家宝才・『乾坤一擲けんこんいってき』!!」

 

 羅市は限界まで引き絞った弓のように溜めを作ると、それを思い切り右拳に乗せて障壁をぶん殴ったのだ!!


 ぐぁああんッ!!


 分厚い金属を激しく打ち付けるような轟音が障壁を揺るがす!

 羅市の全力パンチは籠目守りすら突き破る勢いで障壁を明滅させるが……!

(ンだと!?)

 突如、拳が押し戻され、羅市はその反発で後方へ吹き飛ばされてしまった。


「大丈夫ですか羅市さん!」

 桃井が駆け寄るが、羅市は自分の身に起こった事に半ば呆然としていたので桃井の言葉に何も応える事が出来なかった。

(い、今のは……?)


 手応えは十分だった。

 羅市の感触では、『乾坤一擲』は籠目守りを破りかけていたのだ。

 しかし、跳ね返された。その跳ね返した『力』は恐らく……いや、確信はない。


 だから羅市はその力を唯一有するの顔を見ることができなかった。

 見れば、確たる根拠もなく疑いをかけてしまいそうだったのだ。

(もしそうなら、どういう了見だ? さん……!?)


 その不死美は一歩前へ出て桃井の肩に手を添えた。

「桃井さん、危険です。お下がりなさい」

「平山さん! 平山さんなら……平山さんの魔法なら、何とかなりませんか!?」

 桃井は懇願するように不死美に縋るが、不死美は俯いて首を横に振った。

「わたくしにも、こればかりは……」

「そ、そんな……」


 へたり込む桃井。不死美はその様子を一瞥し、舞台へ目を向けた。

 その瞳は、まるでミュージカルのクライマックスを観劇するように輝いていた。



 そう、は刻一刻と迫っている。

 魔琴の白い肌は鬱血し始めていたが、それでもリューはその手を止められなかった。


 一方的に降り注ぐ呪いの声はリューの心を侵食し、意思すらも乗っ取ってゆく。

 

 リューはまるで傀儡の様に抵抗さえ許されず、魔琴に馬乗りになった状態で彼女の首を絞める事しかできない。


「ま、まこ、まこと……」

 焦点の合わない瞳で震えるリューに、魔琴は微笑んでいた。

「い、いいよ……そのまま、そのままだよ……」



 最早、打つ手はない。

 もうすぐ魔琴は死ぬ。

 まもなくリューは魔琴を殺す。

 その場の全員は、その結末をこのまま見ている事しか出来なかった。






 バリッッ!!


 突然、会場に鳴り響いたのは耳をつんざく破砕音だった。


 何事かと顔を上げる虎子。

 そこには、アキがいた。


 アキが障壁に爪を立て、そのまま壁を引き裂こうとしていたのだ。

「アキ……!」

 虎子は信じられないものを見た。


 自分でも歯が立たず、あの有栖羅市の鉄拳ですら跳ね返した障壁に、明らかな綻びが広がっていたのだ。


「……まさか……」

 アキのうちに秘められた謎の力……微弱ながらも、識も宝才も無効化してしまう、あの力。

 蓮角藍之助と同じ、あの力……!


「ぎ、ぎ、ぐううう!」

 アキが唸る。そして力むたびにその綻びは大きく、確かなものになっていく。

 彼の鼻からは血が滴っていた。あまりの過負荷に毛細血管が破れているのだ。 

「と、ら、こ……頼む!!」


 アキが何を言っているのか、自分が何をすべきか。

 虎子は既に思考というものを使用せず、本能で動いていた。


 アキが作った障壁のひび

 その罅から、この障壁をぶち破る。

 それを実行するのは……これしかない!


「うおおおおお!!!!」

 虎子は武術家らしからぬ無防備で無鉄砲な拳を振りかぶり、目の前の壁にその全てを打ち込んだ!!

「らああああッッッ!!!」


 バキッッッ!!!

 バリバリバリッッ!


 虎子の拳が凄まじい破壊音と共に障壁を粉砕した!

 しかし、その破壊音に対抗するように怨嗟の声は大きくなっていた。 


 殺せ! 殺せ! 殺せ!!


 まるで一体感を楽しむようにも思えるその声は、確実にリューを侵している。


(間に合ってくれ!)

 虎子は柵を飛び越えリューに駆け寄ろうとするが、リューはもう限界を超えてしまった後だった。


 間に合わなかったのだ。


 殺せ! 殺せ! 殺せ!!!


 その言葉の重さに耐え兼ね、リューの中で何かがはち切れた。

 感情はその制御を失い、リューをむき出しにする。


 だから彼女は叫んだ。

 これまでにない程、大きな声で叫んだ。



「……うるさいっ!!!!」

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